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8章 その2

 飛竜、シェールを急がせて戦場へ赴くと、大局は既に決しているようでした。

 フラドブルグの外壁門は破られ、都市はドーベンバーグ兵に制圧されていたのです。

「結界が破られていますね。あれが破られたということは……」

「どういうことなのじゃ!? いったい何が!?」

「どうやら向かうべきはお城のようですね。直接乗り込みましょう」

 都市部で戦闘された形跡は一切ありませんでした。

 シーリス王国側は、人間兵での反抗をしなかったようです。都市に火災や破壊の様子が窺えないことからも、ドーベンバーグ兵による略奪行為等もなかったのでしょう。さすが歴史と伝説の国、ドーベンバーグの民たちです。

「あそこにテラスがありますよね。そこに着地させてください。私の部屋があります」

 コーネリア様が示したのは花壇の花が咲き誇る、まるで空中庭園のようテラス。

 あまり広いとは言えないその場所に、竜は落下するような勢いで着地したのでした。

 衝突音と共にテラスに巨大な亀裂が走りますが、そんなことは気にせずにお二人は城内へと飛び込みました。

「何かあるとすれば恐らく謁見の間です。付いて来てください」

「うむ。これが貴様の部屋か……部屋?」

「ほら、急ぎますよ」

「あ、ああ。……少なくとも年頃の娘の部屋ではないな」

 姫様はもう一度研究室のような部屋を見回してから、コーネリア様の後に続いたのでした。

 間もなくして到着したのは、広く絢爛な謁見の間でございました。

 まるで舞踏場のような奥行。王の権威を誇示するかのような装飾。床や壁の高級な材質。

 そんな場所にいらっしゃったのは、シーリス王国の王族や権力者たち。

「母上! 叔父上!」

 そしてその中央に、その光景が広がっていたのでした。

床に描かれた召喚円から具現化している瘴気の渦。その中央に佇む正体不明の人影に、今まさに『ある人物』が切りかかろうとしていたのでした。

 その剣が閃き、人影の周囲を漂っていた瘴気の渦を吹き飛ばしました。

「――あれは!?」

「――――――――」

 そこに佇んでいたのは、姫様と同じ長い銀色の髪を持つ、長身の青年でした。

 華奢な体。凛々しい顔立ち。全身を覆うのは不思議な動きをする黒いローブ。

「――父上!」

とてもそのようには見えませんが、それこそが姫様の父上であらせられる魔王だったのです。

姫様の呼びかけに、室内の注目が集まりました。

「――メルクリウス! どうして貴女がここに!?」

「母上! これはいったいどういうことなのじゃ! 叔父上と共謀し、父上を弑逆奉らんとするとは! よもや簒奪者にでもなるおつもりか!」

「ち、違うのですメルクリウス!」

「何が違うというのじゃ! 伯母上を騙して軍まで動かし、あまつさえ父上に剣まで向けておるではないか! 弁明の余地もないわ!」

「――――」

 糾弾されたリディア様は衝撃を受けたようなお顔をなさります。最愛の娘に責められるのは、事実を差し置いてもさぞやお辛いことでしょう。

 そんなひびだらけの母娘の会話を、軽薄な笑顔で眺めている者がいました。

「へぇ、お嬢ちゃんが魔王の娘だったのか。道理で偉そうだった訳だ」

「貴様は――」

 先程、その所持している剣によって魔王様の瘴気を断ち切った人物。

 それは昼間に国境の町グリーグで出会った勇者だったのです。

「勇者! 何故貴様がここにいる!」

「何故って、決まってんじゃなねぇか。魔王退治だよ」

「そんなことは聞いておらん!」

「いやね。そこの二人に同行させられただけさ。魔王を退治するからついて行けってな」

「ついて行け?」

「ドーベンバーグ女王の指示だ。魔王を相手にするのだ。当然のことだろう?」

「………………」

 姫様は口を挿んできた魔族の男性をきつく睨み付けました。

 魔王を屈強にしたような外見を持つ魔族の男性、テリウス・コーム様。リディア様と行動を共にしていた姫様の叔父上殿であらせられます。

「叔父上。どういうことか説明してもらうぞ。何故、父上に刃を向けた」

「メルクリウス――いや、我が娘よ。お前には真実を知ってもらうぞ」

「はん! またその戯言か。もはや聞き飽きたぞ、叔父上よ」

 完全に敵として認識してしまったのか、嘗て叔父上殿に見せていた憧憬の表情は露のように消えてしまっておいででした。いきなり父親面を始めたのですから、軽蔑されても仕方のないことなのかもしれません。

「何のつもりか知らんが、そのような戯言は叔父上の品位を下げることになるぞ」

「メルクリウス。それが、戯言などではないのだ」

「……あ?」

「十八年前。このリディアを保護し、魔界に連れて行ったのは俺なのだ。そして、嘗ては将来を約束し合った仲でもあった」

「――――――――――」

「しかし、我らは兄上によって引き裂かれた。リディアは城の地下に監禁され、私は領地からの外出を禁じられた。そうして、我らは離れ離れになったのだ」

 無表情で語られる叔父上殿の昔語り。その真偽はわかりませんが、姫様にとって衝撃的な内容であることは確かでした。

 姫様は動揺して落ち着きを無くしています。冷静な会話が難しそうなので、コーネリア様は代わりに話を進めることにしました。

「叔母様。それは事実なのですか?」

「……十八年前の件は、事実です」

「『件は』?」

「メルクリウスがテリウス様の娘……ということは、私には正直なところ……わかりません」

「えっと、それはつまり――」

 魔王とテリウス様。どちらが本当の姫様の父親なのか、母親であるリディア様にもわからないということは――

「……はい。……そういうことです」

「それはまた厄介……ではなく複雑ですわね」

 さすがのコーネリア様も言葉に詰まりました。あまりに内情的で自分が係わって良い問題なのか判断できなかったのです。

 どちらが父親かわからない。それは、同時期に魔王と叔父上様のお二人と関係があった、ということに他なりません。

リディア様と地上で出会い、魔界に連れて来たというテリウス様。そのお二人を引き離し、自らの妃としてしまった魔王様。そこにどういう目的や感情があったのかは不明ですが、ともかく今日まで真実は闇の中にあったのです。

「……それで、ですか。テリウス様が魔王様に剣を向けたのは、メリス様がどちらのお子様なのか知るため、なのですね」

「それだけではない。兄上には、この十八年の私とリディアの苦しみを、何分の一でも構わんので思い知ってもらわねばならぬのだ」

「―――――――」

 怨恨。そして真実の究明。その二つの理由によって、テリウス様は自らの実兄に反旗を翻したのです。

 対して魔王様は、まるで何事もないように無反応でした。敵意も悪意も意に介さず、ただ立ち尽くしたまま身じろぎひとつしないのです。聞こえていないということはないはずなので、恐らくその場で展開している出来事に係わる気がないのでしょう。

「さて、お話はもういいかい? とっとと魔王を退治して帰りたいんだが」

「これは失敬したな勇者殿。始めてくれて結構だ」

 しびれを切らした勇者が歩み出ると、テリウス様はさも当然のようにその場を明け渡しました。どうやら既に魔王へ敵対することへの迷いはないようでした。

 勇者が所持していた不思議な剣を構えると、どういう理屈なのか剣から青白い光が発生します。その光には何らかの作用があるようで、周囲の空気が冷たく清浄になっていくような気がしました。

「な、何じゃあの剣は!?」

 妙な気配を感じた姫様が、今度は剣の力に不快感を覚えます。人間にとってはただの綺麗な光ですが、魔族には特別な影響があるようでした。

「あれは……恐らく神剣・明鏡止水。神様が作り出したという刃を持たない剣です」

「なに? 神剣じゃと? 実在したのか?」

「はい。ドーベンバーグに安置されていたはずです。恐らく伯母様が勇者に託したのでしょう」

「くっ、またあの方か!」

「この国に聖剣と同様、高い退魔の力を持っています。魔族の方にあれほど有効的な武器は他にないでしょう」

「どうするのじゃ!? このままでは父上が殺されてしまうぞ!?」

「……勇者を止めるか、魔王様を送り返すしかありませんね」

「奴を止めたところで叔父上が諦めんじゃろう。ここは父上に退避してもらおう」

「ではあの召喚円を無効化するしかありませんね。召喚円を構成する術式を無効化すれば、自然と元いた場所に戻ることになります」

「なんじゃ、簡単ではないか」

「いえ、あれは簡単に解除できるものではないのです。あの魔王様を召喚するほどの魔法陣なのですから、ただ解除するだけでも色々と制約があるのですよ。それに本来は契約が完遂されなければ解除されないところを、無理に消そうというのですからそれなりの手順が必要なのです」

「手順とな? 床に描かれた文字を消すとか、面倒なら床を破壊してしまえば良いではないか」

「あれは床に描かれている訳ではありませんよ。術式自体が空間そのものに張り巡らされているため、床を破壊しても無意味ですよ」

「何じゃそれは。無駄に高位な召喚術じゃのう」

「ですからあれを無効化するには、一切の間違いなく正確な手順で一文字一文字解除する必要があります」

「ふむ。当然貴様にはできるのじゃろうな。製作者殿?」

「えっと、恐らくは。私たちが構成した術式をそのまま描いているのなら問題ないのですが、どうしても描く人物の癖字のようなものが出てしまうので、少し時間がかかるかも」

 あれを施したのはこの国の宮廷魔術師長殿なのです。老人特有の達筆な文字が描かれていたら、さすがのコーネリア様も解除は難しいでしょう。

「よし。ならば我が時間を稼ごう。貴様はすぐに作業に取り掛かれ」

「了解です」

 そうしてお二人は行動を開始しました。

 コーネリア様が召喚円に駆け寄ると、姫様は衆目を集めるように仁王立ちで声を張り上げました。

「おい、勇者! 魔王を倒したいのなら、まずは我を倒してから行くのじゃな!」

「ん? 大人しくしていな、お嬢ちゃん。相手ならこのあと幾らでもしてやるからよ」

「順番が違うと言っておるのじゃ! わからん奴には実力行使に出るまでじゃ!」

 最初からそのつもりであった姫様は、流れるように呪文の詠唱を始めました。

「業を喰らいし破滅の炎よ、闇より出でて全てを燃やせ」

 言語で術式を組み立て、魔力で魔法を発動させます。

「――漆黒炎爆撃!」

名前や見た目は仰々しいのですが、威力も特殊効果もないという、暗黒魔法の最弱の魔法です。しかも長々と詠唱をしないと発動できないのですから、『魔王の娘』レベル3ぐらいの実力がわかるというものでしょう。

 案の定、黒い爆発は簡単に勇者の剣に切り裂かれてしまいました。

「何だ、思ったより軽かったんだな。こんなんじゃ足止めにもなんないぜ」

「――勇者殿。その娘は無視して構わない。それより早く魔王を」

「ああ。わかってんよ!」

 魔法を切り捨てた勇者は、再び魔王に向かって剣を構え直しました。俄か勇者だとは思えない堂々とした立ち姿は、宛ら歴戦の勇士といったところです。

「ええい、クソ! これならどうじゃ!」

 姫様は絶え間なく詠唱を唱え続け、魔力の塊を次々に放り投げました。

 嵐のような爆撃が勇者を襲いますが、威力のない魔法は簡単に切り捨てられてしまいます。

勇者は殆どその歩みを止めることなく、やがて魔王の目の前に到着したのでした。

「何なのじゃ!? 何故我の攻撃が効かん!?」

「無駄だ、メルクリウス。我々魔族は勇者と伝説の剣には敵わない。世界はそのようになっているのだ」

「馬鹿な――。コーネリア! まだか!?」

「もう少しです! あと三手順!」

「ちっ! ――漆黒爆炎撃!」

爆発が起こり。――二。

「これでゲームオーバーだ!」

 聖剣が宙を煌めいて。――一。

「終わりました! 術式緊急解除!」

――零!

 その直後、魔法陣から魔力の奔流が噴き出しました。

術式を構成していた魔力が周囲に拡散。同時に、魔王の姿が徐々に消えて行きました。

「よくやったコーネリア!」

「――――――――」

 やがて魔王が完全に消え去ると、まるで何事もなかったかのように周囲は静寂と取り戻していました。

「逃した、か――」

 テリウス様が唖然としながら呟きます。唯一にして絶対の好機を失ってしまった。そうなれば、後は絶望の未来しか残されていないのですが――

 一方その他の皆様は、状況が理解できずに唖然としていました。

 魔王が消えた。それは紛れもない事実です。それを行ったのが生贄になったはずのコーネリア様で、どうやら勇者と敵対しているらしい。

 その程度の認識では、この状況を的確に把握することなどきなかったことでしょう。

 様々な思慮が渦巻くなか、ただ一人だけコーネリア様はあるものを凝視していました。

 勇者の剣の剣先。そこから滴り落ちているのは液体ではありませんか――

 そして。



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