第九話
(むっはー! ついにカフェーか!!)
公成は本邸で開催される鷹城家の行事に参加している。
志津子さんには、若様を置いてカフェーなど言語道断と言われていた。
栞が怒りにまかせて洗濯をしていると、なぜか公成がカフェー行きを許可してくれた。
千代から泣き落としをするなと忠告されたが、栞も十五歳だ。そんなことはしていない。
「なんだか嬉しそうだな」
「いえ、そんなことはありません」
今にも泣きそうな公成を見て、思わず顔を背ける。
栞は知恵比べの仕返しができた気がして笑いそうになったのだ。
「若様、それでは失礼致します」
「頼んだぞ」
公成の言葉に御者が頷くと、鷹城家の馬車が滑らかに走り出す。
いつまでも立ち尽くす公成を見ていて、少し申し訳ない気持ちになった。
やがて街へ出ると、家紋を見た女学生から黄色い声が上がった。
「あの人影、公成様じゃない!?」
「きゃぁあああ」
公成の身長と栞の身長は十寸くらい離れている。だが、その差は座ると半分くらいになる。とはいえ、あんな肩幅の広い男と間違えられるのは不愉快だ。
(残念でした)
栞は、出かける前に公成から渡されたシベリアを食べていた。
少し前は借金取りに売られていたことを思えば、天国のようだ。
「優雅だ…三度目の正直とは上手く言ったものだな」
「二度あることは三度ある、ですよ。栞さん」
「ははっ、千代は聡いなぁ。でも現実は喜劇ではないのだよ」
千代も栞と二人きりのときは寛容だ。
「千代は語り継がれる女中頭になると思うよ」
「私は一介の女中にすぎません。若様が試験で選んだのは栞さんなんですよ。自覚が足りません」
千代も含めて女中たちは妄想が豊かだなと思う。
公成にとって栞は科学雑誌の仲間か、せいぜいカフェーに集まる一人くらいのはずだ。
最近は距離が近くなってきているが、それは女学校の友達もそうだった。
(千代も耳年増になりつつあるな)
幼い先輩に癒されつつ、先日カフェーの下にある書店で公成が購入した科学雑誌を読んでいる。
シベリアを口に放り込み、ただカフェーに着くのを待つ。まさに至福の時間だ。
段差なのか馬車が僅かに跳ねる。
座席に置いていた警察の捜査資料が足元に落ちてしまった。
拾おうとして、開かれたページに映る白骨の拡大写真に見入った。
(あれ、この骨って)
理由はわからないが、強い違和感を覚えた。
骨を外へ運び出した時に、警察が配置を間違えたのかと他のページを見ていく。
違和感が少しずつ姿を現しはじめた。
人間の骨の数は決まっていると読んだことがある。
(もう一人いた、のか)
あの白骨遺体は井戸の横穴にあった。しかし、実際は穴を造った時の廃材で隠れるように横たわっていたと後輩氏が言っていた。
そのため、女中たちが遺体を発見できなかった。
仮に警察が骨を紛失することはあっても、増えることはないはずだ。
全体写真と見比べるが、薄暗く揺れる馬車では見るものも見れない。
山村先生よりも先に、父へ見せたほうがよかったかもしれない。
「栞様、少し飛ばします」
御者が馬を叩いて速度を上げた。
その拍子に座席へシベリアを落としてしまう。
「ど、どうしました?」
「尾けられております」
後方の車窓カーテンを少しだけ持ち上げると、馬車と自転車に追いかけられていた。
栞は、骨に触れるなという警告を思い出していた。
「このまま、鷹城邸へ引き返します。カーテンをお閉めください!」
どうやら今回もカフェーをあきらめるしかない。栞は行事に参加する運命だったようだ。
それにしても迷惑な追跡者だ。特徴から何かわかるかもしれない。
栞は座席から腰を上げて、振り返ろうとした。
その時、馬の嘶きがとどろき、馬車が大きく傾いた。
栞の身体が窓へ投げ出される。
「栞さん、危ない!」
千代が咄嗟に栞の着物を掴み、力いっぱい引き戻した。
栞は間一髪で窓への激突を免れ、座席へ背中から倒れ込む。
しかし、その勢いで今度は千代が身体を振られた。
小さな身体が馬車の壁へ叩きつけられ、そのまま座席の角へ頭から落ちた。
「千代!!!」
慌てて千代を抱き抱える。
ぐったりとしたまま、千代は動かない。
「お二人とも、お怪我はございませんか!!」
栞もまた頭をぶつけたらしい。軽い目眩を覚えていた。
千代はまだ動かない。慌てて口元に手を当てる。
(息はある、意識を失ったのか)
馬車は完全に止まっている。すぐに逃げた方がよい。
追跡者を思い出し、後方にあるカーテンの隙間から様子を伺う。
彼らは近くまで迫っていた。
千代を抱えたまま、片手で捜査資料を掻き集め、座席へ置いた。
御者のいる前方を見ると、姿が見えない。
(逃げたのか?)
座席に膝をついて前方を覗き込む。
御者は地面に転がったようで、頭を押さえながら起き上がっていた。
馬車の前には大八車が道を塞いでいる。
(確実に狙われてるな)
『骨に関わるな』という警告は、いつ届いたのだろうか。
骨が警察の手に渡っているとわかれば、栞を襲う理由はないはずだ。
「さあ、栞さま、こちらから外へ!」
御者が前方の開放部から手を差し伸ばす。
ふと御者が共犯である可能性について考えた。
「それでは、まず骨の写真をお渡しますね」
「いいえ、栞さまからです。私は貴女の護衛を兼ねております」
この御者は家令といるのをよく見かける。
女中たちによれば何世代にも渡って鷹城家に仕える一族だ。彼を狙っている女中も少なくない。
何より骨の件は、千代と無関係だ。彼に預けても問題ないだろう。
「そうですが、ではまず千代から。意識を失っています」
「か、かしこまりました」
御者は千代を御者台に寝かせると、再び手を伸ばした。
「さあ、栞さまも!!」
「もう間に合いません。千代を連れて逃げてください!」
御者が困惑した表情を浮かべて、馬車の後方を見る。
「しかし、公成様から栞さまを守るよう仰せつかっております」
「このままでは全員が捕まります。千代を連れて逃げてください。そして助けを呼んでほしい」
そういって、栞はシベリアが入っていた化粧箱を渡す。中身は空だが、風呂敷で包み目立つようにした。
「こちらは?」
「逃走中に、この包みを川や草むらへ投げ込んでください。時間を稼げます」
御者が苦虫を噛んだような顔を浮かべる。
千代が幼いといっても抱き抱えての逃走は厳しいだろう。
そこに栞を加えての脱出は不可能に近い。
「さあ、行って!」
「…失礼致します!」
御者が千代を抱き上げて走り出すのを見届ける。
すぐさま栞は頭のリボンを外して、捜査資料と一緒に座席の下へ隠した。
そして、御者台に足を置いて外へ脱出する。
「おい、あそこだ!」
「先へ回れ!!」
栞は地面へ降りると、御者とは反対方向の京橋へ向かって駆け出した。
橋の向こうには、あと少しで辿り着くはずだったカフェーの看板が見える。
(三回目はカフェーの建物にも入れないのか)
栞の喉から風を切る音が聞こえる。
女中とは思えない服の重さが体力のない栞を追い詰めていく。
京橋の袂まで来ると、追手の怒鳴り声が近づいてくる。
着物の袖を掴まれ、派手に転倒した。
(いってぇえ)
額を切ったらしい。
地面に血がぽたぽたと落ちていく。
「せいっ!」
栞は分厚い書籍を京橋川へ放り投げた。
空中で表紙が開き、書籍だとはっきりわかる形で川へ落ちていった。
「あ! こいつ、本を投げたぞ!」
「黙っときゃいい、おらたちゃ捕まえるのが仕事だぁ」
栞は川へ沈んでいく科学雑誌を見て、強い悲しみを覚えた。
(読みたいページから読めばよかった)
強引に着物を掴まれて、起き上がらされる。
今にも壊れそうな幌馬車が近づいてきた。
栞は羽織を脱がされ、見知らぬ上着を着せられた。
(私は攫いやすいのだろうか)
今度こそ女衒にでも売り飛ばされるのだろう。
ぶつけた頭部の痛みで、意識が薄れていく。
もし次があるのなら、今度は護衛…いや、公成と一緒に行こう。
———酷い匂いが鼻を刺激する。
顔をしかめながら目を開けると、牛舎のような場所に寝かされていた。
後ろ手を縛られている。着衣に乱れはない。襲われてはいないようだ。
薄暗い小屋からは、外の様子はわからない。
耳を澄まして、どこにいるのか確認しようとすると、嫌な息遣いが近づいてきた。
「おい、その娘に手を出すなよ」
「わわわ、わかっとるだあ。良い匂いだったから、ちょっと嗅ぐだけだあ」
三十過ぎに見える農民のような男が鼻を鳴らしながら栞の前に立っていた。寒気のする視線を送ってくる。
力のない小柄な栞は、押し倒されたら逃げられないだろう。
しかし、栞は縛りの甘い縄をすでに解いていた。
この縄をして動けないという誤認を使って逃げる。最初が肝心だ。
(いつ抜け出すか)
小屋の背後から大きな金属音がした。自動車だろう。裏手は道のようだ。
その音に慌てた様子の二人組が建物の入り口へ駆けていく。
(今しかない)
栞は革靴を脱ぐと、音を立てずに背後の藁を登った。
天井付近にある狭い空間から抜け出す算段だ。
運動音痴な栞は小屋の壁に膝を打ちつけ、太鼓のような音を響かせた。
「おい! 娘え何しとっど!!」
「ははっ」
その拍子に栞はバランスを崩し、身体が小屋の外へと傾いた。
慌てて牛小屋の壁を掴んでぶらさがる。
外には自動車が止まっていて、その横に背の高い洋装の紳士が立っていた。
「なにしてるんだい?」
「あの、誘拐されまして」
その紳士は頬を膨らませたと思うと、笑い出した。
「それは困ったね、助けてほしいかい?」
「そうですね」
「それなら屋敷に来るかい?」
「安全ですか?」
紳士は笑顔で頷く。
農民男の息遣いを思い出して覚悟を決めた。
「ほら、おいで」
「手を離しますよ」
紳士に抱き抱えられ、車へ案内される。
栞は遠慮がちに座席の端に座った。
しかし、紳士は栞の隣へ詰めて逃げ道を塞いでくる。
予想外の行動に、栞は身を小さくした。
紳士は前屈みになると、顔を覗き込む。
「ところで、写真はどこへやったんだい?」
◇◇◇
第九話 カフェーへの道中




