第十四話
「栞様、お乗りください」
栞は促されるが、鷹城家の家紋が入った馬車へ入っていいものか悩んでいた。
「千代、すぐ戻るから」
「私は平気です。それよりも興奮しすぎないこと!」
千代は栞を馬車へ押し込むと、笑顔で手を振っている。
紗代子はカフェーへ行くことを許可した。だが、人質として千代を残せというのだ。
まあ栞も完全に信用しているわけではない。
互いに切迫した状況だから、仕方がない。
栞がぶつぶつと文句をいいながら席につくと、紗代子が同乗していた。
「あの……服を返していただき、ありがとうございます」
「とても素敵な着物ね。公成が選んだのなら、かなり頑張ってるわよ」
座席には捜査資料と栞のリボンが置いてある。
そっと手に取り、お互いのしぶとさに感心していた。
「こちらへいらして、リボンを結んであげる」
「……はい、失礼します」
ゆっくりと馬車が走り出す。
栞の髪を解き、紗代子が櫛を通していく。
「ご主人ではないのですね」
「ええ、私もカフェーに興味があるの」
最近は、女給が積極的に接する趣向のカフェーも出てきているらしい。
しかし、紗代子はインテリ層が集う、栞の好きなカフェーに興味を示した。
銀座までの道中、紗代子とカフェー談義に花を咲かせていく。
「それにしても、学生ではないことに驚いたわ」
「一応は通っていたんですけどね。借金取りに売られました」
リボンを結ぶ手が止まったが、すぐに動き出した。
お嬢様にとって下々の話は刺激が強すぎたのかもしれない。
「公成は、何もしてくれないの?」
「まあ若様付きとはいえ、ただの女中ですからね」
「……はい、完成よ」
「ありがとうございます」
すっかり底辺にいる自覚がついてきた。なんでも話せる。
馬車で紗代子と同席しているが、恐ろしい身分差があるのだ。
憐んでいるのか、それ以降の紗代子は静かだった。
「奥様、カフェーに到着いたしました」
馬車は何度もたどり着けなかった建物の前で止まった。
御者が扉を開けて、紗代子が腰を上げた。
「ありがとう。それでは…どうされたの? 身を屈めて」
「あ、いえ。カフェーに辿り着けない呪いにかけられているので、警戒しています」
これまで三度のカフェー上陸に失敗している。
今回は成功させたい。
何かおかしかったのか、座席に腰を戻した紗代子は腹を抑えて笑いはじめた。
(そこまで笑わなくてもよいではないか)
「あの……なにか?」
「ごめんなさい。なんだか妹を思い出しちゃって。そうね、それならカフェーで好きなものを食べましょう」
栞は何度か妹の話を出されていて、疑問が膨らんでいた。
どうせ笑われているので、荒唐無稽な質問をしてもよいだろう。
「あの、妹さんって———」
「そのうち遊びに来るから、ぜひ相手をしてやって頂戴。喜ぶはずよ」
「……わかりました」
危うくハルが妹なのか、という邪推を披露してしまうところだった。
やはり自分の直感でないことを口にしない方がよさそうだ。
栞は警戒していた。
まず、建物の一階にある書店で何も反応せずに素通りする。
次に、二階へ上がる階段で不用意な発言をしない。
そして、扉を開けるまでじっとしている。
「いらっしゃいませ」
「二名だけど、席は空いてるかしら?」
カフェーの扉が開くと、珈琲の豆を挽いた香りが鼻を刺激した。
大きな声を出しそうになり、両手で口を押さえる。
(ついに、辿り着いたぁあああ)
三ヶ月以上もたどり着けなかった世界が広がっていた。
興奮しすぎて、かるい眩暈を覚える。
知識人と一目でわかる客たちが談笑している。
やがて、彼らは栞のほうを見て慌てた表情を浮かべた。
ぽたぽたと、何かが手の甲に垂れてくる。
(なんだ、鼻血か)
そう思うと同時に、目の前が暗くなっていく。
——栞を呼ぶ声が聞こえる。
「奥様、栞さんが目を覚ましました」
「あーよかった」
栞は飛び起きる。
周りを見回すと、夕陽が差し込む洋館の客間が見えた。
どうやらソファに寝かされているようだ。
「まさか倒れた……のか」
「栞さんは、もうカフェーに行かないでください!」
千代先輩の言いたいことはわかる。
栞も少し察してきていた。
貧乏な女中にカフェーは叶わないのだ。
「栞くんの意識が戻ったって? ああ良かった」
「栞、無事か?」
山村医師と父が客間へ入ってきた。
栞がカフェーに行く理由として挙げた人物だ。
さらに外科医の友人まで同行しているようだ。
これでもうカフェーに行く口実がなくなってしまった。
「ははっ」
「ん……大丈夫かい!?」
医師たちによると、睡眠不足と肉体疲労に加え、昨日の頭部打撲も影響しているらしい。
そこへ念願のカフェーに辿り着いた興奮が重なり、一時的に脳貧血を起こしたのだろうという。
「しばらく安静にしていれば問題ないよ」
その言葉を聞いて、栞はソファへ沈み込んだ。
もうカフェーに行くのは諦めようと思った。
「栞、この写真にある別の骨だが、胎児の骨だろうな」
父がソファに腰掛けて、発見現場で撮影した写真を眺めている。
井戸にある女性の骨盤付近に、小さな骨が混じっていたのだ。
「実物を見ないと絞り込めませんが、少なくとも妊娠中期以降でしょう」
外科医が写真を見ながら続ける。
胎児の骨格は妊娠中から骨化していく。
そのため、母体と一緒に胎児の骨が残ったのではないかと仮説を伝えた。
栞は月明かりで見た白骨遺体を思い出す。
その右手は、腹部を押さえていたように見えた。
客間の外で何か大きな物音がして、全員が顔を上げた。
「奥様! 旦那様が今の話を聞いて外へ!」
「なんですって!? 今日は戻らないとお聞きしていたのに……追いかけて」
紗代子の声で下男たちが追いかけていく。
女中たちも慌ただしく動き出した。
(厄介だな)
今の話を聞いていたなら雅臣は誤解した恐れがある。
愛した女性と、その子供が死んでいたと知り、絶望したのではないか。
栞も人のことは言えないが、話は最後まで聞くべきだと思う。
「失礼致します」
女中頭が三名の女中を引き連れて、客間へ入ってきた。
栞は反射的に首をすぼめて小さくなった。
これまで勝手に執務室へ入って鍵をこじ開けては採用用紙を取り出したり、倉庫へ食事を運ばせたりしてきた。挙げ句の果てには神隠しの循環まで暴いたのだ。打たれることさえ覚悟していた。
しかも、栞は大勢いる大人の中で一人だけソファに横たわっていた。
だが、女中頭は目の前を素通りしていく。
そして、紗代子の近くまで歩いて行く。
「どうでしたか?」
「奥様、九年前に黙って女中を辞めた者は五名いました。そのうち、四名と連絡がつきました」
女中頭は採用用紙を手にしている。
紗代子が手を伸ばすが、それを渡すつもりはないようだ。
親子ほど歳が離れた二人が放つ空気に、部屋が凍てついた。
「そうでしょうね。それで貴女が手紙を黒塗りした方と、今も連絡はついていますか?」
「……」
重い沈黙が続く。
女中頭は黙って、紗代子を見返している。
おそらく連絡がつかない一名は、七年前に死んだハルだろう。
(神隠しの時と同じか)
女中頭が守ろうとしている女中と、紗代子の救いたい相手が食い違っている。
どちらも正義ゆえに、タチが悪い。
栞はソファから立ち上がって、拳を握りしめた。
「紗代子さんは辞めた女中が目的ではありません」
「小野寺さん、発言を許可していませんよ」
「わかっています。……紗代子さんは、旦那様の希望を守りたいだけです」
栞は声が震え、背筋に汗が伝うのを感じていた。
ぶたれるのを覚悟して、奥歯を噛み締める。
紗代子が涙目になりながら、栞を見つめていた。
「いやあー、お嬢ちゃん! いるかい?」
客間の入り口から大きな声が響く。
女中頭が天を仰いだ。
「……黒川警部補、どうして居場所が——」
黒川の後ろには、膝に手をついて肩で息をする黒子の女中がいた。彼とも繋がっていたのか。
栞が思うより世界は狭いようだ。
(いや、違うな)
借金取りの後輩氏が、鷹城家へ栞を送り込んだ。
栞によって、警察の面子を潰し続ける神隠しが動いた。
栞が残した手掛かりによって、鑑識のプロである父を駆り出せた。
女中部屋の黒子さんは、洋館まで付いてきた。
(警察が裏で動いていたのか)
彼らが求めるものを考える。
一つは警察の上層部に目をつけられて辞めさせられた父の復帰だろう。
もう一つは、面子が潰された神隠しの解決か。
栞が二人を睨み続けていると、黒川が片目を閉じてみせた。
(まだ痛いのか?)
黒川が手招きをしている。
「ここの旦那が井戸へ飛び込むと言って騒いでるんだ」
「はぁああ?」
「栞さん!!!」
千代に足を踏まれて目を白黒させる。
ここの旦那様は洋館趣味といい、何かと極端すぎる。
よって、飛び込む可能性が非常に高い。
「紗代子さん…」
「栞さん、貴女の言葉なら主人は信じるはずよ。主人に希望があると伝えてあげて」
栞は頷くと、黒川の後について駆け出した。
本当に金持ちの坊ちゃんは身勝手だ。
愛していたのは嘘ではないだろう。
そんなんだから、七年前にハルを死へと追い詰めるんだ。
(この大馬鹿野郎が!!)
◇◇◇
第十四話 カフェーへの道は遠く




