第十三話
「こうですか?」
「いやいや、どうして理解できないのよ」
一夜明けた洋館の台所で、後輩氏の仲間でもある黒い洋装の女中が慌てた様子で珈琲機を止めた。
栞は少し後ろに下がって眺める。
台の上には、磨き上げられた銅色の円筒がそびえていた。
蛇口のような口金と圧力計が付き、まるで小型の蒸気機関である。
(カフェーより本格的だな)
後ろから足音が聞こえ、女中が振り返り頭を下げた。
栞の背後から現れたのは、奥方様だった。
「伊太利亜から取り寄せた珈琲機よ」
奥方様は三十を迎えたばかりらしい。
黒く艶のある髪を短く揃えた、女性としては背の高い人だった。丈の短いドレスから、足首をのぞかせている。
栞は服装に詳しくないがパーティーへ行くようなドレスではない。それを自然に着こなしていた。
「カフェーが開けそうな機械ですね。……その前掛け、何かされていたのですか?」
「ええ、ちょっと味見してもらおうかしら」
栞は一階の台所から、客間へ案内された。
細長い窓ガラスにぐるりと囲まれた客間は、朝陽が差し込み絵画のようだった。
あの女中が素知らぬふりで、紅茶と茶菓子を置いていく。
「焼きたてのプディングよ、食べてみて」
婦人雑誌で見たことがある英国の焼き菓子だ。狐色にこんがりと焼かれていて見ているだけで幸せを運んでくる。
材料もはるばる海外から仕入れているのだろうか。
「んんーーー!! 外がサクサクしていて中がフワフワで香りもよい。作り立てなのか?」
「栞さん!! 立ち上がらないでください。それと言葉遣い!」
千代先輩の声で、感情を声に出していたことに気付き静かに椅子へ腰を下ろした。
あまりの美味さに立ち上がっていたようだ。
あの女中が顔を横に向けている。完全に笑い者だ。
「うれしいわ、日本の食材でも作れるのよ。知り合いの英語教師に教えていただいてね」
「へっ、奥様が自分でつくられたんですか!?」
栞の反応がおかしいのか、女中から笑い声が漏れていた。
目を細める千代先輩が、顔だけで座るように命令していた。少し怖い。
「私は紗代子、名前で呼んで頂戴。貴女を見ていると妹を思い出します」
「私は栞です。本に挟む栞と書きます」
紗代子は愛おしい者を見るような表情を浮かべた。
本当に妹と栞を重ねているのだろう。
「夫婦そろって外国が好きで……驚いたでしょう」
「はい。あ、いえ…滅相もございません」
栞の返答に再び女中から笑いが漏れる。
やはり名家の女中など栞には合わないのだ。
紅茶のほかに珈琲が置かれた。
淹れたてなのは当然だが、その匂いに驚く。
「これ、カフェーで嗅いだ珈琲の匂い!」
「よくわかったわね。先ほどの珈琲機だけじゃないわ。豆を焙煎する機械もあるの」
異常な洋館だと思っていたが、ここまで本格的だとは思わなかった。
ティーカップも雑誌の広告で見たことがある品で揃えられていた。
「小さな部屋に気付いたそうね、どうやって気付いたの?」
「栞さん、まさか入ったのですか!?」
「ははっ」
栞は、間取りの位置と部屋の作りから違和感を覚えたことを伝えた。
紗代子によると、改築して、奥にあの小さな部屋を造ったらしい。
(さて、質問してよいものか)
栞は小さな部屋の住人を知りたかった。
あそこで過ごしていた子供は誰なのか。
そして、どこへ行ったのか。
千代に袖を引っ張られて、紗代子の視線に気づく。
いつの間にか考え込んでしまっていたようだ。
「ふふ、公成さんがご執心なのも頷けるわ」
「ははっ」
「栞さん!!!」
紗代子が手を挙げると、女中がテーブルの上に木箱を置いた。
栞が蓋を開けると、いくつもの手紙が入っていた。
「読んでよろしいですか?」
「ええ、お願いするわ」
隣から余計なところへ顔をつっこむなという千代先輩の視線を感じる。
しかし、小さな部屋にいた住人の手紙なら読まずにはいられない。
「子供の成長を報告している……あの部屋の子ですか?」
成長の報告といっても、病気もなく健やかに暮らしているといった短い文章だ。
栞の質問に、紗代子は黙って頷いた。
次の疑問を待ってくれているようだ。
「黒く塗りつぶされているのは?」
「そうなの、私の手元に届く前には黒く塗りつぶされてしまうのよ」
栞は、女中頭の執務室を思い出していた。
神隠し女中の採用用紙もまた、黒く塗りつぶされていた。
その手紙は週に一度、律儀に届いていたようだ。
しかし、一月前から手紙が途切れている。
「最近の手紙がありませんね」
「そう、どうしていいのかわからなくて」
紗代子は手紙の子供を心配しているように見えた。
栞は、不憫に思ってしまった。
桃色の部屋から外へ出たのに、居場所さえ塗りつぶされる子供を。
富も名誉もあるのに、誰にも相談できず孤独な世界を生きる紗代子を。
「その手紙から何かわかるかしら」
「そうですね…わかりますね」
栞の返事に小さく笑う紗代子を見て首を傾げる。
これだけ手紙があれば、塗りつぶされた文字を調べる方法はいくつかある。
たとえ一文字ずつでも判明すれば繋げて住所くらいはわかるはずだ。
(紗代子に居場所を伝えていいのだろうか)
栞は、八、九年前に勤めていた女中について、後輩氏に調べてもらっていることを思い出した。まだ何の報告も届いていない。
紗代子に、そのことを話す。
紗代子は何度も同様の依頼をしていたそうだ。
しかし、忙しいとして相手にしてもらえないという。
「そうね、貴女が求めれば女中頭も出すかもしれないわ」
「……そうでしょうか」
「ええ、きっと大丈夫よ。今度こそ提出してもらうわ」
(それは坊ちゃんの力じゃないのか)
今回の誘拐について、栞は全体が見えてきた。
本来であれば、公成経由で栞に依頼すれば良いはずだ。
しかし、この夫妻には親族へ知られたくない事情がある。しかも、その事情に関わる事態が立て続けに起きた。
一つは、ハルの遺体が見つかったこと。
もう一つは、子供と連絡が取れなくなったことだ。
「私たちが通された部屋は、奥様の部屋ですか?」
「はい。その通りよ。……おそらく貴女の考えは当たっています」
紗代子は申し訳なさそうに微笑んだ。
少し悪戯をした娘のようにも見えて、美人は得だと思った。
「それなら…誘拐の主犯は、奥様ですか」
「栞さん!!!」
千代先輩が珍しく声を荒げた。
栞が少し睨んだ表情で見つめているからだ。
けれど、握った手は震えている。気の弱さまでは隠せなかった。
「はい、お二人には結果として危ない目に遭わせてしまった。申し訳ございません」
紗代子は立ち上がると、深々と頭を下げた。
女中たちも、慌てて頭を下げていく。
それに千代は驚いているが、誘拐の時に気絶するほど頭を打ち付けている。
もちろん故意ではない。
だとしても、栞は許せなかった。
栞はわざとらしく大きな息を吐いた。
「神隠しを解いた娘なら、もしかしたら……ということでしょうか」
「ええ、そうね」
ここから先は、栞だけの力では解決できない。
父や歯科医、女中頭の協力が必要だ。
「それは困りましたね、私だけでは解決が困難です」
「……そうですか」
「栞さん!!!」
栞は大袈裟に腕を組み、少し考えるふりをする。
そして、左手に右手を小鎚のように打ち付けた。
「そうだ。それでは、私をカフェーに連れて行ってください」
◇◇◇
第十三話 希望の光




