第27章 深層の食材3
その日の営業を終え、洗い物を片づけて火の元を確かめる。俺はカウンター席へ座り、スマホを横向きに立てた。昼間は注文票を追うだけで精一杯だったが、もう客は来ない。
しばらく待つと、ハートフルレイズの配信が始まった。
画面には、黒い岩壁へ背中を預けた四人が映っていた。
紬の白い鎧は泥でくすみ、眞子は大剣の切っ先を地面へ置いて肩で息をしている。里沙は杖を抱えたまま座り込み、撮影している天音の息も荒い。
「やっと、深層まで来たよ」
天音がカメラを自分たちへ向けた。
「深層はやっぱり、なかなか進めないね」
「途中にいたやつが、しつこすぎたんだ」
「戦わずに回ろうって言ったの、まこでしょう」
「あたしは、こんなに遠いとは思ってなかった」
「帰りもあるんだから、今からへばらないでよ」
紬がそう言うと、眞子はしょんぼりして黙った。
朝から歩いてきたのと同じだけ、帰り道も残っている。四人が黙るのも当然だった。
「休憩は終わり。もう一息よ」
紬が立ち上がった。膝についた土を払う手にも、いつもの勢いがない。
四人が岩壁の切れ目を抜けると、通路が急に広がった。天音がカメラを上へ向けても天井は見えず、暗闇しか映らない。岩柱の間には砕けた石が積もり、地面は大きな蹄で深くえぐられていた。
遠くで何かがバキバキと石を踏み割るような音がした。
眞子が大剣を構えたが、紬は手で止めた。天音がカメラだけを岩陰から出す。画面の端に、四つ足の大型の魔物がいた。アビスバイソンだ。
太い首をもたげ、四人が隠れている岩陰へ顔を向けた。聞いていたより巨大、群れを離れて行動している、はぐれ個体だろう。
「気づかれた」
天音が言った直後、アビスバイソンが走り出した。
「戻って!」
紬の声で四人が岩壁の切れ目へ引き返そうとする。ところが、さっき休んでいた場所へ巨大な前脚が振り下ろされ、岩が砕けた。破片が来た道を塞ぐ。
「戻れない!」
「あまね、別の道!」
天音がカメラを振る。画面の奥に、岩柱の間を抜ける細い通路が映った。
「あっち!」
四人はデコボコの地面を走った。紬が蹄跡へ足を取られ、里沙が腕をつかむ。眞子は遅れた二人の後ろへ回り、大剣を引きずりながら追ってくる魔物へ向き直った。
「まこ、無理に戦わないで!」
「分かってる! 足止めするだけだ!」
魔物が向かってくる。眞子は刃を岩柱の根元へ叩き込む。ひびの入った岩が崩れ、魔物との間へ落ちた。
足止めにはなった。だが、眞子は大剣を抜くのに手間取り、三人からさらに離された。
「大剣は捨ててください!」
「捨てられるか! これがないと肉が取れないだろ!」
里沙が杖を振り、崩れた岩の隙間へ風魔法を通した。土煙が巨大な魔物へまとわりつく。その代わり、四人の前も見えなくなった。
紬が叫ぶ。
「あまね、道は!?」
「たぶん通れる!」
「そこは言い切って!」
カメラが激しく揺れる。天音は右の岩柱へ手をつき、身体が通る隙間を見つけた。紬と里沙が先に滑り込み、天音が続く。
眞子の大剣が岩へ引っかかった。里沙が声をかける。
「狭い!」
「大剣を立ててください!」
アビスバイソンの角が迫る。
紬が隙間から腕を伸ばし、大剣の柄を押し下げた。剣は無事に間を通った。人がぎりぎり通れる隙間。里沙と天音が眞子の腕を引き、紬も大剣を引いた。眞子の鎧が岩をこすり、四人は反対側へ転がった。
直後、アビスバイソンは別の岩柱の間から回り込んでくる。
「ここも駄目!」
「休ませてくれないな!」
四人は立ち上がった。
天音のカメラには新しい擦り傷がつき、里沙は杖を支えにしている。紬の呼吸も戻っていない。眞子は、大剣を低く構える。
アビスバイソンが、近づいてくる。
首の傷から血を流している。それでも走る速さは落ちていない。
天音がカメラを振り、左右に並んだ岩柱を映した。間には、天音なら抜けられそうな細い隙間がある。
「私があそこへ走る。追ってきたら、里沙が横から魔法で攻撃して」
「一人で囮になる気?」
「ほかに、あいつを止める方法がないよ」
天音はカメラを握り直した。
「来るよ」
天音が走った。
アビスバイソンが角を下げて突っ込んでいく。カメラが激しく揺れ、画面いっぱいに黒い毛が迫った。
天音は岩柱の隙間へ身体を滑り込ませた。カメラが岩へ当たり、映像が止まる。
声も消えた。
俺は動かない画面を見たまま、息を止めた。店の冷蔵庫が動き出す音ばかり大きく聞こえる。
映像が戻った。
レンズは土で汚れていた。天音の指が汚れを拭う。岩柱へ角を打ちつけたアビスバイソンが、首を振りながら後ろへ下がっていた。
「あまね!」
「平気! 里沙、今!」
里沙が杖を振り抜く。
横から風魔法が土煙を巻き上げ、アビスバイソンの顔を覆った。巨体がそれを嫌って向きを変える。
その先には、眞子がいた。
「腕が上がらないんじゃなかったの?」
「上がらないなら、下からやる!」
眞子が大剣の切っ先を地面へ滑らせた。低い位置から振り抜かれた刃が、アビスバイソンの前脚へ食い込む。
前脚から力が抜け、黒い巨体が大きく傾いた。アビスバイソンが、紬の前へ首筋をさらす。
「紬!」
眞子が叫ぶ。
紬はもう走っていた。疲れで足がもつれ、途中の蹄跡で転びそうになる。それでも倒れず、長剣を握り直した。
アビスバイソンが起き上がろうと首を持ち上げる。
「紬さん、首を狙って!」
天音の声が飛ぶ。
紬が踏み込んだ。
魔力が込められた長剣の刃が、首に入った。
アビスバイソンが暴れ、紬は剣ごと引きずられる。それでも手を離さない。眞子が倒れたアビスバイソンの脚を大剣で押さえ、里沙が巨体の上から風魔法で動きを止めようとする。
「倒れなさい!」
紬が長剣を押し込む。
巨体が土を掻き、やがて動きを止めた。
「倒した!」
天音の声が裏返った。
紬が息を切らしながら聞いた。
「もう動かない?」
「大丈夫、倒した!」
紬は長剣の柄にすがったまま、肩を上下させている。里沙は杖を地面につき、眞子は留め具を外して、へこんだ肩当てを腕から抜いた。天音のカメラも傾いている。
誰も、すぐには笑えなかった。
それでも紬は長剣を抜き、カメラを見た。
「みんな見てる! 倒したわよ」
紬は息を整えながら、少しだけ笑う。コメント欄は歓喜と称賛の嵐だ。
「肉を持って帰るから、晃一さんが勝つところを見せて」
紬が、言った。
俺が返事をしても向こうには聞こえない。それでも、うなずかずにはいられなかった。
広間の奥から、いくつもの蹄の音が響いた。
「群れが来る!」
「まこ。もう戦うって言わないでよ」
「言わない。さすがに無理だ」
紬と天音が必要な肉を保冷容器へ収める間、眞子と里沙は群れの来る方を見張った。
「帰り道、まだまだ気を抜けないよ」
天音が言った。
「分かってる。ここで終わりじゃないわ」
「ここで配信を切るね」
天音がカメラを伏せた。四人が保冷容器を抱えて岩柱の間へ入るところで、画面が暗くなった。
成功した。だが、まだ四人は深層にいる。
俺は何も映らなくなった画面を、すぐには伏せられなかった。




