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2章 その7

 村の少年、グラードの案内によって到着したのは、普通の民家のような建物だった。

 裏手が玄関、正面が店舗になっているようで、申し訳程度に設置された木製のカウンターが何とか店の体裁を整えている。

 軽く見回したけど破損した個所はないので、今すぐ開店しても問題はなさそうな様子だ。

「へぇ、ここが」

 その建物を見て最初に覚えたのは違和感だった。

 建てられているのが周囲に樹木しか存在しない村外れだったので、一言で表現するならば森の鮮魚店。

 明らかに商売をする環境ではく、商品の運搬も不便としか言いようがない。

 何故この場所で魚屋の開業を?

 と疑問を感じずにはいられない店だったんだ。

「ふ〜ん? ここで六年暮らしていたのかぁ。全っ然、覚えていないわ」

 幾ら見ても私の記憶に触れるものはないみたい。本当に暮らしていたのかどうかは、事実を知らない私には判断できるはずもない。

 防犯などの意識はないのか、玄関の扉には鍵がかかっていなかった。

 扉から差し込む明かりを頼りに窓を開けていくと、何とか建物内の全貌を確認することができた。

 どうやらこの建物は、三つの部屋で構成されているみたいだった。

 玄関があった部屋には複数の本棚と机があり、まるで事務所か書斎のようだ。

 そこから扉のない区切りを通ると台所と食卓があり、壁際に暖炉があることからも、そこが主な生活空間なのだとわかった。

 更にそこから奥にある扉を開けると、正面に店舗のカウンターと、その脇に上へと続く階段があった。

 外観だけ見た感じで二階がありそうな様子だったけど、これで上にも部屋があるのことが明白になった。

 簡単に確認したけど、二年間も放置されていたという割には、それほど埃は積もっていなかった。

 全体的に薄く降りかかっている程度で、少し掃除するだけで普通に生活できそうだ。

 まず私たちが行ったのは、本棚の確認だった。

「えっと、魚の生態に関するものと……動物の育成に関するもの。生物と環境の関連性。自然界の構成物質。それに魔術書なんてものもあるわね」

 このラインナップは何だろうか。少なくとも魚屋が趣味で読書するような内容ではない。

「ここで何をしていたの?

 その人たちは」

「ああ、商品の製造を効率よく行う方法の模索、つまり養殖の研究だよ。

 ここのすぐ近くに大きな湖があって、そこで色々な種類の魚を育てていたんだ。

 ただ、養殖と言っても普通の養殖なんかじゃなくて、海の魚も一緒に育てるという活動をしていたんだ」

「あら? その湖は汽水湖なのですか?」

「いえ、普通の湖です。確か、魔術の泡でそういうことが可能になるとか言っていましたが」

「……なるほど、そういうことですか」

「どういうこと?」

 何だ、この養殖の話は。

「普通、海水魚と淡水魚は、浸透圧などの関係でそれぞれ海水と淡水でしか生きられません。

 その両方が入り混じる汽水湖では共存することも可能ですが、一般的に両者の生活環境が交わることがありません。

 ただしそれを可能にする方法があるという話はありまして、恐らくここでは何らかの手段を確立して実行していたのでしょう。

 私の不可思議領域を検索したところ、好適環境やナノミストという用語がヒットしました」

「ああ、不可思議領域ね」

 なら仕方がない。世の中には人の理解が及ばないことがたくさんあるのだ。

「何だい、それ?」

 グラードが呆れているが、それは無視だ。

それから私たちは一通り本棚を調べてみたんだけど、特に変わった内容のものは見つけられなかった。

 どれも養殖に関するものばかりで、魔王に関するものや、以前の私に関するものは特にない。

 寧ろ、余りに一般的で本当に私が暮らしていたのか? って疑いたくなる感じだ。

「でも何で魚屋なんだろう? ただの魚好きとか言わないわよね……」

 っていうか、魔王が養殖業とか世界に喧嘩を売っているでしょうよ、まったく。

 当然だけど、魚を育てて売ること自体が目的だとは思えない。そこに何かしらの意味があると考えるのが普通だろう。

 魔王と言えば世界征服だ。世界征服に使える魚と言えば……。

河豚かわぶたか?」

 強い毒素を持つという、海や川を回遊するブタの姿をした謎生物である。ちなみにフグではない。

 河豚の毒はテトロドトキシンとかいう神経毒だそうで、その強い毒素ならば世界征服に利用できる可能性はある。

 しかし、養殖で育てた河豚にも毒ができるのだろうか。

「養殖でもエサや環境によって毒を持つことはありますよ」

「――心を読まれた!?」

「ただし、ご両親が養殖に使用している湖に、毒素となる海洋細菌の食物連鎖があるのかは不明ですけどね」

 などと的確に私の考えを言い当ててくる謎人物は無視するとして、毒以外で他に世界征服……とまではいかなくても、その前段階ぐらいで可能な手段はないだろうか。

 たとえば魚で加工品を作り何かに利用するとか、品種改良をして新種を利用するとか。

 量産できれば商売になりそうだが。

「大量に出荷して、流通を支配するという線もありますね」

「――だから、勝手に人の心を読まないでよ!」

 この謎生物め。

 とにかく、私の両親に何らかの思惑があることは確かなんだ。それが、私が記憶を取り戻す切っ掛けになると思ったんだけど、そうは上手くいかなかったみたいだ。

「ねえ、貴方。どうして両親は魚の養殖なんかをしていたのか知っている?」

 何か情報が得られないものかと聞いてみる。

 勿論、彼が真実を知っているはずがない。だけど建て前でも両親が考えていたことがわかれば、状況を進展させる突破口になる可能性はある。

 私に問いかけられたグラードは困ったように微笑んだ。

「それが、村を発展させるとか、そんなことを言っていたらしい」

「発展? 養殖で?」

 漁村でもないのに。

「実際に彼らが行った行動は、村の発展に大きく貢献するものだったんだ」

「貢献? 魚屋が?」

 冗談ではなく?

「貢献というのは、村に信じられない程の収益をもたらしたということだよ」

「どういうこと?」

「彼らは特殊な貝の養殖を行っていたんだ」

「貝?」

「すぐに大きく成長する美味しい貝さ。

 でも本当の価値はそんなもんじゃない。

 あの貝は凄く大きくて綺麗な真珠が取れるんだ」

「真珠って、あの」

 実物は見たことがないけど、聞いたことはある。

 確か貝の中に不純物が入り、何らかの成分で覆った物のはずだ。

「それがとても高値で取り引き出来てね。

 村の新しい産業になったんだ」

「へぇ〜〜」

 なかなか面白い話だと思い感心していたんだけど、しかしグラードは少しだけ表情を曇らせた。

「まったく、人間というのは現金だよな。最初はキミたちをどうやって追い出すのか、って寄合で話し合っていたぐらいなのにな」

「……ん? 追い出す?」「どこの村も閉鎖的な空間だから、比較的余所者を嫌うものなんだよ」

「ああ〜」

「それに加えてキミたちは魔族だったからね。本気で王都に救援を求めようとか言っていたぐらいなんだから」

「はは、そりゃあ魔族だから仕方がないよね。魔族だから…………」

 ん? 

「って、ええ!? 知ってたの!?」

 完全に知らないと思い込んでいたからビックリしてしまった。

「そりゃあ、一目瞭然だったからね。

 キミたちの姿は明らかに人間のものじゃなかったし、初めて見た村人は怖かったんじゃないかな。

 それに例え姿を偽っていたとしても、六年も暮らしていて気づかれない方が難しいと思わないか?」

「わぁ! 確かに!」

 特に、子供が幼馴染に正体を隠しきれるとは思えない。完全に失念していたわ。

「あ、ひょっとしてそのフードは、姿を隠すためのものだったのかい?

 だったら不要だったね。何しろ隠す意味がないんだから」

「む」

 何となく癪だったので、フードはこのまま被っておくことにした。

 この少年にあてつけがましい顔でもされたら、きっと腹が立つに違いない。「でも、魔族ってだけで軍隊を呼ぼうとするなんて、人間って野蛮なのね」

 言われっぱなしというのも気分が悪いので、少しだけ反撃してみる。

「いやいや、呼ぼうとしていたのは別に軍隊じゃいよ。ただ追い出す手段の一つとして、王都に助けを借りるっていう意見があっただけだから。不要な争いは起きない方がいいからね」

「どうだか」

「大半の村人は平和主義者なんだよ。安易に他者を傷つけたりはしない」

 村の人たちを信じているのか、その表情からは強い自信が感じられた。

 その年齢で他人のことを信じられるのは立派だけど、根拠のない信頼は身を滅ぼすかもしれないぞ。

 突然名指しされたコーネリアは、少しだけ瞠目した。

「でも、態々地方の村から救援なんて求められたら、普通は緊急事態と受け取って軍隊を派遣するでしょう。例えこっちにその気がなくても、他者に力を借りるなんて余程のことだからね。

 だから、そんな議論が出ること自体、人間は私たちを弾圧したいと考えているんだ」

「そんなことは――」

「あるじゃない。たかが数人の魔族を相手に王都から救援を…………ん?」

 興奮しかけた私の心に、少しの違和感が引っ掛かった。

 確か以前にも王都……いや、首都がどうとか聞いた記憶があったような。

「え〜っと、ほんのちょっと前に……」

「どうしました?」

「あ、そうだ! コーネリアだ!」

「はい?」

「貴女さっき、首都がどうとか言っていたわよね!?」

「ええと、言いました?」

「言ったわよ!

 迷宮に調査隊を呼ぶとかのとき!」

「ああ、確かに言いましたね」

「その時に地名を言っていたけど、何で!?」

 彼女も場所の特定はできていなかったはずだ。

 いきなり都市の名前が出てくるはずがないのである。

「あら、だって村の名前がわかったではありませんか」

「えっと、まさか」

「一つの地名を知ることができれば、周辺の場所は大概わかりますよ」

「ええ!?」

 それは、地方の村まで知っていたということだ。

 そんなことがあり得るのだろうか。

「それなら、それなら何で教えてくれなかったの!?

 気付いたときに言ってくれてもいいじゃない!」

 思わずコーネリアを攻め立てるように詰問してしまった。

 自分でも抑えられないこの感情。後になってそれが、怒りと悲しみだったと気が付いた。

 私は失望していたのだ。予期せぬ形で迷宮から出ることになって、私たちは土地勘のない場所を手探りで進むしかなかった。

 まるで闇の中を彷徨う迷子だ。

 だから私は、コーネリアとお互いに『世界から隔絶されている』、という想いを共有しているのだと思っていた。

 でもどうやら、それは私の勘違いだったみたいだ。

 その証拠に、彼女は私の質問にさも意外そうな顔をしていた。

「あら? それは必要な情報だったのですか?」

「必要だよ! めっちゃ必要だよ!」

 酷い。コーネリア酷い。

 私の気持ちを考えないどころか、どうせ〈記憶のない人に説明しても仕方がない〉とか思っていたのだろう。

 そりゃあ確かに、説明されても今の私には理解はできない。

 けど、現実の地名を知ることで、自分も世界の一部なのだと実感することができる。

 それが地続きの世界を持たない私の、安心を得ることができる数少ない手段なんだ。

「私はね、コーネリア。ずっと不安だったんだよ。こうして私がいても、その存在に確信が持てないんだ。

 私って何なんだろう。

 私って本当に存在しているんだろうか?

 そうやって砂の上を歩くように、私は不安定に生きて行くしかなかったんだ」

 私は俯きながら自分の手のひらを見つめていた。

 この小さな手のひらで、世界の何を掴んでいたんだろう。

 それまで生きてきたのなら、必ず得ているモノがあるはずなんだ。

 知識、教養、技術、人脈、魔法……。

 以前の私が手に入れていたモノが何なのか。それらはどうやって手に入れたのか。

 考えるだけで、羨ましくて仕方がない。

「あ、そうでしたか。では説明しますね。ここはクラン大陸の――」

「軽い軽い軽い軽い! 何その反応!? か弱い少女の不安は華麗に無視ですか!? 

 他人のことなんて興味ありませんか!?」

「いえ、長そうだったので」

「やっぱり興味なしか!」

 どんな理由なのよ。早く帰りたいのかよ。

「ここは私の心の弱さを知って、認識を改める場面じゃないの!? 

 本当は寂しがり屋なのかなぁ、とか、ガラスのように繊細な子なんだなぁ、とか!」

「今更何を仰ることやら。そんなものは以前から存じ上げています」

「――え?」

「もう二年も共に暮らしていたのですよ。

 貴女様がどのようなお考えをお持ちなのか、大よそ把握させていただいています。

 確かに貴女は、自分の置かれている状況に不安を覚えているのかもしれない。 しかし、それを乗り越えられるだけの強さを持っているのも、私は存じ上げていますよ。

 これまで、貴女は何の知識もないまま難しい使命を果たしてきました。それは誰にでもできるようなことではないんです」

「でも、それはコーネリアがいたから……」

「いいえ。私が来たのは偶然です。例え誰が来ようと、貴女は同じように成果を収めていたでしょう。

 それは間違いなく貴女の強さなのです」

「コーネリア……」

「今回のことでも、私はルーナ様の精神状態を考慮した結果、特に説明の必要性を感じませんでした。

 そもそもこうして村にたどり着いたことも、私に土地の知識があったことも、全ては変則的なことでしかなかったのです。

 本来ならば、貴女はご自身の意思で第三者に聞き出して、なんの苦労もなく土地の知識を得ていたことでしょう」

「え、えっと。……そう?」

「ええ、確かに。ルーナ様にはあらゆる困難に打ち勝つ力があります。

 もし現状に不安を覚えるようなことがあるのなら、自分の力で取り払えば良いのです」

「簡単に言うなぁ、もう」

 でも、その言葉は私に勇気を与えてくれているようだ。

 改めて実感する。

 やっぱりコーネリアがいてくれたから、私は今までやってこられたんだ。

 他の誰かだったら、今頃逃げることしか考えられないようになっていたのかもしれない。

 後ろ向きに日々を過ごし、こうして外に出られとき、二度と戻る気など起こさなかったのかもしれない。

 でもコーネリアと過ごしてきた私は違う。

 自分に課せられた使命を絶対に果たそうという、強い想いのようなものがあるんだ。

(うん、ありがとう。コーネリア)

「はい? 何ですか?」

「ううん、何でもない! 

 よし、じゃあ帰ろうか!

 もうここにいても情報を得られそうにないし!」

 私が欲しかったのは自分や両親に纏わる情報だ。

 だけど両親が本当に魔王ならば、そんな情報など残しておくとは考えづらい。

 つまり、ここには私の知りたい情報はないということだ。

「え? ここがキミの家じゃないか。どこに帰るつもりなんだい?」

「そんなの決まってんじゃない。

 ――――迷宮よ!」

 戸惑うグラードに、私はキッパリと言ってやった。

 もう隠すのはやめだ。

 何も後ろめたいことなんてないんだから、幼馴染にだって堂々としてやる。

「迷宮に帰るって、そこには閉じ込められていたんじゃないのか!?」

「あれは嘘よ! 本当は自分の意思で暮らしていたの!」

「!?」

 私たちは絶句するグラードを置いて、嘗ての我が家であった魚屋を後にした。

 最初から実感なんてないんだ。未練なんて全くなかった。


 

 その後、私は村で花の種を大量に購入して山に戻った。

 勿論、迷宮の入口の周辺を花で彩るためである。

 迷宮は私の作品なんだ。

 煉瓦を敷くのは無理でも、花で飾り立てることぐらいはできる。

 これは迷宮の主人であり、また年頃の乙女である女の子のたった一つの矜持であった。

 そう考えて種蒔きの作業をしていると、不満そうなコーネリアが、

「毒の沼地とか造りません?」

 とか言ってきた。

 私は爽快な笑顔で却下してやった。

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