2章 その4
この迷宮の各階は巨大な正方形をしている。
一つ十メートル程のフロアが幾つも繋がることで各階を形成していて、一番上の一階が縦横10ずつの100フロア。
それから六階まで下層になるごとに少しずつ多くなっていき、最大の六階で400フロアにも及ぶ。
六階からはフロア数に変化がなくなり、最下層まで同じ大きさフロアが続いている。
こんな迷宮を、誰がどうやって製造したのか。それは私たちにはわからない。
南西の角、工房のある場所から迷宮をグネグネと進み、たどり着いた対角のフロアには上階へと続く階段が存在している。
階段の脇には三方が壁に囲まれた一フロア分の空間があり、その空間の前には『緊急避難通路』と書かれた木製の看板が建てられていた。
「……なに、この冗談」
何もないただのフロアなのである。見たところ奥に通路らしきものもなく、昇降機などが隠されている様子もない。
ただでさえ何もないのに、適当に作ったかのような粗末な看板が、その場により一層の胡散臭い空気を漂わせていた。
「冗談ではありませんよ。ほら天井をよく見てください」
「……あ。魔法陣?」
天井の染みのように見えるので気づかなかったが、全体に複雑な模様が描かれている。
目を凝らしてみるが、光源が乏しいためどのような魔法陣なのかはよくわからなかった。
「で、どうするの?」
「そこに入ると魔法陣が発動するみたいですね。恐らく空間転移させるものでしょう」
「空間転移……っ! そんなこともできるの!?」
「要するに召喚と同じですよ。特定の地点にある存在を、魔法陣を通して瞬間的に呼び寄せる。
ですから、どこかに出口となる魔法陣があるはずです」
「ここが『避難通路』ということは――まさか、外に出られるってこと!?」
「かもしれませんし、上の階に繋がっているだけかもしれません。まあ、入ってみればわかりますよ」
「適当だなぁ。ま、いっか」
どちらにしても特に困ることはない。私は期待に胸を膨らませながらフロアに入ってみた。
すると――
「おお!?」
天井の魔法陣が淡い光を発し、その直後に視界が霞んできた。
そうして迷宮の風景が歪んだかと思うと、次の瞬間には世界が変化していた。
「――うわっ、眩し!」
一瞬の浮遊感の後。よろめきながら着地した私は、その足場が妙に柔らかいことに気が付いた。
それは石の床ではなく、土と生い茂る草の感触だ。
恐る恐る瞼を開くと、薄暗かった景色とは打って変わり、光と大自然の景色が存在していた。
「わぁぁぁぁっ! 空だ!」
青い、青い、何処までも青い。
延々と遮るもののない広大な空。
その彼方には太陽が輝き、光が大気と踊りながら地上に降り注いでいた。
なんてことだ。そこは思った通り、私が憧れて止まなかった外だったんだ。
私は思い切り空気を吸い込んだ。
外気は驚くほど清んでいて、深呼吸をするだけで全身が浄化されるような気分だった。
「あら、やはり直接に外ですか。ということは……」
少し遅れて現れたコーネリアは、私の姿を眺めたまま動かなくなった。
「……なに?」
「灰化していますよ、それ」
「え? ――きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!? シロちゃぁぁぁぁぁぁん!」
何故かシロちゃんの頭が灰になって、さらさらと滑らかに崩れ落ちていた。
「特定の不死生物は陽光に弱いですからね。死の呪いが解かれて肉体が維持できなくなるんですよ」
「何で先に言ってくれないのぉぉぉぉぉ!」
早く迷宮に戻らなくては。
私は近くにある迷宮の入り口っぽい扉を開けようとした。しかし。
「開かない!」
「封印されていますね。
迷宮が完成するまで人を通さないためでしょう」
「こんな時に!」
私は応急処置として、シロちゃんを布に包んで懐に押し込んだ。
「もう! 何で教えてくれなかったの!?」
「いえ、連れて行くと言うので、何か理由があるのかなぁと思いまして」
「どこの世界に、親友を致命的な場所に引きずり出す悪鬼がいるのよ!」
「大丈夫ですよ。それは脳と心臓のどちらかが残っていれば再生しますから」
「そんな生々しいこと言われても嬉しくないよ!」
とにかく無事なら強引にでも溜飲を下げるしかない。怒って攻め立ててもコーネリアは何も聞き入れてはくれない。
基本的に他人が困っている姿を見て喜ぶ人間なのだ。
「……お願いだから、致命的なことは先に教えてくれるようにして」
「そうですか。では早速ですが、先程の布地では完全に光を遮断することはできませんよ」
「わぁお!」
「取り敢えずこれを布の上からかけてください。途中で採取しておいた魔物の血液に呪詛を施したものです」
「用意周到だな、もう!」
コーネリアから小瓶を受け取ると、自分の体で陽光を遮りながら赤い液体を振りかけた。
液体は見る間に広がり布を赤く染め上げた。
「これで布に呪いが定着します。ついでに内部にも血が補給されたでしょうから、しばらく太陽の下でも大丈夫でしょう」
「……どんだけ想定内なのよ。預言者か……」
私は呆れるしかなかった。
もう世界はアンタのものでいいよ。好きにしろよ。
「で、これからどうすんの? もう入れないの?」
「いえ、封印を解くのは簡単です。扉に埋め込まれているこの宝石を取るだけで事が済みますから。
しかし、一度解いてしまうと扉が開放された状態になり、再び封印を施さないと人の侵入を防ぐことができなくなります」
「封印はできないの?」
「内側に仕掛けはありませんでしたから、扉の外側にだけ施された封印みたいですね。この迷宮では内側からの再封印できません」
「ふ〜ん?」
とは言うものの、この人ならば幾らでも手段はあるのだろう。
ただ彼女は、迷宮に関係のない手段は使うつもりがないのかもしれない。
「ていうか、封印がないと何か問題があるの? 別に誰が来ても良いじゃない」
「それです。この仕掛けは、ルーナ様が一度外に出ることが前提で施されているのです。
恐らく、ある条件が揃うことで避難通路の魔法が発動して外に出られるようになっていたのではないでしょうか」
「はぁ? どういうこと?」
「ですから、外から人を招き入れる準備が整うまでは、絶対に入口は閉じたままだということです。
やがて条件を揃えたルーナ様が封印を解くことで、晴れてこの迷宮は人の出入りが可能な地下迷宮となるわけです」
また回りくどいことを。しかしそれだと一つの疑問が生じる。
「私が出る前に誰かが来たらどうするのよ。簡単に封印が解かれちゃうんじゃない?」
「そうですね。ですから隠蔽の封印も同時に施したのでしょう」
「隠蔽の封印?」
「特定の存在に目視できなくする術式です。
この封印の場合、迷宮の主であるルーナ様以外には目視できないようになっていますね」
「……じゃあアンタは何なのよ」
まあ明らかに規格外なので無視することにしよう。
「さて、折角外に出られたのですから、少し周囲の状況を確かめてみますか。
町があったら買い物もできるかもしれませんよ?」
「ふ〜ん? 町かぁ……」
記憶がないのでイマイチどういうものなのか理解できない。
コーネリアから教えられた知識では、人が暮らすために造られた、様々な営みが行われる集合体だったはずだが。
「……うん、一度は見てみたいかな」
「ではまず状況確認をしましょうか。
私たちは現在地を知りませんからね。遭難した挙句に野垂れ死に。というとてもポピュラーな昇天の仕方ができるかもしれません」
「ポピュラーなんだ……。
っていうか、この場所って森の中にあるのかな。結構広いけど、周りは木々に囲まれているみたいだし」
「山中の可能性もありますね。少し傾斜になっていますし、向こうの方向に山頂が見えます。
まあ何にせよ、お母様が選んだ場所なので人里は近いと思いますよ」
「そうだと良いけどね。じゃあこの傾斜を下っていけば森を抜けられるってことか」
取り敢えず私たちは緩やかな傾斜を下りつつ、周囲の森に入った。
意外なことに、森は思ったよりも明るかった。
木々の間隔が広く、陽光を遮る枝葉が少ないからだろう。
傾斜が緩やかで足元も良く見えるので、予想していたよりもとても歩きやすい。
まるで散歩をしながら森林浴をしているような感じで、何だか妙に心地良かった。
「うわぁ、濃厚な緑の匂い! 前の私はこんな世界で暮らしていたのね!」
「ここ、人間界ですから、多分ルーナ様は暮らしたことがないと思いますよ?
魔王は魔界に居城を構えていますから」
「……あっそ」
別に建物の中じゃなければ何でも良いじゃない。大自然を満喫していた私の喜びを簡単に打ち砕いてくれるのだから、この家庭教師は人の心を持ち合わせていない。
魔物の類だと言われても信じるね、私は。
化け物であることは確かなのだから。




