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第十話

「旦那様、着きました」


栞は窓をカーテンで塞がれた車から下ろされた。

外へ出ると、すっかり陽が落ちている。

ここまでの道順は複雑で覚えきれなかった。だが、鷹城邸からそう離れてはいない気がする。


(困ったな)


牛舎の臭いが鼻について、周囲へ意識を向けきれなかった。

あの匂いに頓着しないということは、元は農家か。それとも戦争成金あたりか。


車は屋敷の敷地内まで乗り入れていた。

その周りはぐるりと高い塀で囲まれている。


(外国かぶれか)


少し前に川へ投げ捨てた吸血鬼の検証実験を思い出していた。

車、高い塀、洋装――紳士は外国がえらく好きらしい。


「ぅぉお」

「おや、洋館が好きなのかい? それはよかった」


海外の画家が描いたような洋館が現れて声を出してしまった。

白い月に照らされて、今夜にも血を吸われそうだ。


「さあ、お嬢さん。屋敷へ案内しよう」


紳士は白い手袋をしていた。

革靴の側面に泥が跳ねている。急いで走ったのだろうか。

そもそも車が牛舎の裏に停められている時点で不審だ。


(誘拐犯の黒幕ではないのか)


それにしても公成といい金持ちは背が高い。そういえば、どことなく公成に似ている。まあ、良いものを食べていれば似てくるのだろう。


栞が紳士の手元に目をやると、外套の袖口に黒い汚れがついていた。


「あの、服に汚れが」

「そうかい? すまないが、とってもらえるかな?」


栞が指で黒い汚れを摘む。

僅かな粘り気、甘い香り、黒褐色、これは羊羹だ。


手袋をするほどの紳士だ。こんな汚れを放置するわけがない。

急いだ結果として汚れたのではないか。


(馬車の中をあらためたな)


栞が落としたシベリアが付着していたと仮定しよう。

ならば追跡者の一人ということだ。


急に紳士の背中が近づき、栞は足を止める。

ゆっくり顔を上げると、紳士が振り返っていた。


「ほぉ、そうやって捜査するんだね」


その言葉に栞は身を固めてしまった。

洋館の大きな扉が開けられると、昼間のような灯りに包まれた。

煌びやかなシャンデリア。二階まで吹き抜けた広間には、大階段が弧を描いている。


(階段には絨毯か)


贅の限りを尽くした戦争成金の豪邸に見える。

しかし、調度品を見ると一定の法則があった。無差別に買い漁っているわけではないようだ。

こうなると名家の人間かもしれない。

しかも本家から外れて道楽に耽ることができる立ち位置といったところか。


「貴方、おかえりなさい」

「ただいま」


高貴な令嬢にも見える奥方らしき女性が抱きつき、紳士の頬に口付けた。

しばらく見つめ合っている……ように見えるが、その表情は変わらない。


(互いに関心がないのか、冷めた夫婦だな)


人様の家庭に口出しするつもりはないが、こんな関係なら一人でいたほうが良いと思う。


小走りで少女たちが玄関へと集まってくる。

彼女たちは黒い洋服に、真っ白な前掛けをつけていた。

洋服を着た女中は珍しい。白粉も塗って細部にこだわりを感じた。

奥方が視線を流すと、彼女たちが動き出した。


(若い女中ばかり、こだわりが強いな)


「私は西洋文化が好きでね。ここにいると日本じゃないみたいだろ」

「そうですね」


女中の一人が驚いた表情で栞を見ている。和装が珍しいのだろうか。

しばらく考える。

ようやく思い当たり、紳士を見上げた。


「英語もできるんだね」

「ははっ」


洋館の雰囲気に浮かれ気づかなかったが、英語で話しかけられていた。

カフェーでは外国の客も多く、日本では発売されていない書籍を読ませてもらう。そんな時は、自然と英語で話すこともあった。


玄関はパーティーでも開けそうなほど広い。

栞が煌びやかな室内を見ていると、そこにいる人物を見て血の気が引いた。


「千代は! 千代をどこへやったのですか!!」


御者がいた。

やはり仲間だったのか。

紳士が手を挙げると、御者は別の部屋へと姿を消した。


「千代ちゃんは、屋敷内で治療を受けて安静にしている」

「それを信じろと?」


紳士は、一連の計画を明らかにした。


当初は尾行を理由にして、御者が洋館ここへ運んでくる計画だったらしい。

しかし、運悪く馬車の前に大八車を引いた老人が現れてしまった。


(普通に事故だったのかよ)


栞が警戒したため、次の農民たちに切り替えた。

だが、農民をまとめる男が栞を売り飛ばす話を持ちかけたという。

それを聞いた紳士が、慌てて車で迎えにきたのが顛末だ。


「さあ、千代ちゃんのいる部屋へ案内しよう」


紳士は弧を描く階段を登り始めた。

階段の絨毯は見た目より厚みがあり、板鳴りもせず、雲の上を歩くといった印象だ。


二階へ上がると燭台を模した電灯が白い壁を照らして、ドラクルの城へ迷い込んだ気分になる。

燭台は銀で作られているのか、触れたい気持ちを抑えた。


「おかえりなさいませ。旦那様」


奥が見えない長い廊下の途中、黒い洋装で固めた初老の男性が立っていた。

その横にある木製の扉を見る。

黒い重厚な金具が使われていた。


紳士が扉を開けると、栞は目を見張った。


「うぉおお」


部屋の壁には、絵画かとみまごうほど鮮やかな草木が描かれ、洋風の窓には、ミルクを溶かしたような乳白色の厚いカーテンが垂れていた。

微かに見える奥の部屋にはベッドが置かれていた。寝室だろう。


紳士は迷うことなく、寝室へと歩いていく。

執事に促されて、栞は後をついていく。

大きなベッドには、千代が寝かされていた。


「千代!!!」


静かな寝息を立てている。どうやら嘘はついていないようだ。

紳士はベッドの脇にある椅子へ腰を下ろすと、リンゴを剥きはじめた。


栞は安心した途端、怒りと疑問が湧き出てきた。


「どうして馬車を襲ったのでしょうか」

「わかってるだろ? 捜査資料さ。君が素直に渡すとは思えない」


栞にはどうしても理解できないことがあった。

黒川警部補が公成に渡した捜査資料は写しだ。

それを奪ったところで、警察には原本が残っている。

どうして、写しを奪いにくるのか。


「……事件じゃないから、か」


紳士は口角を上げ、兎の姿にしたリンゴを皿へ乗せた。


「実に賢い、素晴らしいお嬢さんだ。さあ、続きを聞かせてくれないか」


紳士が、皿を差し出す。

栞は首を横へ振り、目を閉じた。


警察は白骨遺体や現場写真も持っている。

しかし、事件性がなければ動かない。


紳士たちの目的は、遺体の尊厳だろうか。

いや違う、骨は一体分だけではなかった。

警察に触れてほしくない骨がある。


栞は、目を開いた。


「もう一つの遺体ですか?」

「あぁ、すばらしい。実にすばらしいね。すばらしいよ、君みたいな人を待っていたんだ」


栞は、襲撃の意図を理解しはじめていた。

写真の場所を聞いたのも証拠隠滅が目的ではないだろう。

彼らには原本も写しも、はじめから価値はなかった。


警察が見向きもしない骨を調べ、捜査資料にまで手を伸ばす変わり者。


(あっ…私か)


栞が狙いだったのか。


紳士は、公成の血縁と見た方が合点がいく。

鷹城家の行事で二人が離れる隙を狙ったのか。


「私に何をさせたいのでしょうか。それに誘拐したということは、秘密を解くまでは——」

「ああ、この洋館にいてもらう」


(よしっ!!!)


紳士が怪訝な表情を浮かべている。

まさか心の声が漏れてしまったのだろうか。

とりあえず、胸の前まで上がっていた拳を下ろした。


「わかっていると思うが、公成と連絡はさせられない」

「はい!!」


紳士が再び怪訝な表情を浮かべる。

栞も怪訝な表情を浮かべた。


(いや、この返事は普通だろ)


警察が捜査してくれない調査の依頼ということになる。

しかも、公成をはじめ親類には知られたくないのだろう。

実力を試すような真似までして、栞に解かせたい秘密を考える。


いつの間にか、奥方が近くまで来ていた。

紳士の隣に並ぶと、ドレスが輝きを増したように見える。

二人は手を取り、互いに頷く。

そして、紳士が窓の外を眺めて呟いた。


「あの白骨遺体……ハルは、私の愛する女性なんだよ」


◇◇◇

第十話 観察するもの

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