5章 その1
第五章 従姉妹には幸福を
「うがぁぁぁっ! 何じゃ貴様は!? 口を開けば勉強勉強と! 我を殺す気か!」
癇癪を起した姫様が奇声を発します。数時間の勉強で根を上げた姫様は、今にも教科書を燃やし尽くそうな勢いで暴れておいででした。
そこは姫様の自室。コーネリア様によって運ばれた机と椅子が窓際に設置され、勉強ができる体裁が整えられているのでした。
コーネリア様自身は書庫か執務室にこうした場所を設けたかったようですが、姫様が「辛気臭い」と断固として反対なされましたので、こうして姫様の慣れ親しんだ自室が選ばれたのでした。
「もう、メリル様! まだ一日も経過していませんよ! そんなことでは知識を身に着けることなんてできませんからね!」
「阿呆か貴様は! まる一日も勉強し続けたら死ぬわ! その間、休憩も食事も取らぬとは、我を即身仏にでもするつもりなのか!?」
「まさかぁ。一日ぐらいで死ぬ訳ないじゃないですか。私なんか三日間、飲まず食わずでも平気でしたよ?」
「それは貴様が異常なだけじゃ! 不眠不休じゃと!? せめて水と塩分ぐらいは摂らぬか! 本気で死ぬぞ!」
「でも水分は書物の大敵ですし……」
「外に出んか! 何故に書庫で生きて行こうとするのじゃ! 紙魚か、貴様は!」
「あ、それは良いですねぇ。来世は本の虫になりたいです」
「今でも立派な本の虫じゃろうが!」
この虫の厄介なところは、情報を食べるだけで本気で生きていけると思い込んでいるところです。多分、そのうち誰にも気づかれず孤独死することでしょう。
その光景を想像して愉快なんだか陰鬱なんだかよくわからない気分になった姫様は、それらの一切を吹き飛ばすために頭をブンブンと振りました。
「よし! このまま引き籠っていては肉体にも精神にも良くない! 外へ行くぞ!」
「え~? お勉強は?」
「今日は終いじゃ! 無理に詰め込んでも知識にはならん! 気分転換も必要なのじゃ!」
素晴らしい自分論理で勉強を打ち切ろうとする姫様。それこそが姫スキルなのです。
「でも勝手に出かけてしまってよろしいのですか? 私は一応生贄なのですけども」
「構わん! 放任主義の父上は、我がどこに行こうが気にはせん。ならば付き人の外出が認められん訳がない!」
「はあ。本当にいいのでしょうか……」
いまいち信頼できないのでございました。
そんなコーネリア様の疑心など全く無視して、姫様は窓の外に向かって指笛を鳴らしました。
その音が魔界の赤い空に響き渡りますと、やがて緑色をした一匹の怪獣が羽ばたきながら現れたのでした。
「……あれは?」
「飛竜じゃ。竜の中でも小型の部類である劣風竜じゃな」
空飛ぶ蜥蜴は窓の前まで来ますと、羽ばたきながら空中で停止いたしました。
「ほれ、行くぞ。空中散歩というものを体験させてやろう!」
コーネリア様の腕を掴んだ姫様は、窓枠に乗り上がってその腕を引っ張り上げました。
そして、何の躊躇もなく外に向かって飛び出します。
「それ!」
「わわ!」
お二人が空中に躍り出しますと、全身に魔界の風が吹き付けてきました。
そうして少しだけ落下した後、見事竜の背中に着地できたのでした。
「よっと。久しいな、シェール。元気にしていたか」
竜に声をかけながら優しく頭を撫でます。すると竜は嬉しそうに高い声で嘶きました。
「どうじゃ、可愛いじゃろう」
「はあ、まあ。可愛いと言えば、可愛いですが……」
しかし敢えて撫でようとは思えません。何しろ足場が既に爬虫類なのです。
鱗に覆われ、硬くも柔らかくもない妙な感触。ある意味、寝台にするには丁度よさそうですが、寝転がる気にもなりませんでした。
「よく懐いておいでなのですね。やはり卵から孵化させたのですか?」
「いや。成竜を捕獲したのじゃ」
「あら? 珍しいですね」
「珍しい? 何が珍しいのじゃ?」
「以前『飛竜騎兵の書』という書物を読んだことがあるのですが、そこには成竜は知力が高く懐きにくいため、卵や幼竜などを捕獲して育てると、記載されていた記憶があるのですが」
「そういうことか。まあ、人間が魔物を使役するには所詮その方法しかないじゃろう。じゃが魔界には弱肉強食という絶対の掟がある。他者を従わせるなら面倒なことをせず、力で屈服させれば良いのじゃ」
それはどのような下等生物にも本能的に備わっている単純な理でした。
他者を従わせるのなら、常に強くあれ。それが理解できているからこそ、負けた魔物は強者に命を委ねるのです。
「こいつもそうじゃ。屈服させて大人しくなったところを、我の特殊技能で使役してやったのじゃ」
「特殊技能? そう言えばメリス様のはまだ知りませんでした」
「ふむ、聞いて驚け。我の技能は『万古なる疎通』と言ってな、この世のあらゆる生物と対話ができるのじゃ」
「あらま!?」
それは何て素敵な才能でしょう。コーネリア様は初めて姫様に羨望の眼差しを向けました。
そういえば姫様の部屋には小動物が溢れていましたし、恐らくその能力に因るものなのでしょう。
「まあ魔王の血統であるが故じゃな。屈服させた者に限るのじゃが、一度契約した者はいつでも召喚できるという特性もある」
「そ、それは便利!」
コーネリア様の頭の中に、可愛い動物たちと戯れるご自身の姿が思い浮かびました。そんな素敵な世界が実現できるのかもしれないのです。どうにかしてお願いしてみたいと思うコーネリア様なのでした。
そうしてコーネリア様が妄想していると、話は終わりとばかりに姫様は竜の操縦に取り掛かりました。
「よし、では出発するぞ。行け、シェール!」
角を掴まれた竜は気高く嘶き、大きく羽ばたいて上昇を開始しました。
高度が高くなるにつれ魔界の景色が徐々に広がって行きます。
鮮血のように赤い空。燃える大地。焼け焦げたような煤けた森林。漆黒の山脈。
地上とは明らかに違う景色に、コーネリア様は感嘆の声を漏らしました。
「うわぁ! これが魔界なんですね! 空が赤いのは瘴気の影響なのでしょうか! あの山は溶けた鉄が――」
「ほれ、しっかり掴まっておれよ! 振り落とされても知らんぞ!」
「あ、ちょっと待ってください! この谷の向こうをもう少し先を見てみたいのですが」
「知らん! 外にまで来て地理の勉強などしたくもないわ!」
そういうと、竜は滑空するように疾走を始めました。二人に強い風圧が襲い掛かりますが、吹き飛ばされる程ではなかったので注意さえしていれば落ちるということはないでしょう。
竜の前進と共に、景色が次々に移り変わって行きました。
さすが魔界というだけあります。ただ存在するだけで凄い威圧感を発しているのですから、まるで世界そのものに意思があるように思えて仕方ありません。
「あ! あそこにあるのは終焉の毒沼ですか!?」
「知らん! が、確かそんな名前だったような気もする!」
「他の魔界から攻めてきた軍勢を、魔王様が返り討ちにした最終決戦の場所なんですよね!」
「だから地理の講釈など――」
「地理ではなくて歴史ですよ! これまで数度行われた崩魔王の侵略! その中で最も中心部に進攻されたのが、この地で終戦を迎えた三回目の進軍だったと言われていますね!」
「知らん知らぁん! そもそも何で人間の貴様に魔界の歴史を教わらねばならぬのだ!?」
「あら! 歴史って現在を知る意味で重要な事柄なんですよ! 実物が目の前にあるのですから、現地実習する良い機会だとは思いませんか!」
「お・も・わ・ん!」
どうやら完全に聞く耳がないようです。それでもコーネリア様は続けようとするのですから、彼女の神経も太いのでしょう。
「歴史には改竄とか捏造とかもありますけれど! 実地調査や他の国の文献を調べることで真実が見えてきたりもします! 隠された真実を解き明かすのも面白いものですよ!」
「ピュ~ピュ~(口笛)」
「メリス様、知っていますか!? 歴史って時間が経てば経つほど近づいて来るんですよ!」
「……はあ!?」
「生きていると嫌でも過去の知識は蓄積していきます! すると、過去の出来事が遠い昔ではないように感じるようになるんですよ! 『過去と現在は地続きである』! 私、それが理解できたときが、大人に成るってことだと思うんです!」
「…………」
コーネリア様の表情は、本物の教師のように知的な笑顔を湛えていました。まだ教育係になって数日ですが、教えている間に教師としての自覚が目覚めたのかもしれません。元々世話好きの性格だったので、その辺りも作用しているのでしょう。
「……ふん」
姫様はつまらなそうに前方に向き直りました。
その後ろ姿からは何を考えているのかは読み取れませんが、これで少しでも学ぶ気にでもなってくだされば、こうして話した甲斐もあるというものです。
そうしている間にも、竜はグングンと進んでいきました。様変わりする景色は面白いのですが、さすがに延々と飛び続けるのも飽きてきます。
「そう言えばどこに向かっているのですか!? もうお城から結構離れたと思うのですが!」
「ん? まだ言っていなかったか!? それはな……地上じゃ!」
「……………はい!?」
「魔昇の門を通り地上に行くのじゃ!」
「は、はい!? それはよろしいのですか!?」
「構わん構わん! 叔父上が行き来しているのじゃ! 我が咎められる謂れはない!」
「そ、そうですかぁ……?」
「ともかく行くのじゃ! 後のことなど知らん知らぁん!」
「え~~~!?」
さすが姫様。豪胆に道を突き進んでおります。
それに対し、どうせ怒られるのは自分なんだろうな、と考えている付き人のコーネリア様なのでした。
「でも何で地上に!? 以前は何だか嫌っているようでしたが!」
「――べ、別にお前の話を聞いて考え直したわけではないぞ! ただ後学のために太陽というヤツを見ておくのも悪くはないと思っただけだ!」
「太陽? ああ、そう言えば魔界には太陽はありませんでしたね!」
「他には地上の食物も研究すべきじゃな! 人間どもの食文化を知ることで生態を知ることができるかもしれんからな! 特に何とかという赤く甘い果物というのが――」
姫様、夢想してウットリしておいでです。何かコーネリア様のお話で気に入った内容のものがあったのでしょう。
どうやら勉強もただ聞き流しているだけではなさそうなので、そんなことで少しだけ安心したコーネリア様なのでした。




