序章 そして……。
そうしてなんとか全ての異形を倒したところで、囮役を買っていた先任たちが姿を現した。
今まで彼らは敵の注目を引き付ける危険な活動を行っていたのである。
「感染者の一次活動停止を確認。周囲の警戒を維持しつつ最終掃討に移行する」
一人の男性が、後輩たちの勝利には関心を向けずに携帯端末を操作しながら呟いた。
その神経質そうな男性は後衛と情報処理の担当者で、夕海たちの戦況を記録していた。
一方、他の先任たちは、用心深く倒れている異形たちに止めを刺していた。
少しの油断が命に関わることがあるからである。
「ご苦労様、B班」
そう労いの言葉をかけてきたのは凛とした佇まいの女性だ。
彼女は夕海たちが所属する部隊のリーダーで、名前を瀬田冴。的確な状況判断と指揮で定評のある人物である。
「お疲れ様です! 冴先輩!」
「よくできました、と言っておきましょうか。
今の戦闘での完全撃破率は五割三分。複数相手としては十分及第ね」
「あ、ありがとうございます!」
「ただ、もう少し集中して頭部を狙ってみても良いかもしれないわね。
まだ連携にばらつきがあるから、急所を打ち逃すことが多かったのよ。
私たちの魔力という攻撃手段は数が限られている。 手数を減らすことで消費を抑えることができれば、より多くの感染者を退治することができるわ」
「はい!」
研修でも耳にタコができるほど聞かされたことだ。
魔力の元となる魔素は希気類であるため、流通に出回ることが殆どない。
夕海たちが所属する機関のように採取所と特別な契約を結んでいない限り、使用はおろか入手することも困難なのだ。
「さて、B班。地上の感染者が片付き次第、地下都市の探索に取り掛かるわよ。
目的は敵の排除と生存者の捜索。今まで以上に厳しい戦いになるから、準備はしっかりしておいてね」
「はい! 了解です!」
「よろしい」
夕海たちは急いで装備を整え始めた。
地下都市戦。それはある意味、最も過酷で最も意義のある、彼女たち塾生最大の戦闘作戦だ。
人類は異形の脅威から逃れるため、地下に生存権となる都市を製造した。
ウィルスの感染と物理的な攻撃から民衆を守るのが目的で、人々は息を顰めるように隠れながらなんとか百年の時間を生き延びてきたのである。
だがそんな地下都市も、完全な安全圏とは言えなかった。
どの都市も度々異形の侵入を許し、世界に膨大にあった地下都市は数えるほどに激減してしまった。
何故なら異形は、人間が感染して変貌してしまった存在だからである。
ウィルスの浸入を完璧に防ぐことなど不可能なのだ。
そのウィルスは、地球上で人間にのみ感染し、人間だけを異形へと変貌させるという性質のものであった。
感染したウィルスは脳へと到達し、生命活動を停止させてから遺伝子単位で肉体を改造させるといわれている。
それ故に、感染者は変貌の有無に係わらず直ちに処理されるのが、この世界の常識となっていた。
「よし、完璧!」
夕海たちは消費した道具の確認をしつつ、次の戦闘の準備を整えた。
魔力結晶は勿論のこと、通常の装備の管理も重要である。これを怠ると命の危険もあり得るので、慎重に用意する必要があるのである。
そうして新人の三人が報告しようとした――、その矢先だ。
突如、不自然な振動が地面から感じられた。
「な、なに!?」
地震といった様子ではない。もっと心臓に響くような、一定の指向性を持った何かが暴れまわっているような感じなのである。
「さ、冴先輩!」
「総員戦闘準備! 魔法を展開して!」
「え、十三里式? ということは……」
「地下よ! 都市奪還の注意事項にあったでしょう!」
「あ、そうでした! 敵は地面や壁を食い破って移動する!」
異形は鋼鉄さえ噛み砕くとされ、どのような岩盤や装甲もその進攻を止めることはできないと言われている。
一度侵入を許してしまった地下都市は、どこから異形が出現するかわからないのだ。
緊張の面持ちで周囲を警戒する一同。 やがて、振動がピタリと止まり一瞬の静寂が訪れる。
「―――来る!」
悪意が膨れ上がったと思った瞬間、目の前に大量の土砂が吹き上がった。
あまりに距離が近いため回避もできない。
新人たちは砂まみれになりながら、ただ風圧に耐えながら目に砂が入らないように防ぐことしかできなかった。
「はっ、先輩! 大丈夫ですか、冴先輩!?」
返答はない。代わりに、面前の砂塵が怪しくうねった。
煙は豪雨によってもたらされた濁流のように、渦を巻きながら一定方向に流れていく。
そして、砂塵を掻き分けながら巨大な物体が現れた。
その全長、約五メートル。
真っ赤に染まる口だけが異常に肥大化した怪物。
それは見間違えるはずもなく、全人類の天敵とも呼べる異形の姿であった。
「で、出た! 先輩! どうしましょう!?」
緊急事態だ。
通常ならば総攻撃しているところだが、敵の方向には先任たちがいる。このままでは同士討ちの可能性が高い。
「あれ? 先輩?」
何故直後に指示が来ない。
あの優秀な先輩たちならば、いかなる緊急事態にも対処できるはずなのだ。
それこそ攻撃か撤退か、後輩たちに指示することぐらい簡単だというのに。
「ひ、日吉、あれ……」
仲間の一人が地面を指さす。
そこには――
赤い液体と共に――
散乱する、複数の手足が存在していたのであった。
「い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!」 絶叫。
仲間の他に人の姿はない。つまり――
夕海は錯乱し、構えていた弓を乱射した。
怒りも哀しみもない。
ただ目の前の異形に嫌悪感を覚え、攻撃の手を止めることができなかった。
「日吉、もうやめろ! 十三里式を無駄にするな!」
「あああああああああ!」
「日吉!」
「う、うう……」
仲間に腕を掴まれ、やっと攻撃の手が止まる。
その直後、異形が轟音をあげながら地面に倒れ伏した。
頭部が両断されている。
どうやら仲間の一人が攻撃したようだった。
「う、うわぁぁぁぁぁぁ」
悲鳴に近い慟哭。
力を失った夕海の手から弓矢が転げ落ちる。
この場で叫びながら武器を手放すなど、自殺行為に等しい。
まだ彼女たちの戦いが終わった訳ではない。地下にはまだ大量の異形がいる。
だが、夕海はもう戦うことができそうになかった。
憧れていたものと、目指していたもの。その二つを同時に失ってしまったのだ。
この故郷が襲われていると聞いたときでも、ここまで絶望することはなかった。
力を得た自分たちならば絶対に奪還できると信じていたし、そこに先輩たちの力が加われば無敵だと信じていた。……信じていたんだ。
夕海から流れ出た涙が、凍りついた大地に染み込んでいく。
聞こえてくるのは防護マスクを通した自分の呼吸音だけ。
遠方から吹き付ける風の冷たさも、絶望を知った今の彼女には感じることなどできなかった。




