第十一話
「客人としてもてなすが、誰とも連絡はできない。悪いね」
「わかりました」
紳士が部屋を出ていく、その後ろを奥方がついて歩く。
彼女は物憂げな表情を浮かべていた。
(不安というより心配そうに見える)
ハルは、交際していた時期によっては、奥方にとって夫の不義の相手となるかもしれない。
ましてや、旦那に目の前で愛する女性などと宣言されているのだ。
夫妻が部屋を出たので室内を探索していると、扉が叩かれた。
栞が顔を出すと、二名の女中が廊下に立っていた。
額にできた傷を手当てし、風呂の支度をしたいという。
「どうぞ」
「「失礼します」」
栞は白塗りの顔で、声色を使う女中に戸惑った。
洋装の女中とは、そういうものなのだろうか。
入り口の近くにある扉を開けると浴室があった。
部屋の中央に、四つの脚で立つ白い浴槽が置いてある。
「こちらへお座りください」
背もたれのある木製の椅子に座らされると、上着を脱がされ、消毒液で額の手当がはじまった。手当を受けていると、もう一人が次々と服を脱がせていく。
「あの…何をしているのですか?」
「このまま湯に浸かっていただきます」
栞は、女中の一人に見覚えがあった。
正確に言えば、首筋にある大小二つの黒子を見たことがある。
「はい、手当が終わりました。これで失礼いたします」
「ああ、どうも」
傷の手当てをした女中が部屋を出ていく。
もう一人は淡々と栞の服を脱がしにかかる。
海外では当たり前なのだろうか、世界は広いなと感心する。
いつの間にか、栞は大判のタオルで身体を包まれていた。
女中が蛇口を捻るとお湯が出てきて、声が出そうになり口を抑える。
黒い服の女中と白い浴槽、その背景に洋風の窓がある。そこからは月が輝き、吸血鬼が現れる世界へ迷いこんだ気分になった。
「お嬢様、こちらへ」
「へっ? …いや。自分で入りますので。ははっ」
雑誌に書かれていない文化に戸惑い、笑って誤魔化す。
どうすればいいのか分からないまま、浴槽へ近づいていく。
(まさか一緒に入らないだろうな)
雑誌に書かれたおのぼりさんみたいで悲しくなりながら、湯船に足を入れる。
「あっつぅ!!」
急に女中が顔を背けたので、目を細めて観察する。
よく見ると、頬を膨らまして肩を震わせていた。
明らかに歳の近い女中だ。
栞の滑稽な言動が、さぞ可笑しいのだろう。
「…あっつ?」
語尾を変えて言葉だけ繰り返してみる。
女中は息を吐きながら大股歩きで部屋を出ていってしまった。
何か大切なものを失った気がする。
(あの女中、何かおかしいな)
思い返せば、玄関の広間にいた女中たちは声色なんて使っていなかった。
黒子にも見覚えがある。
そして何より部屋を出ていく時だ。
あの右足と右手が一緒になる癖は見た事がある。
「あの女中がいるということは、ここは鷹城家の敷地内か」
窓へ駆け寄って外を見る。
月明かりの下に黒い森が広がっていることしかわからない。
吸血鬼の城に閉じ込められたみたいで、急に寒くなった。
鷹城家の敷地は四千坪あると聞いた。獣も出るらしい、夜中に出歩かない方がよいだろう。
湯から上がると、用意されていた寝間着へ着替える。
ベッドは千代が寝ている一つだけだ。幅が広く、寝相がよければ四人は並んで眠れるだろう。
千代の横に滑り込む。可愛らしい妹分の寝顔を見ていると、抱きしめたい衝動に駆られるが、怒られそうなので天井を見つめることにした。
大きく息を吐くと、途端に瞼が重くなってきた。
「ん…」
小さな声が聞こえて千代が抱きついてきた。母親と勘違いしたのだろうか、なんとも愛らしい。その温もりに意識が沈んでいくのを感じた。
——窓を開けたりと、何やら騒がしい音で瞼を開ける。
「やっと起きましたね。寝坊ですよ、栞さん」
「千代先輩か、おはよう」
千代は、離れにいる時と変わらない様子で掃除を始めていた。
洋式の掃除道具まで使いこなせるとは、さすがだ。
そのまま目を閉じていたら、顔を洗ってこいとベッドから引きずり出された。
「風呂場には顔を洗う専用の場所まであるのか」
「ここにタオルを置いておきますね」
ここにはじめて来たと言うのに、なんという適応力。
末恐ろしい十二歳だ。
「栞様、旦那様がお呼びでございます」
「はい、少しお待ちください」
千代先輩が言いたいことはわかる。
急いで顔を洗って、服に着替えて、足の小指をぶつけて悶絶しながら扉を開けた。
「さあ…ぷっ……参りましょう」
栞の表情を見て明らかに女中は笑ったが、顔を背けて冷静を保った。
(怪しいんだよな)
女中部屋でも思ったが、一歩引いて観察しているところがあった。
そして、どういうわけか今は洋館にいる。
四千坪の敷地に鷹城家の親族がどれくらいいて、どれほどの女中がいるのかはわからない。
栞は、後輩氏と同じ警察関係者ではないかと疑っている。
いずれにしても、命令系統が違う。
かくしごとをしているのは確かだ。
洋装の女中に着いて廊下を歩く。
夜には悪魔でも現れそうな廊下も、朝陽を浴びて光り輝いていた。
改めて見ると洋風ではなく、本格的な洋館だとわかった。
「旦那様、お連れいたしました」
「ああ、ありがとう」
栞が部屋に入ると、女中はお辞儀をして出ていった。
「そういえば、まだ名乗っていなかったね。鷹城雅臣だ」
雅臣は大きな窓の前に置かれた机の椅子に腰掛けていた。
公成の離れにあった書斎を思い出して、あの時は気障な男だと思っていたが、本場を見て考えを改める。
(何事も程よくが一番だな)
馬車で別れ際、まるで帰りを待つ犬のような顔をしていた。
少し優しくしてやろうと、栞は思い直した。
「そこに荷物があるだろう」
「はい、二人分ですね」
小さな応接間といった場所の手前に、ボストンバッグが二つ並んでいる。
そのうちの一つには麦わら帽子が置かれていた。
「来なかったんだ」
雅臣の乾いた声が響く。
栞は応接間のテーブルに置かれた紙切れを見ていた。
「切符、二人分の……何枚もありますね」
「何度も誘った。家を捨てる覚悟だってあったんだ」
雅臣は名家を捨てて二人で駆け落ちするつもりだったようだ。
しかし、ハルは駅にやってこなかった。
「ずっと、何度も。……待っていたのに」
ハルは女中として屋敷へ戻ってくるのだろう。雅臣はそう思ったという。
だが、その日を境にハルは姿を消した。
「最近になって、井戸で七年前の白骨遺体が見つかった。そんなの、ハルしかいないだろう?」
失意の中にいた雅臣に、奥方が希望が残っているかもしれないと告げた。
そして、神隠しを解いた栞に頼んではどうかと提案したという。
そこで公成の親しい御者に協力を仰いだそうだ。
「君には一日で帰ってもらうつもりだったんだ。だけど、問題が発生してね」
(老人の飛び出しのことか)
誘拐に慣れていないのなら、予想していなかった馬車の急停車や栞の臨時対応にあって後手に回るのも理解できる。
小さな山を作るほどある二人分の切符、何度も駆け落ちを計画していたようだ。
二つのボストンバッグ。彼らの夢見てしまった未来が詰まっている。
二人が未来を描き、それが叶わなかった辛さ。
ハルは雅臣との未来ではなく、死を選んだ。
それは、どれだけの地獄だろうか。
(知ったふうなことは言えないな)
なんと声をかけていいのかわからなかった。
雅臣もハルも懸命に生きた。
上流社会なんて生まれた場所が良かっただけで楽に生きていると思っていた。
好きでもない相手と結婚して演じ続けるなんて、雑誌の小説ではよく出る話だ。
しかし、現実は重い。
栞の知らない地獄が、ここにはあった。
「すまないね、幼い君に……こんな話を聞かせてしまって」
「いえ、まだ愛された経験がないもので、どんな気持ちなのかなと想像していました」
栞の言葉を聞いて、雅臣が笑い出した。
そこまで変なことを言ったつもりはない。誘拐騒動といい勝手な男だ。
「本気で言ってるんだと気付いたら、おかしくてね」
「はぁ…」
「公成に伝えてくれないか、ちゃんと言葉にしなさいって」
「わかりました。でも、ご自身で伝えた方がよいのでは?」
それを聞いて、雅臣は再び笑い出した。
本当に失礼な男である。
奥方が心配するほど、思い詰めているようには見えない。
ただ、極端な男だ。
すでに覚悟を決めているようにも見えた。
(もう一つの遺体は言わない方がいいな)
愛について栞は一つもわからない。
それでも七年間という歳月が過ぎても、雅臣は全く前に進まなかった。
こうして二人分の荷物を背負い込んでいるのだ。
いつ破裂してもおかしくない風船みたいに見えた。
どのように言えば、どうやって伝えたらいい。
どうすればハルの気持ちは、雅臣に届く。
そして、彼はハルの気持ちを理解できるのだろうか。
(他殺でも、自殺でもない死を迎えた彼女を)
◇◇◇
第十一話 かくしごと




