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第八話

「栞さん、若様に気に入られたのね!」

「まさかの玉の輿!?」

「まだ三ヶ月目なのに? 私なんて三回目の奉公よ」


神隠しが不問となったとはいえ大胆な発言である。

栞は公成付きとなったが相変わらず女中部屋で寝泊まりしていた。

しかし、お仕着せが大幅に変わってしまい女中たちの話の種となっている。


「ねえ、二人で逢引きしてない?」

「そうなの!? どこよ、どこに行ってるのよ」


栞は、若様付き女中になる条件を出したのだ。

そして、それを公成に約束させた。



———女中試験の翌日。


「カフェーに行きたい?」

「はい、週に一度だけでも」


栞は公成付きの女中になるのであればカフェーに通いたいと申し出た。

我儘であることは承知だが、離れで一人女中を続けるのも気が滅入る。


「だめだ。そんな如何わしいところ」

「……如何わしいところ? 雑誌の読みすぎです」


栞の行きたいカフェーは、海外の新しい情報や知識人が集まる宝箱のような由緒ある場所だ。一部の雑誌が取り上げる女給が接客するカフェーと一緒にしないでほしい。


公成は書斎の窓辺に立って珈琲を飲んでいる。座って飲めばいいのに。

しばらく公成は考え込むと、わざとらしく手のひらを叩いてみせた。


「わかった。ただし、俺も同行する」

「はい?」

「なんだ、不満そうだな」

「栞さん、ダメですよ。そういう態度は」


背後から千代の声が聞こえた。

神隠し騒動によって、女中たちが新人の素振りをしなくなり、千代が先輩だったことがわかった。栞は、三つ下の千代から仕事を教わっている身だ。


「そうね、お千代。カフェーに行く時は貴女も行きなさい」

「志津子さん、よろしいのですか?」

「よかったね、千代」


志津子は若様付きとして配属された。

公成は一名と宣言したが、さすがに十五歳の栞だけでは頼りないという話になり、志津子と千代が加えられた。

志津子はこの離れにおいて、女中頭に近い立場となる。

次の女中頭と噂されていたので納得の人事だ。


(こうして三ヶ月目も下っ端の女中なのであった)


そんなことをしていると、公成が帽子を選んでいた。

栞を見て不思議そうな顔をしている。


「何をしている、カフェーに行くんだろ?」

「ぅおお!」

「お待ちください!栞さん、お支度をしますよ」


栞は千代に手を引かれて書斎を出ていく。

お姉さんなので、少ししっかりしたところを見せたいところだ。


離れの女中部屋は一階にあった。

建物自体が洋式なので、カーテンがあるなど洒落ている。

ここで栞と千代は寝泊まりすることもできる。しかし、女中頭の目が届かないという理由で以前の女中部屋で寝泊まりをしていた。

この部屋の奥は、志津子の執務室と繋がっていた。


「栞さん、お千代、新しいお仕着せを部屋に用意してあります。すぐに着替えて頂戴」

「「はい」」


柳行李を開けると、見慣れたお仕着せとは異なる着物が畳まれていた。

濃紺の地に、銀鼠の細い縦縞がすっと走る縞御召。その上には、同じく濃い色合いの羽織まで重ねられている。

栞でもひと目でわかる。女中の仕事着にするような代物ではない。


「わあ、お嬢様みたい」

「ははっ」

「鷹城家の若君付きなのだから当然でしょ、さあ、お待たせするんじゃありません」


千代に着付けてもらい、栞は着物を着ることができた。

この重い服装で仕事できるのだろうか。


「お二人とも、こちらへ」


志津子が二人の髪に簪を挿していく。

そして、栞には朱色のリボンを付けてくれた。


「あ、これ…」

「ご奉公に来た時、預かっていたリボンです」

「栞さん、女学校の令嬢に見えるよ」


すっかりお仕着せに慣れて、女学校の装いを忘れていた。だが、それ以上の格好となるとは思ってもみなかった。

リボンをつけた自分を姿見で見つめる。昔に戻った気がして、目の前が霞んでしまう。


千代に手を引かれて馬車まで歩いていく。


「あっ…栞。遅いぞ、まったく」


過去の記憶を思い返していたら、馬車の前に立っていた。

目に涙を溜めているところを、公成に見られたかもしれない。

二歳も年上の男性だ。知らないふりをしてくれるだろう。


栞と千代は馬車に乗り込み、公成の向かい側に座った。


「ところで、なんで泣いてたんだ?」

(こいつは…)


千代は聞こえなかったふりをしている。実に聡い娘だ。


「リボンですよ、学生時代を思い出して泣いてしまいました」

「学校か、行きたい理由はなんだ?」


妙なところに食い付いてきた。

しかし、ちょうど学校生活を思い出していて、誰かに話したかった。


「そうですね。回覧雑誌とか、友人とか、皆でカフェーに行ったりとか…」


知らぬ間に涙声になっていて、慌てて言葉を止めた。

公成が食い入るように見てくるので、車窓から外を眺めていた。


「学校、行きたいか?」

「そりゃあ、もちろん! …行きたいです」

「若様、女中に期待させてはいけませんよ」


いままで静かにしていた千代が珍しく語気を強めた。

そうなのだ、栞は借金取りに売られた女中なのだ。

公成に頼ろうとしていた自分を恥じる。


「それでは出発いたします」


御者が馬を走らせ、馬車が滑り出した。

離れから少し離れた場所で何やら建築資材が運び込まれている。

四千坪もある敷地にしては、ずいぶんと離れに近い。

公成に関連した施設なのだろうか。


「何か建設されるのですか?」

「へっ? ああ、そうだな。建設だよ。建物な」


なぜ慌てているのか、もう少し御曹司らしく振舞ってほしいところだ。

馬車は軽快に坂道を滑っていく。

銀座のカフェーまではあっという間だった。


「ほぉ、一階が書店で二階がカフェーか。一日中いられそうだな」

「はい、恐ろしい組み合わせです」


栞としては一刻も早くカフェーへ行きたい。

前回は入り口の前で引き返している。今朝も夢で見たばかりだ。

しかし、公成は書店に興味を示した。


(確かに気になるが、とりあえずカフェーへ行ってほしい)


やがて公成が店頭に並ぶ本を手にした。

置いていっていいのか、念のために千代に確認するが、ダメだった。


「これ見ろよ、最新刊じゃないか。さすが銀座だな」

「おおおお! ぅおおお!!」

「栞さん、はしたないです!」


表通りからは狭い書店に見えたが、奥に広い造りだった。

海外の書籍を並べた棚が充実しているところが憎い。

気がつくと、栞は店内に入っていた。


「あれ? 栞ちゃんじゃないか!」

山村やまむら先生、お久しぶりです!」


山村 泰之助やすのすけ。銀座で歯科医院を構える四十代半ばの歯科医師だ。

治療より裁判医学の話をしている時間のほうが長いのではないか、と栞は疑っている。


「よかった。突然いなくなったから人攫いでもあったのかと皆心配してたんだよ」

「似たような状況ですけどね。山村先生、このままカフェーですか?」


山村は笑顔で頷いた。彼はいつもカフェーの本棚に購入した本を置いていく。本人曰く、忘れやすいそうだ。普段は長屋の近くにあるカフェーへ足繁く通っていた。


「それにしても、女学館にでも編入したのかい?」


書店の壁に貼られた姿見に映る自分を見る。

どこかのお嬢様が買い物に来たような格好だった。


「そうだといいのですが…、でも歩きにくいです」

「はははっ、栞くんらしい感想だ」


ふと栞は鋭い視線を感じた。

少し離れた場所から公成と千代が睨んでいる。


「そろそろ、戻りませんと。おほほほ」

「カフェーに行くんだろ? 一緒に行けばいいじゃないか」


公成が近づいてくる。

山村を余計なトラブルに巻き込んでしまったかもしれない。


「山村先生、ご無沙汰しております」

「おや、これは驚いた公成様と一緒なのかい?」


山村が興味深そうに眼鏡を掛け直した。




———現在。


「はぁああ」


あの日、書店で公成と山村が会話をしていると、次々と公成の知人が現れては盛り上がり、ついには帰宅時間となってしまった。


つまり、再びカフェーに入れなかったのだ。


「栞! 起きてるか!?」


女中部屋の皆の顔が、一斉に花開いた。

今夜は自分たちの噂話に染まるだろう。


(夜中に来ないでほしい)


女中部屋を出ると、提灯を持った公成が廊下に立っている。

自分の背後から抑えきれない黄色い声が漏れてきた。


「外へ行きましょう」

「あ、ああ」


自覚はないらしい。まだ十七歳で男女の機微などわからないのだろう。

栞は婦人雑誌から様々な恋愛模様を読んで耳年増になっていた。

台所に入り、電灯をつけた。


「それで、何のご用ですか?」

「先ほど離れに戻ったら書斎に手紙があったんだ!」


背の高い公成が上から覆い被さるように話しかけてくると、少し怖い。

興奮した様子で、左手に持っていた手紙を見せてきた。


「骨に関わるな?」


手紙には定規で書いたような文字が並んでいる。

これは白骨遺体に関わりある人物から届いた手紙だ。

骨に何か証拠があるのだろうか。


「この手紙に、指紋はつけてませんか?」


公成が手袋を見せる。坊ちゃんも学習しているようだ。

まず簡易的な指紋判定をすべきだろう。対策されている筆跡からは追えない。他にもインクや紙の素材なども重要な証拠となる。

紙質から明らかに屋敷内部だとわかる。手紙には鷹城家の家紋まで入っているのだ。


(外部に漏らすな、ということか)


手紙の内容よりも家紋入りの便箋の方が厄介だ。

差出人を突き止めたところで、事実を揉み消されるかもしれない。


「この紙、いつ見つけましたか?」

「さっき見つけたんだが…警察に通報する前からあったかもしれん」


公成は神隠し騒動で記者や警察の対応に追われていて、離れには戻れなかったらしい。あの騒ぎに便乗して書斎へ忍び込んだ可能性がある。

しかし、鷹城家の女中たちは助け合いの精神が強い。よほどのことがなければ人殺しはしないだろう。


「これだけで警察は動かないと思いますよ」

「ああ、だから鑑識の娘に頼っている」


栞は大きく息を吐いた。

遺体の写真が必要だと伝えたところ、鞄から一冊の本を見せてきた。


「事件性がないからって、知り合いの警部補が」

(渡すのかよ)


名家の力は、富だけではないようだ。信頼が成せる業なのか。

鷹城家にかかれば女中の一人や二人は消せるのではないだろうか。


本には大量の写真が収められていた。

警察の写真はかなり丁寧に細部まで撮影されている。

栞は山村医師を思い出していた。

彼に見せれば何かわかるかもしれない。


「栞、楽しいか?」


変な質問をされて困惑する。

公成の背後にある台所の鏡が目に入った。

そこには、八重歯をのぞかせていた栞がいた。


◇◇◇

第八話 カフェーへの道

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