第四話
「新たな神隠しがあった?」
「なんでも二ヶ月ほど前に入ったばかりだそうです」
公成は離れの書斎で座り直すと、動揺を悟られまいと珈琲をひと口飲んだ。
昨日、井戸で出会った女中を思い出す。
彼女は神隠しの異常性を正しく理解しているように見えた。
「その新入りの名前は?」
「まだ確認できておりません。女中頭もひどく取り乱しているようでして」
公成は机上の紙へ視線を落とした。
そこには神隠しに遭った女中の名前と日付が時系列に並べられている。
これまで一定の法則で神隠しが起きていた。
しかし、今回は立て続けに発生した。明らかに法則を無視している。
公成は昨日の日付を書き足し、その横に『新入り』と記した。
新入りが神隠しに遭うのは異例だ。
「女中たちに聞いてみますか?」
「いや、やめておこう。どうせ黄色い声で誤魔化されるさ」
だが、あの水をぶっかけてきた女中は別だ。
無事なら、彼女自身に話を聞けばいい。
公成は席を立つと、一気に珈琲を飲み干した。
「坊ちゃん、どうなされました?」
「うん、心配しないで爺や。ちょっと出かけてくる」
家令が心配そうな声を出す。彼は幼い頃から付きっきりで面倒を見てくれていた。
公成が子供みたいな声色を使うと、家令は柔和な表情を浮かべ、深く頭を下げた。
公成は足早に離れを出ると女中部屋へ向かう。
離れの小径を歩きながら、昨日のことを振り返る。
投資の話をしていた時も彼女は英語に反応していた。
自分が見ると視線を逸らしていた……嫌われているのだろうか。
井戸では水までかけられた。
(あの時に何か気付いたのか?)
神隠しの翌朝、井戸へ来るほど強い関心を持っている。
あの行動力は目立つ。
真相に近づきすぎて、口封じに遭ったのではないか。
公成は焦る気持ちを抑えつつ、小さく息を吐く。
目を少し細め、口角を上げ、肩の力を抜くと女中部屋の戸を叩いた。
「ええっ若様!? どどどうなされたのですか?」
「きゃぁああああ」
女中頭に誤解されそうなえらい騒ぎとなった。
休憩中だったのか、六人部屋には五人の女中がいた。
「この部屋に新入りがいたと聞いたが」
「ああ、その……神隠しに遭ってしまいまして——」
女中が言い淀んだ。
目が泳いでいる。
仲間を失った者の顔には見えなかった。
(何かを隠しているな)
「坊ちゃん、どうなされました?」
「ああ、志津子さんか。休憩中に申し訳ない。神隠しに遭った女中の荷物を見させてくれ」
志津子は迷うことなく女中に指示を出し、柳行李を持って来させた。
さすがは次の女中頭と言われる女だ。動じた様子を見せない。荷物も改められているように思えた。
公成は新入りの荷物を確かめた。
「思ったよりも少ないな……女中の名は?」
「彼女にも事情があります。お許しを」
新入りの柳行李は、ほとんどが鷹城家が支給した荷物だった。
(身売りか)
公成を避ける理由は、奉公に来た事情にありそうだ。
英語を理解できて、神隠しの異常を見抜き、翌朝には調べにくる。
とんでもない逸材が身売りされてきたものだ。
「坊ちゃん、どうなされました?」
「ああ、面白い奴がいるもんだと思ってな」
公成が着物を手に取ると、涼しい匂いが漂った。
(この匂いに覚えがある)
花のように華やかではなく、青く、すっと鼻を抜ける涼しい匂い。
井戸で顔を寄せたときと同じ匂い、あの女中の香りだ。
柳行李の隅に、小さな布袋がある。
「これは?」
「裏手から摘んできた薄荷です。乾かして匂い袋にするそうですよ」
志津子は新入りの情報を渡したくないのだろう。
公成は身売りの時に受け取った品を見せてほしいと伝えた。
女中頭の執務室へと案内され、椅子に腰掛けているとテーブルに箱が置かれた。
「住所がわかる箇所が黒塗りされているな」
「そちらについては、私ではわかりかねます」
新入りの採用用紙を求めたが、見当たらないという返事だった。
どうやら正規の雇用ではなく、身売りなのだろう。
令嬢というわけではなさそうだ。
公成は執務室を出ると、離れへと引き返す。
爺やが離れの入り口に立っている。
「坊ちゃん、新しい封筒が届いております。私どもで対処いたしますか?」
「ありがとう、爺や。でも、今回は見てみたいな」
家令は、すぐに封筒を差し出してくれた。
黄色い花が添えられた封筒を受け取り、書斎へ戻る。
「金糸梅を添えた封筒か」
たしか花言葉は『秘密』だったはずだ。
ずいぶんと気障な女もいるもんだな。
新入りの残した調査報告かと思ったが、ただの恋文だろう。
しかし、封筒を見ると仕事に使うような大きさだった。
(あの女中が消される前に残した封筒かもしれない)
もしかすると、甘えべたなのだろうか。
それでも公成を頼ってくれるとは、可愛いところもある。
封筒の中身を取り出すと見慣れた用紙が出てきた。
「これは、採用用紙か?」
「そのようですね、赤い太字で何か書かれていますな」
"Spirited Away"と書かれていた。
"神隠し"と訳せるが、被害者という意味だろうか。
乱暴な筆記体だが書き慣れている。日本における英語の識字率は低い。女中の身で英語に親しみ、かつ調査までする者なんて限られる。
採用用紙には、名前と拇印にも赤い丸印が付けられていた。
指紋を見ろということだろうか。
採用用紙の名前と、時系列に並べた神隠し被害者の名前を見比べる。
「これは暗号なのか?」
「はて、落書きにしか見えませんが……」
同封されていた紙片には、線や四角、丸が不規則に描かれていた。
"HERE!!"と書かれた場所へ行けということだろう。
"T"を四角で囲っているのは鷹城邸なら、かなり近くということか。
(どうやら絵心はないらしい)
必死に地図を書く娘を想像して息を漏らしてしまう。
そして鼻から息を吸うと、紙から微かに涼しい香りが立った。
「薄荷か……やはり、あの女中だ。黒川警部補を呼んでくれないか、急ぎだ」
「かしこまりました、おい!」
家令が指示を出すと下男たちが動き出す。
一人は電話をかけ、もう一人は迎えに出て行くが、すぐに引き返してきた。
爺やの耳元で何かを伝えている。
「若様…、申し上げにくいのですが」
家令が珍しく言い淀んだ。
「どうした、改まって。遠慮せずにはな———」
離れの玄関扉が雑に開く音が聞こえる。
「いやあ、坊ちゃん。何かわかりましたかね」
「どこで張り込んでいたのですか?」
黒川は女中部屋の近くで張り込んでいたらしい。彼も女中たちを怪しんでいるようだ。
警察としては誰も発見できないという汚名を返上したいのだろう。
公成は採用用紙と神隠し被害者の一覧を黒川に見せ、警視庁での鑑識を依頼した。
「それがね、殺人事件でもないと後回しなんですよ。数ヶ月待ちだとかいいやがる」
黒川は不満そうにソファへ腰を降ろすと、葉巻に火をつけた。
「それと、こんなものも入っていました」
公成は、例の紙片を差し出した。
黒川は葉巻を咥えたまま、笑い出しそうになり慌てている。
「場所がわかるのですか?」
「まあ、この辺りならね」
そして、さも気付いたという表情を浮かべる。相変わらず演技が下手だなと思う。
黒川は絵を書いた女中を知っているのだろうか。
「そういえばね、民間の鑑識相談所があるんですよ」
「民間? 鑑識に技術を提供しているのですか?」
「いやいや、警視庁の鑑識捜査をしてきた凄腕が立ち上げたんです」
「それでは警視庁の鑑識と同じように受付してくれないのではないですか?」
黒川によると商売下手らしく、全く仕事をしていないらしい。借金まで抱え込んでいるという。
「大丈夫なのですか、その人物は…」
「そうなんですよ、心配でね」
そう言うと、黒川が近づいてきて、わざとらしく声をひそめる。
彼によれば警視庁も、技術流出を防ぐため裏で動いているらしい。
「だいぶ、扱いが難しそうな人ですね」
「それでは行きましょうか、鑑識相談所へ」
——そこは寂れた裏路地に佇む長屋だった。
「ああ、ここだ。小野寺さーん! 小野寺さああん!」
黒川の大声で隣の住民が引き戸を開けた。
鍵は開いてるから入れとのことだ。
(これで情報は漏洩しないのか?)
相談所の中は外観から想像した通り、荒れ果てていた。
古い科学雑誌、捜査資料と思われる本が無造作に放置されている。
「小野寺さん、お客さんだよ。ほらあ」
「あ、黒川くんか。久しいな」
酒を飲んでいるのか、自暴自棄になっているように見える。
「はじめまして、鷹城公成と申します」
「ああ、私は小野寺っていうものです」
髭を生やした初老の男性を見て、目を見開く。
新聞で何度も見たことがある。小野寺 宗一郎その人だった。
「お、おの…小野寺先生!?」
小野寺宗一郎は子供向けの科学雑誌にも寄稿していた。
公成はその手品みたいな科学捜査に魅了されていたのだ。
しかし、鷹城家を継ぐという立場から経済の道を歩んでいる。
「小野寺さん、この封筒から何かわかるかい?」
「もう仕事はしないよ。娘も奉公に出ちまったしな」
「まぁそう言わずに、これなんて見覚えない?」
黒川が採用用紙と一緒に入っていた紙を見せると、宗一郎は目の色を変えた。
そして黒川の顔を見る。当の黒川は、人差し指を口元に当てていた。
どうやら、あの紙には二人だけがわかる意味があるらしい。
「すぐに指紋を鑑定する。そこのソファで待っていてくれないか」
「おお! やる気になりましたねえ」
宗一郎は人が変わったように机の上にあった書類を全て床へ叩き落とした。
もはや狂人にしか見えないが、先ほどまでとは違い、目に光が戻っていた。
それほどまでに仕事を欲していたのだろうか。
「待ってろ、栞!」
「あー、はいはい。栞ならこれですねえ」
黒川は何食わぬ顔で、手近な紙片を一冊の本へ挟んだ。
「はい、挟んでおきましたよ」
小野寺先生の娘は、栞という名前なのか。
しかし、なぜ黒川は名前を隠そうとするのか。
宗一郎と黒川のやりとりを見ていても仕方がないので、床に落ちた本を棚へ戻していく。
二年前に発行された雑誌が多い。警視庁を退職した時期と重なる。
たしか警察内部の問題だったように思うが、当時十五歳だった公成には興味がない話だった。
古い捜査資料を開くと、二年前の事件について書かれていた。
「坊ちゃん。勝手に捜査資料は読まないでもらいたいな」
「ああ、申し訳ない」
黒川に取り上げられてしまった。
小野寺先生が没落した経緯について、調べる必要がありそうだ。
「まずは名前を見てくれないか?」
「漢字だけ見ると別人に見えますが、書き足されたアルファベットで見ると、どちらも『チヨ』と読めます」
公成は名前の共通点には気付いていたが、その次に拇印を見比べるとは思わなかった。差出人は、パズルのように赤丸だけで順序を示したのだろう。
「次に拇印を見てくれ」
「ああ、指紋が一致してますねえ。こりゃ同一人物だ」
名前の次に、拇印を見ろ。
差出人のパズルを小野寺先生は的確にはめていく。
「つまり栞が言っているのは、女中が循環しているということだな」
「あー、この栞ね。はい、差し込んどきましたよお」
女中の循環。
指紋が同じということは神隠しに遭った女中が別名で戻っているということか。
公成は、嫉妬してしまった。
自分が気付かなかった矛盾を、たった一日で見抜かれたことに。
そして、自分の憧れた小野寺先生の愛弟子であるということに。
(手紙を見たら動け、か……俺を実働隊とでも思っているのか)
「それじゃあ、神隠しに遭った被害者の皆さんに会いに行きましょう」
黒川は宗一郎を一緒に連れて行くようだ。
鑑識の意見を聞きたいのかもしれない。
「ところで、小野寺先生。娘さんはおいくつですか?」
「今年で十五だな」
黒川が頭を掻いている。
警察にとって都合の悪いことのようだ。
仕事のない鑑識相談所を、黒川は知っていた。
それなのに偶然を装って、公成を連れてきた。
そして、彼の娘が残した手掛かりを見せる。
(小野寺先生を引っ張り出すためか)
公成は黒川を睨んだ。
彼は知らぬ顔をして、本を片付け始めている。
公成は荒れ果てた長屋を見回した。
自分の幼少期を彩った憧れの先生を埋もれさせるわけにはいかない。
すでに日本橋で金も稼げるようになってきた。
小野寺親子のために、自分にもできることはあるはずだ。
「先生、娘さんの名を伺っても?」
「栞だよ、本に挟む栞と書く。小野寺 栞だ」
◇◇◇
第四話 繋がる想い




