5章 その3
そうしてお二人はテリウス様に案内されるまま、屋敷内を移動していきました。
屋敷内は明るく清潔で、魔王城のような不気味さはありませんでした。どの装飾や調度も上品で洗練されていて、まるでコーネリア様が知っている貴族の邸宅のようでございます。
やがて到着したのは、階段を上った先にある、一つの扉の前なのでございました。
「失礼する。客を連れて来たぞ」
そう声をかけたテリウス様は、まるで慈しむような優しげな仕草で扉を開けたのでした。
そこは、どうやら寝室のようでございました。
白いレースのカーテン。落ち着いた模様の壁紙。そしてシルクのシーツで覆われた寝台。
その寝台の上に、半身を起こした一人の女性がいたのでした。
「え? お母様……?」
コーネリア様は目を疑いました。一瞬、それがご自身のお母上に見えたからです。
「……いえ、違いますね。よく似ていますが違います。ということは……」
お母上に似ている女性。それはつまり血縁者の可能性が高いということなのですが、該当する人物は極めて限られています。コーネリア様には二人のおば様がいらっしゃいまして、一人はお母上の姉上であらせられる現ドーベンバーグの女王、クラウディア伯母様。もう一人は、諸事情でコーネリア様もあったことのない、お母上の妹君様なのですが――
「……母上」
「え?」
そのときコーネリア様は、とても信じがたい言葉を耳にしました。
すぐ横で聞こえたのは沈んだような声。
その主は、渋面に眉を顰めている教え子、姫様なのでございました。
「メリス様? 母上って――」
姫様に問いかけようとしたのですが、それより前に言葉をかけてしまった人物がいました。
寝台にいるお母上に似ている女性――
「大きくなりましたね、メルクリウス。十三年ぶり、でしたか」
「………………」
それは、淡雪のように儚くも優しい声でした。
まるで愛しい者を包み込むような、そんな雰囲気が他のお方たちにも感じられました。
しかし、明らかに姫様だけはお気分を沈めておいででした。
以前も同様の表情をなされたことがありましたが、あの時はテリウス様が地上にご旅行をなされていたと知ったときでございます。
そんな姫様をしばらく眺めていた女性は、不意にコーネリア様に視線を移しました。
「そして、貴女は……あら、もしかして」
奇しくもご自身と同じ反応をなされた女性に、コーネリア様は丁寧な挨拶をなさりました。
「お初にお目にかかります、リディア叔母様。私はセシリアの娘である、コーネリア・モントリアスと申します」
「まあ、やっぱり。若い頃の姉さまによく似ていらっしゃるわ」
女性は、青白い顔をほんの少しだけ紅潮させておいででした。
「いえ。まだまだ母上には遠く及びませんわ。私も母のような立派な淑女になりたいと常日頃から思っておりますの。勿論、聡明でお美しかったと聞き及んでおりました叔母上様も、私の幼い頃からの目標でしたわ」
「ふふ、内面は全然お姉様とは違うのですね。そちらの方はサリュート王子に似たのかしら? っと、今はシーリス王でしたわね」
「そう言えば、叔母様が国をお離れになった当時は、父はまだ王位を継承していませんでしたね。あれは確か、二十年前――」
「いやいやいや、ちょっと待て! 何じゃこの会話は!? 汝ら初対面じゃなかったのか!? 何故如何にも親しげに会話を成立させておるのじゃ!?」
完全に取り残されていた姫様が、声を荒げて口を挿んできました。
「え? 確かに初対面ですが、リディア様は私の叔母様でいらっしゃいますし」
「叔母なら初対面でも仲良くできるのか!? っていうか、貴様は何故驚いてもおらぬのじゃ! 貴様の叔母は我の母上だったのじゃぞ! つまり我らは従姉妹だったのじゃ! 衝撃的な事実じゃろうが!」
「はあ、まあそうですね」
「反応薄っ! よもや貴様、知っておったのではあるまいな!?」
「いえいえ、勿論知りませんでしたよ。ただ叔母様は私のお母様に良く似ておいででしたからね。よく見るとメリス様にも似ておいでですし、これはもう従姉妹以外に考えられいと思いまして」
「だからそれで何故驚きもせぬのじゃ! 従姉妹じゃぞ! 従姉妹……って、従姉妹!?」
散々自分で言っておきながら、姫様は改めて驚いていらっしゃいました。ご本人もまだ理解はしていなかったようです。
「つまり、貴様と我は血族じゃったのか!?」
「素敵な偶然ですね」
「偶然で済ませるな!」
コーネリア様の呑気な言葉に、憤慨せずにはいられない姫様なのでした。
そう、姫様のお母上であるこのリディア・ゴーク様は、コーネリア様のお母上であらせられるセシリア・ゴーク様の妹君であったのでございます。
共にドーベンバーグ王国の王族であり、深緑の三姫と言われていたご姉妹なのでございました。
「……いや待て? 母親同士は似ていると言ったか?」
「まあ、姉妹ですし」
「だとしたら……この差は何じゃ!? 身長、体型、髪! どれもまったく違うではないか! ずるいぞ!」
「ずるいって、女性は父親に似ると言いますし、仕方ありませんよ。種族も違いますしね」
現にコーネリア様はお母上ではなく、お父上の金の髪を受け継がれております。コーネリア様に文句を言っても意味はありません。
「同じ血族の姉妹から生まれながらこの差とは……。いや、待てよ。つまり数年後には我も同様になれるという可能性が高い訳で……」
「メリス様……?」
「うむ、問題なし! そもそも人間に劣等感を抱くことが間違いだったのじゃ!」
「抱いていたんですか? 劣等感」
「んな!? 抱いてなどおらんわ! それは貴様の優越感が生み出した幻聴じゃ!」
「はぁ、まあそれでも良いですが」
姫様の場合、劣等感を抱いているのは人間ではなく体型だと思われるのですが、それを言っても怒られそうなので黙っておきます。
そうして姦しく騒いでいると、リディア様がとても嬉しそうに話しかけてきました。
「ふふ、仲良くしてもらっているようですね、メルクリウス。こうしてお姉様のお子様と出会い、親しくなれるだなんて……本当に奇跡のようです」
「~~~~~~」
そのお母上の言葉に、姫様は苦虫を噛み潰したような渋面になります。
当初は照れていたようなのですが、それが徐々に怒りに移り変わっていきました。
「……何が奇跡じゃ」
「?」
「勝手に出ていきながら何が奇跡じゃ! 貴様など我が一族の面汚しじゃ! 何故まだ魔界を追放されておらぬのかが理解できんわ!」
「メルクリウス……」
姫様の慟哭のような叫びに、リディア様は切なそうに表情を曇らせました。姫様が何を仰りたいのか理解しているだけに、罪悪感のようなものがあるのです。
「それは違うぞ、メルクリウス」
「……叔父上?」
それまで部屋の隅で成り行きを見守っていたテリウス様が声を挿んできます。
「彼女は自分の意思で魔王城を去った訳ではない。養生するために兄上に移されたのだ」
「養生……?」
「地上の者は瘴気に耐性がない。呼吸をするだけで体力を奪われていくのだ」
「そ、そんなこと聞いたことがないぞ! このコーネリアだってそのようなことは一言も言っておらんし、混血である我にも影響などない!」
「えっと、すみません。私は瘴気が大丈夫な体質のようです」
「なに? 体質じゃと?」
「魔王の娘であるお前にも影響があるはずがない。つまり、お前は自らの無知によって母親の居場所を知らなかったのだ」
「そ、んな……。本当に、瘴気の所為だったというのか。我を一人にしたのも、今まで一度も帰ってこなかったのも、それが全て原因だと……?」
俄かに信じられないような、しかしどこかで切願するような。複雑な感情が姫様の心で渦巻いておいででした。
「我はただ……捨てられたものだとばかり思っておったのに……」
「誰よりも家族を愛しているリディアが、お前を捨てて出て行く訳がないだろう。その証拠に、彼女は地上には帰らず魔界に留まっているではないか。それはお前を想ってのことなのだぞ」
「――よ、養生なら地上に帰れば良いではないか! 幾らこの辺りの瘴気が薄くとも、完全に無い訳ではないのじゃぞ!?」
姫様は当惑しておいででした。
これまで、自分を捨てたと思い込んでいたお母上が、実は体質で離れなければならない状況にあった――。それは幼い頃から寂しい想いをしてきた姫様にとって、どう対応したらよいのかわからない想定外の現実でした。
孤独しか与えられなかった日々。
求めても得られない温もり。
誇らしく伝えたかった己の成長。
それらの想いが複雑に絡み合い、怒り、焦燥、渇望などの感情となって現在の姫様を攻めたてているのです。
これまでの姫様は、その感情から目を背けてただ人間という存在そのものを忌み嫌うことで心の均衡を保ってきました。しかし真実を知ってしまった今は、そのような感情を直視しなければならなくなったのです。
「もう良いのです、メルクリウス。全て私が悪いのです」
リディア様は、ただ申し訳なさそうに瞳を伏せて語り出しました。
「確かに、魔王様は地上に戻るようにと仰ってくださいました。しかし、私は何としても貴女がいるこの魔界から離れたくなかったのです。それで少しでも良い環境の場所で、体調を回復させようとしたのですが……」
「地上ならば全快したはずじゃ! それをこのような中途半端な場所に留まっておるから!」
「そうですね。……十三年。本当に寂しい想いをさせました。この報いは何に変えても受けたいと思います。貴女は私に何を望みますか?」
「―――――っ!?」
姫様は衝撃を受けたような表情で硬直しました。
直後に我に返り、何らかの感情を吐き出そうとしたのですが、
「~~~~~~~~っ」
しかし衣服の胸の辺りを掴んで、何とかそれを押し殺しました。
「メルクリウス?」
「っ、我は、貴様には何も望んでおらん!」
「あ、メルクリウス!?」
止める暇もなく、突如姫様は部屋から飛び出して行ってしまいました。
直ぐに階段を下りる音が聞こえてきたことからも、屋敷から出て行くつもりなのでしょう。
「――あ! 私も行きますね! 叔母様、テリウス様、申し訳ありませんが失礼させていただきます!」
「――コーネリアさん!」
「……はい?」
「どうか、あの娘をよろしくお願いします。繊細の子ですから、誰か支えてくださるお方が必要なのです」
「えっと……」
どこかで聞いた覚えのある言葉だと思いましたら、部屋の隅にいたテリウス様が以前に言っていた言葉でした。図らずも同様の評価を下されたのですから、恐らくそれは強ち間違いではないのでしょう。
あのように我儘いっぱいのお姫様ですが、ここに心から心配してくれている人が二人もいるのです。彼女は決して孤独ではない。それがコーネリア様には無性に嬉しくて仕方ありませんでした。
ですからコーネリア様は、満面の笑顔で応えました。
「はい! お任せください!」
今はただ未成熟な姫様が迷わないよう、手を差し伸べ続けようと心に誓うコーネリア様なのでした。




