終章 その2
どれぐらいそれが続いただろう。気圧の変化に意識を失いそうになったとき、漸く速度が緩まり、やがて完全に停止したのであった。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
私は立ち上がることも文句を言うこともできず、ただ蛙みたいに潰れていた。
何だか寒いし、空気が薄いような気がする。
「……気持ち悪い」
頭痛、動悸、吐き気。何か色々な症状が全身を駆け巡っている。
まるで絶叫機械に乗った後のような……。
これは、あれだ。ひょっとして高山病ってやつじゃね?
どうやら私たちの足元から現れたのは、石材で出来ている高層の建物みたいだった。
最上階に当たるこの場所はかなりの広さがあるけど、外周に落下防止の低い壁があるだけで、他に何の造形物もないという味気ない屋上である。
床には私たちの他に、折れた木々が散乱している。
どうやら上にあった物を全て持ち上げていたようだ。
「召喚終了です。さて、雌雄を決しましょうか」
「まだ、やるの?」
「ええ、ただ舞台を用意しただけですからね」
もう十分、お腹一杯だ。その証拠に、胸の奥から込み上げてくる物がある。
……うっぷ。
「この塔は太古の魔王によって建てられた破滅の塔です。
とても頑丈ですので、周囲に被害を出すことなく戦うことができますよ」
「そりゃあ、こんな高いんじゃあ被害なんて出ないでしょうよ」
だって景色が全然違うんですもの。
全方位には空しかなく、多分下を覗いたら高くてお尻がムズムズしてしまうのだろう。
「待て、破滅の塔……じゃと?」
「母上?」
「聞いたことがある。確か、魔王の筆頭とされる滅魔王が太古に建てた塔じゃ。
嘗て魔界の何処かに存在したが、失われて久しいと聞いていたが――」
何故そんなものがコーネリアに召喚できるのか。母上の視線は脱帽を湛えていた。
そしてもう一人、銀髪の魔王も同じような雰囲気を漂わせていた。
『汝、よもや筆頭にまみえたことがあるのか……?』
「さて、どうでしょうね?」
少し腰を屈めて可愛らしく惚けるコーネリア。
彼女のことだから、どんな存在とも会っている可能性は否定できない。
しかし、彼女なら「勉強だけで召喚できるようになっちゃいました(てへっ)」、とかいう可能性も高いので何とも言えなかった。
「こちらは準備万端ですよ。どうぞ、いつでも始めてもらって結構です」
『…………』
銀髪の魔王はしばらく身じろぎ一つしなかった。
表情に変化はないため何を考えているのかはわからない。ただこの現象や、コーネリアという異様な存在に困惑していることは容易に想像ができた。
「どうしました? 私を殺さないと三界四方は手に入りませんよ?」
『……いや、もうよい。汝の能力はよくわかった』
「ではどうしますか? このままでは世界が滅びる様子を見物していますか?」
何だか楽しんでいるように見える。この人はとことん理解し難い生き物だ。
そんなコーネリアに対し、銀髪の魔王が返した言葉は酷く淡々としていた。
『我を滅せよ。世界は汝が救え』
それは何の感情も窺えない言葉だった。
恐怖も、不安も、怒りも、諦観も。
ただ当然の事実を告げているような、そんな冷淡な様子なんだ。
まるで自分の運命を享受しているみたいだ。
死を恐れることもなく、ただ世界の犠牲になることを当然だと思っているような。
……私にはそんな気がしてならなかった。
魔王の返答が予想通りだったのか、然して驚くこともなくコーネリアは苦笑いをした。
「あらあら、それは困ります。
貴方様がここで亡くなると、未来に狂いが生じてしまいます。
結局のところ答えは一つしかないのですよ」
そう言うと、コーネリアは両手を胸の前の辺りで掲げた。そして、歌みたいな美しい旋律で何やら理解できない言葉を紡いでいた。
「――――――――――――」
やがて両手の上に赤い玉のような物が出現した。
大きさは大人の握りこぶしぐらい。周囲に何やら複雑な模様みたいな装飾が刻まれているような、不思議と目を引く球体だった。
「どうぞ、お受け取りください。三界四方・崩魔印です」
『……我を認めるのか』
「勿論。この塔を呼び出せるだけの魔力を保有しているのは、歴代の魔王様の中でも稀有なことです。十分、世界の命運を託すに値するかと」
『……しかし、我の魔力は尽きかけている。頂へと至る余力は最早ない』
そりゃそうだ。こんなものを呼び出すほどの魔力を搾り取られたんだ。
これから何をするのかは知らないが、すぐに世界を救えとか言われても難しいだろう。
「ああ、それなら大丈夫ですよ。この塔には天上界へと繋がる転送門がありますから。
ほら、そこの中央。魔王が他の三界四方を所持していると門が開くようになっています」
『……なんだ、と』
「何しろ滅魔王の塔ですからね。それぐらいの設備はあって当然でしょう」
『……全てが想定済みか。汝には驚かされるな』
狙ったような結果に、銀髪の魔王も感心したようだ。
この場所に銀髪の魔王が来ることも、その彼にコーネリアが認められることも、想定はできても確実だとは限らない。
彼女の準備と誘導があったからこそ、彼を天上界へ送り出すことができるのだ。
コーネリアは周囲の様々な視線を受け止めながら、困ったように静かに微笑んだ。
「皆様は何やら勘違いをなされているようですけれど、私が何もしなくても恐らく結果は同じ場所に収束していたと思いますよ。
ただ私の存在がこの世界に変化をもたらしてしまいましたから、その矛盾を無くすための準備をしておいただけなのです」
さっき彼女は、できるだけこの時代に干渉しないと言っていた。
それでも干渉せざるを得ない状況になってしまったのは、彼女にとって不本意であったに違いない。
でもその結果に行ったのが、このとんでもない塔の召喚。幾らなんでもやり過ぎじゃないか?
完全に過去を改竄しているような気がするし。
「さて、崩魔王の一族の皆様。こうして私たちは無事に危機を回避した訳ですが、皆様には言っておきたいことがございます」
「む? なんじゃ?」
改まったコーネリアが私たちに鋭い瞳を向けていた。
「これまでの行動を拝見させていただきましたが、明らかに勉強と修業が不足しています」
「な、何じゃと!?」
母上の顔が引き攣る。自覚があるのか、口籠るだけで理論的な反論ができない。
「特にマール様とオルガ様のお二人。お二人とも魔力の使い方がまったくなっておりません。
あれならまだルーナ様の方が上手に魔力を扱っています。これは基礎から学ぶべきですね」
「おい、ふざけるな。我らに何を学べと言うのじゃ。
魔王に説法など、魔力の使えぬ者にされる筋合いはないわ」
好き勝手言われるのが気に入らなかったのか、今度は至極真っ当な反論をした。
でも、その反論にはそもそもの誤りがある。
「母上。コーネリアは魔力が使えないんじゃなくて、使わないだけなんだって。
だから魔力の才能がない訳じゃないらしいのよ」
「なに……?」
コーネリア自身は普段まったく魔力を使わないけど、人間にだって偉大な魔法使いがいるように、彼女に魔力が使えても不思議ではない。
私たちは一つの魔王の力と権限を分けているから、ついコーネリアの一族が魔力を使えないと錯覚しがちだけど、実際はそんなことはあり得ないんだ。
「まあ、そういうことです。という訳で、修業しましょう。大丈夫。私が立派な魔王にして差し上げますよ」
「ふざけるな! 冗談ではない! そもそも貴様らが権限を返せば良いだけじゃろうが! さすれば魔力の使用も自由じゃというのに!」
「それが甘いと言うのです。権限なんてなくても、術式を正しく理解していれば魔力は行使できます。
権限と言うものに囚われて、物事の本質を見失っているから基本が疎かになるのです」
「う……」
「そこで、皆様にはきちんと基礎の勉強をしてもらいます。
丁度、ここに舞台もありますし」
「おい待て。まさか貴様……」
私は刹那の速さで嫌な予感を覚えた。身に覚えがあり過ぎるんだもの。
「はい。この塔を完成させてください。大きいですから、やり甲斐がありますよ?」
「な、何を言っておるのじゃ! 冗談ではない!」
この塔を完成させろって、大きさは私の迷宮の比じゃない。終わるまで何年かかるかわかったものじゃないじゃない。
「総階数は100階。この下にあるルーナ様の迷宮の十倍ですね。
内部にあるのは階段だけで、迷宮や罠はありませんから、自由に造ってしまって結構ですよ」
「待て待て待て待て、本気で待て! ちょっと話し合おう!」
「大丈夫です。必要な道具は最下層にありますから。ここと直通の転送門を作っておきますね?」
「そんな話はしておらん! 何も大丈夫ではないわ!」
逼迫しながら抗議する母上の姿を、私は諦観の眼差しで眺めていた。
母上には悪いけど、こうなったコーネリアは人の話なんて聞きやしない。教師の使命というものでも持ち合わせているのか、相手がやる気にならない限り引くことなんかないのである。
問題は、どれだけ誤魔化したり譲歩を引き出したりするかなんだけど、早い段階でそれを見誤ると最悪の結果になってしまう。
……そして既に、私たちはもう取り返しのつかない場所に到着している気配があった。
「期限は七十年。それ以内に完成したのなら、好きな場所に移動していても構いません。
しかし完成していなければ、きつい罰則を設けますから覚悟していてくださいね?」
「ね? ではない! 貴様、何様のつもりじゃ! 我らに罰則なぞ、傲慢も良いところじゃぞ!
そもそも期限も何も、七十年後の貴様は耄碌しておるじゃろうが!」
「はい。ですから私は自分の時代に帰ります。私の時代は今から七十年後ですから」
「なんじゃ、うるさい監視はなしか」
「え!? コーネリア、帰っちゃうの!?」
寝耳に水だった。こんないきなりのお別れなんて、驚くじゃないか。
ちなみに母上は安堵しているようだけど、ただ帰る程度でコーネリアから逃れるつもりでいるのなら考えを改めた方が良い。
「ええ。迷宮造りはもう飽きたので、とっとと帰って論文に纏めて別のことを始めます」
「飽きたって……」
そう言えば、このコーネリアは新しいことを始めるのは大好きだけど、復習みたいな同じことを繰り返す作業はあんまり興味がないようだった。
基本がどうとか言っているけど、本人はそれほど基本を重視していないのではないかと私は勘繰っている。
「まあ、そういうことで帰りますね。七十年後にまた来ます」
「来なくていいぞ。どうせその頃には誰もおらぬからな」
母上はニヤリと笑う。完全にコーネリアの主張など無視する気だ。
「ああ、一つ言い忘れていましたけど、もし塔が完成していなければ――
私の権限で崩魔界を爆破します」
「………………は?」
「実はですね。魔王の権限の中の一つに、魔界の存続を終結させる、というものがあるんです。
ちょっとそれを適用するだけで、魔界は跡形もなく木端微塵です」
「――な、何じゃとぉぉぉぉ!?」
最後の最後にコーネリアが放り投げたのは、母上の全てを打ち砕く爆弾だった。
魔王の権限を持たない母上は、崩魔界の権力者ということだけが魔王の証であり誇りだったんだ。
それを消滅させるということは、母上の根本をも消滅させることに等しい。
「そ、そんなもの下らない嘘に決まっておる! 幾ら何者でも木端微塵にはできまい!」
「さあ、それはどうでしょう? 実際に確認したいなら七十年待つしかありませんね」
「ねぇ、ルーナ! こいつは何を言っているの!?」
コーネリアとの会話を見限った母上は、私に通訳を求めてきた。
しかし、幾ら付き合いの長い私でも無理なことはある。
「ごめんなさい、母上。私にもコーネリアの言動は理解できないの。
冗談の可能性もあるけど、この塔を召喚したみたいにあらゆる冗談を実現させてしまう可能性も持っているのが、この人なの」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
あまりのもどかしさに、母上は言葉にならない唸り声を上げた。
真実を導き出そうにも、母上はコーネリアのことを殆ど知らない。
嘘を見抜こうにも、コーネリアは相変わらずの胡散臭い笑顔で、何一つ知ることができないんだ。
「では頑張ってください。皆様、炎魔王様、さようならぁ」
「おい、待て! せめて本気か冗談かぐらいはハッキリさせていけ! 気持ち悪いではないか!」
「あはは――」
「笑いながら消えていくな! ホラーか!」
最初から母上の苦言など聞く耳がないのか、コーネリアは楽しそうに消えて行った。
「くそっ! どうしろというのじゃ!」
そうして残された私たちは、決断しなければならなかった。
――造るか死ぬか。
なんてことを言っても、結局は答えなんか一つしかないんだ。
「やれやれ」
私はまた特異な建設物を製造するために動きだす。
今はまだ、終わりかけの世界と母上の怒号がうるさいけど、 きっとこの世界には平和で楽しい未来が待っているんだろう。
だって、あんな笑ってばかりいる人が未来に誕生しているのだ。
そんな未来がつまらない訳がない。
だったら――
「やるしかないじゃないの!」
【完】




