第29章 紬のカレー配信4
翌日、昼の注文が途切れた神崎屋で、天音が配信開始のボタンを押した。
俺の隣には、ノートを広げた紬が立っている。食事を終えた客たちも席に残り、厨房の様子を眺めていた。
「紬ちゃんのカレー、リベンジです! 今日は私、食材に手を出してません!」
「狩りには来たでしょう」
「そうだった。食材は一緒に捕まえました!」
里沙に訂正され、天音はカメラを調理台へ向けた。スマホの画面には、青いカレーを楽しみにするコメントが、もういくつも流れている。
「今日は茶色です」
紬はカメラに向かって言い切ると、俺に小声で尋ねた。
「茶色になるわよね?」
「なる。昨日と同じようにやればいい」
紬は玉ねぎの皮をむき、包丁を動かし始めた。昨日よりもゆっくりだが、切った玉ねぎの厚さは揃っている。
焼き油を引いた鍋に玉ねぎを入れ、木べらで混ぜていく。透き通った玉ねぎの端に薄く焼き色がつくと、紬はノートを覗いて火を少し弱めた。鍋底からはがすように炒め続け、飴色になるころには甘い匂いが広がった。カウンターの客たちも、厨房を覗き込んでいる。
「晃一さん、これで水を入れていい?」
「ああ。あとから出汁も入るから、昨日量った分でな」
紬は計量カップを台に置き、横から目盛りを確かめた。天音がカメラを低くして、その手元を映す。
「今日はちゃんと量ってます!」
「前の配信のことをいちいち言わなくていいの」
紬は量った水を玉ねぎの鍋へ注いだ。玉ねぎが煮えたところで火を止め、ルウを溶かす。小皿に取って味を確かめると、調味料には手を伸ばさず、そのまま鍋に蓋をした。
「次は殻ね。身はまだ入れない」
ノートを確かめ、冷蔵庫から殻の袋を取り出す。殻を別の鍋に入れて水を注ぎ、火にかけた。煮立ったら火を弱め、お玉で殻を砕きながら煮込んでいく。
エビの匂いが立ち始めると、眞子が調理台へ近づいてきた。
「もう食べられる?」
「まだ殻よ。まこ、お皿を並べてちょうだい」
眞子が皿を運んでいく間に、紬はボウルにざるを据え、殻の出汁をこした。細かな殻が混じっていないか確かめてから、カレーの鍋の蓋を開け、出汁を加える。
鍋底から混ぜると、さっきより滑らかになった茶色のカレーが、木べらからとろりと流れ落ちた。
紬はカレーを弱火にかけてから、冷蔵庫のロブスターの身を取り出した。そのあまりの巨大さに、コメント欄は驚きの声の連続だ。
黒い筋を抜き、水気を拭いて、大きめに切り分ける。焼き油を引いたフライパンに並べると、じゅうっと音がした。
白くなった身を返すたび、焼いたエビの香ばしい匂いが立ち上る。眞子が空の皿を持って戻ってきて、紬の隣に並んだ。
「まこちゃん、そこだと撮れないよ」
天音に言われ、眞子は一歩下がった。皿は持ったままだ。
俺が口を出す前に、紬はフライパンから一番厚い身を取り出し、半分に切って中を確かめた。中心まで白く、火が通っている。残りの身と一緒にカレーの鍋へ移し、さっと混ぜ合わせた。
「もう火を止めていいのね」
「そうだ。味は?」
紬は新しいスプーンでカレーを小皿に取り、味を確かめた。続けて身も少し食べ、目を丸くする。
「あ、美味しい……」
「あたしにも!」
すかさず眞子が皿を差し出す。紬は吹き出しかけながら、火を止めた。
里沙がライスをよそい、紬がカレーをかけてロブスターの身をのせる。湯気の立つ白い飯に茶色のカレー。赤みを帯びた白い身が、その上で大きさを主張している。
「できました。ジャングルロブスターのシーフードカレーです!」
天音の声に、待っていた客たちから拍手が起こった。
俺は紬から受け取った皿を次々と客席へ運ぶ。客たちがスプーンを握る傍らで、眞子は、さっそく自分の皿から身をすくい上げていた。
「熱いから、気をつけてな」
言い終わるより先に、眞子は息を吹きかけた身を頬張った。噛むたびに口元が緩み、飲み込むと紬に向かってぐっと親指を立てる。
「美味い! 身が甘い。カレーもエビの出汁がきいてる!」
「本当?」
「疑うなら、あたしの食いっぷりを見てろよ」
眞子はすぐに飯とカレーを一緒にすくい、口へ運んだ。紬は言われたとおり、その食べっぷりを目で追っている。
里沙も身を味わい、口元をほころばせた。
「硬すぎなくて、ぷりっとしています。殻の出汁も、ちゃんと出ていますね」
天音はカメラを構えたまま、カウンターに置かれた自分の皿からひと口食べた。しばらく黙って噛んでから、紬に向かって大きく頷く。
「紬ちゃん、美味しい。これ、匂いも配信できたらいいのに」
「もうちょっと、ゆっくり食べなさい」
天音が口を押さえ、むせかけた。里沙がその背中をさすり、眞子はカレーを飲み込んでから大笑いしている。
「姉ちゃん、これ美味いよ。まだおかわりある?」
「俺も欲しいな。エビ、こんなに軟らかくプリっとできるんだな」
カウンターの客が空の皿を持ち上げた。紬はぱっと笑顔になり、鍋の前へ戻る。
「まだまだ、あります。どうぞ、食べてください」
おかわりをよそう紬を、天音がカメラで追った。スマホのコメントも、いつの間にか『食べたい』『青くなくても見に来てよかった』と称賛の嵐に変わっている。
俺はおかわりの入った皿を受け取り、客へ渡した。天音が視聴者に礼を言い、配信を終える。
俺もようやく、自分の皿にスプーンを入れた。
カレーの香りのあとに、殻から出たエビの旨味が広がる。炒めた身は香ばしく、噛み切ると甘い汁が出た。玉ねぎの甘さも出ていて、飯と一緒に食べると辛さがちょうどいい。
つい、次のひとすくいも多くなる。
「晃一さん」
顔を上げると、紬が俺を見ていた。お玉を持ったまま、返事を待っている。
「どう?」
「美味い。ちゃんとできたな」
紬はほっと息をついた。俺の空になった皿を覗き込み、それから満面の笑みを浮かべた。




