5章 その2
そんなお二人の事情など関係なく、やがて竜は広大な森へとたどり着きました。
見渡す限りの白い森。まるで雪が積もっているようですが、この灼熱の魔界に雪が降るはずがありません。実際は脱色したような木々が膨大に生い茂っているだけなのです。
「綺麗ですね。これが漆黒の樹林なんですね。……全然黒くはないですが」
「ああ、何かの理由で変色したと聞いたが……。なんだコーネリア、貴様も理由は知らんのか?」
「そういえば……。何の書物にも記載されていませんでしたね。……つまり、もしかしたら『あれ』なのかも」
「あれ?」
「実はですね、この世界には中枢の機能を成り立たせている体系があるのですよ」
「ああ? 何じゃって?」
また理解不能なことを言い出したと、姫様は嫌気がさしたような表情になりました。
「分かり易く言うと、世界には何者かによって構成された基本的な構造があるんです」
「ちっとも分かり易くない」
「――つまり、世界の理にはまだ我々が知らない秘密が隠されている、ということですよ」
「秘密?」
「重力によって物が下に落ちるように。動植物が食物連鎖で成り立っているように。それらは絶対に覆ることのない世界の理ですが、それとは別に世界を構成している『決まり事』があるんです」
「それが?」
「はい。それが世界の体系です。この世界の体系はとても恥ずかしがり屋さんのようでして、不思議なことに全ての媒体において記録を残すことができないんですよ。紙にも、石にも、地面にも」
「何じゃそれは。どういうことなのじゃ?」
「消えてしまうんです。その現象を何かに記そうとすると、直後に元の何もない状態に戻ってしまうのです。ペンで書こうとしても、石壁に刻もうとしても、ですね」
「ん~~? いまいち想像できんな」
「ですよねー。私はその恥ずかしがり屋の現象も、世界の体系の一つだと考えています」
「記載できないことがか?」
「そうです。このように口伝では大丈夫なのですけども、記録にしようとするのはダメなんです。ですから、どのような書物にもこのことに関しては記録されていません」
「――ならば何故貴様はそれを知っている」
「世界各地で同じような事例が結構あるんですよ。記録にはない、記憶のみの現象が。私、それこそが世界の真実を解き明かす鍵なのではないかと考えています」
「世界の真実ぅ? それに何か意味があるのか? 我らの生活には縁遠いものじゃろう」
「いいえ。それこそが私たちの生活に最も重要なことなんです。何故なら人間と魔族の関係こそが、その世界の体系の一つなのですから」
「何じゃと?」
「メリス様は魔族の発祥って、分かりますか?」
「いや。そんな記録は残されていないと―――あ?」
「そう、魔族の方々が初めて記録に現れたのは約二千年前。それ以前の記録は何もないんです。つまり、世界の体系に関係している可能性があるんですね」
「なんと……」
そう。魔族の発祥はわかっていません。人間の発祥は進化とも突然変異とも言われていますが、過去を遡れば一万年以上前にはその存在が確認されています。
「これは私見ですけど、魔族の方々には何か重要な役割があるのではないでしょうか。それが世界に係わるものなのか、人間に係わるものなのかはわかりませんが、ともかく何かの役割を果たすために、何処からやって来たのだと思います」
「役割……」
「何かお父様から伺ったことはありませんか? 定期的に行われる行事や、決まり事。日常生活においてよく言われる注意事項、習い事、礼儀作法。そんな感じの何かを」
「……いや。我は魔王の継承を拒んでおるからな。そういうものには端から聞く耳を持っておらんかった」
「そ、それもどうかと思うのですが……」
「やかましいわ。継がぬなら知っていようが関係ないではないか」
「まあそうなんですけど」
何て勿体ない人生を歩んでいるのでしょう。折角、魔王という知識の宝庫が近くにいるというのに、今までそれを無視して生きてきたとは。コーネリア様にとって、それは金の延べ棒を漬物石にするよりも勿体ないことでした。
そうしている間に、やがて前方に巨大な石柱のような物が見えて参りました。
「お? 見えて来たぞ。あの中心にあるのが魔昇の門じゃ」
「あれが……あ、そう言えば」
「何じゃ?」
「少し寄り道しても良いですか? 少々気になることがあるんですけど」
「寄り道じゃと? この辺りでか?」
「はい。その魔昇門から北の方に向かってください」
「……む? 見たところ森しかないが?」
「ですね。とにかく行ってみてください」
「まあ良かろう」
そうして竜は若干の方向転換をして、石柱の北側に向かい進んでいきました。
景色は相変わらず白い木々が延々と広がっているだけです。
しばらく進むと、コーネリア様の感覚が何かを捕捉いたしました。
「……あら? 何か魔力の気配を感じたような」
「どこじゃ?」
「そっちです。そのまま下の方に進んでください」
コーネリア様の仰られた通りに、竜は地面に向かい降りて行きました。
「――っ! 止めてください! 何か様子が――」
「そんな急に止まれ――」
竜を羽ばたかせて何とか降下を止めようとしましたが、どうやらその行動は少しだけ遅かったようです。
「――――――――」
止まりかかった竜の足に何かが触れました。
その瞬間、竜の全身に電撃のようなものが走り、竜は喉の奥から苦しげな悲鳴を上げました。
クキャァァァァァァァッ!
「シェール!?」
「多分結界です! 離れてください!」
「シェール、上昇じゃ!」
姫様の命令で上昇すると、幸いなことにピタリと稲妻の迸りは止まりました。肉眼では何もない空間に見えますが、どうやら触れたもの撃退する結界が張られているようです。
「ふぅ……。こんな場所に結界とは。この中に何があるんじゃ?」
「わかりません。何があるんでしょうか?」
「ああ? 知っているから向かったのではないのか?」
「いいえ。書庫で少しだけ気になる書類を見かけたもので」
本当はテリウス様のことが気になったからなのですが、姫様には黙っておくことにしました。
「とにかく降りて調べてみましょう。何かわかるかもしれません」
「うむ。シェール、あの辺りに降りるぞ」
竜はその場から少し旋回すると、姫様の命令通り結界があると思われる場所から離れた森の中に着地しました。
周囲を見渡すと、白い木が生い茂る薄暗い森でした。豊富な葉によって空の赤光は遮られ、その光は地上にまで届いてはいません。反射率の良い白い樹皮でも森を明るくすることはできていないようでした。
「……確かこの辺りじゃったか。完全に景色と同化させているようじゃな」
「あ、メリス様。その三歩先に結界があります。気を付けてください」
「っと。この近さでも我には感知できんか。いったい何者が仕掛けたのじゃろうな。これは相当高水準な結界じゃぞ」
魔王の娘が感知も目視もできないのです。余程の術者が関与しているに違いありません。
「メリス様は心当たりがありませんか? これだけの結界を張れるお方なら、名の知れたお方のはずなのですが」
「……いや、知らんな。そもそも我は、家臣のこともろくに知らんしなぁ」
「うわぁ、さすがメリス様! そのブレのないご様子。さすがです!」
手を合わせて感心するコーネリア様。天然なのか馬鹿にしているのかは不明です。
「……まあいい。で、どうする? 貴様はこの中に入るつもりなのか?」
「はい、できればそうしたいのですが」
「そうか。では待っていてやるから、とっとと入ってこい」
「え~? 結界の解除とか手伝ってくれないのですか~?」
「興味がない。面倒臭い。胡散臭い」
「にべもありませんね……」
「別に我が手伝わなくとも、貴様なら幾らでも手段があるじゃろうが」
「簡単に言わないでくださいな……」
書庫の所蔵を全て読破した以降、すっかりコーネリア様に対する認識は『生活百科』的です。
食材の貯蔵法や、料理の豆知識などはわかりますが、さすがに結界の解除ができるかといえば、そんなはずがありません。
「確かに手段なら幾つかありますが、私には魔力がありませんからね。結界のような複雑な術式は魔力がないと対処しにくいんですよ」
「面倒じゃのう。こういうことはあまり好きではないのじゃ……ん? これは?」
「?」
ふと、結界に近づいていた姫様の動きが止まりました。そのまま押し黙って何かを考えていたのですが――
「この結界。我には解除できそうじゃぞ?」
「……はい?」
「術式が我が一族のものと酷似して――いや、そのものじゃ」
「ではこの結界を張ったのは」
「我が血族の可能性が高い。古くはないので、父上か叔父上か……」
「…………」
姫様の言葉で、コーネリア様はその結界がテリウス様の施したものではないかと考えました。
最初から彼が関与していたことは知っていたので、当人が誰も近づけさせないように施したと考えるのが妥当だったからです。
だとしたら彼のためにも不用意に解除しない方が良い。
そう判断したコーネリア様なのですが。
「ほれ、解除できたぞ」
普段はやる気のない姫様が機敏に行動したのでした。
「あ~あ」
「何じゃその反応は。ほれ、行くぞ! 叔父上がいるかもしれんのじゃ!」
姫様は一目散に駆け出していました。
現在、お父上であらせられる魔王様は地上にいるため、コーネリア様と同様にテリウス様の結界だと判断したようです。しかしその後に考えることが真逆なところが、姫様とコーネリア様の違いなのでしょう。
そうして木々の間を少しだけ抜けると、その向こうに貴族の別宅のような屋敷が現れたのでした。
「おお~。屋敷じゃ。屋敷があったぞ」
「こんな場所にお屋敷……。これがあの会計書の物件なのでしょうか」
妖魔総連の会計書。それは複数の企業やギルドを束ねる公的機関、妖魔総合実業連盟が報告を義務付けている書類の一つです。基本は、虚偽・偽装・捏造が認められているという、殆ど無意味な規則の書類ですが、本来の目的である活動実態や人員を確認することができているため問題はないのです。
「取り敢えず入ってみるか。さすがに罠まではあるまい」
「あ、勝手に開けてはいけませんよ。ちゃんとドアノッカーを四回叩いてくださいね。基本的な礼儀作法ですよ」
「……ノッカーを叩く魔王の娘。その方がダメのような気もするがな」
そう言いつつも、姫様は素直に真鍮製の悪魔型ノッカーを叩いたのでした。
しばらくして扉を開いたのは、予想通りと言いましょうか。
「お前たち、何故ここに――」
「叔父上こそ何故このような場所に?」
姫様の叔父上であらせられる、テリウス様なのでございました。
彼は余程予想外であったのか、姫様たちの姿を見て大層驚いていらっしゃいました。
ですがそれも短時間のことで、すぐに平常心を取り戻して姫様の質問に返答します。
「俺はここに用事があったのだ。ここには知人が暮らしていたからな」
そう言ってから、彼はそれとなくコーネリア様の様子を窺いました。コーネリア様がどこまで説明をしているのか気にかかったようですが、すぐに先程の「何故このような場所に?」という言葉で何の説明もしていないことを悟ったようでした。
「それよりお前たちこそ、何故ここにいるんだ。この場所は誰も知らないはずだが」
「え? えっと、我らは……」
今度は姫様が動揺してコーネリア様を窺う番でございました。
地上に遊びに行くついでに、こいつが『寄り道をする』などと言い出した、とは言えないので、姫様は適当に偽造することにしたようです。
「この場所にはコーネリア『が』行きたいと言うので『仕方なく』連れてきてやったのじゃ」
「――ええっ!? 何ですか、その自分は無関係とばかりの説明は!?」
「事実であろう。結局は貴様が主張したのじゃ。我の意思は微塵もないわ」
「う……。ここまで来たことは棚に上げてしまうなんて……」
「参ったか! ふはははははっ!」
姫様はさも愉快そうに笑い飛ばします。コーネリア様が姫様のために事実を言わないことをわかった上で、これ幸いと普段の逆襲をしているのです。
恩を仇で返す所業。さすが姫様です。
「……はあ。来てしまったものは仕方ないな。まあ、お前たちにも無関係ではないので、別に構わんだろう」
「お前たち? メリス様はともかく私もですか?」
「………………」
「テリウス様?」
「……案内する、ついて来い」
どうやらコーネリア様の質問には答える気はないようです。恐らく案内された先に、その答えが待っているのでしょう。
戸惑うコーネリア様を、姫様が楽観的に呼びかけます。
「ほれ、ぐずぐずするなコーネリア。何やら面白そうではないか。そこまで気にするようなことでもなかろう」
「はい……」
考えていても仕方がないので、意を決して歩き出すコーネリア様なのでした。




