第26章 二人目の料理技能S
久世が水城を連れてきた。
ここまでは、もう驚かない。驚いたのは、その後ろに立っていた男だ。
金色の髪を後ろへ流し、白い調理服の上に黒い上着を羽織っている。背が高く、鼻筋も通っていた。定食屋へ飯を食いに来た格好には見えない。
「神崎さん。ご紹介します」
久世は客席の真ん中まで進むと、店中へ聞かせる声で言った。
「フランス人シェフ、アドリアン・デュフール。パリダンジョンで見つけた、料理技能Sの持ち主です!」
客達の箸が止まった。紬たち四人も、一斉に男を見る。
水城だけは、抱えていた書類の束に顔を隠しかけていた。
「社長。神崎さんへのご挨拶ですよね?」
「もちろんです」
「どうして新商品の発表会みたいになっているんですか?」
「紹介するなら、大勢に知っていただいた方がいいでしょう」
「やっぱり宣伝じゃないですか!」
久世は聞いていなかった。大きな胸を張り、アドリアンを見上げている。前に負けた時とはえらい違いだ。ずいぶん分かりやすく立ち直ったな。
アドリアンは店内を見渡したあと、俺に向き直った。
「あなたが、神崎晃一ですね」
「そうだが」
「マドモアゼル久世から話は聞いています。料理技能Sを持ちながら、ご自分の料理が生む効果を認めていないそうですね」
初対面で、ずいぶんな言われようだ。
「俺は定食屋だ。客に飯を出してるだけだ」
「それも聞きました。だから、私が確かめて差し上げましょう」
アドリアンは上着を脱ぎ、水城へ差し出した。
「私は秘書であって、メイドではありません」
「では、マドモアゼル久世」
「私も持ちませんよ」
二人に断られ、アドリアンは少し考えてから、空いている席の背もたれへ自分で掛けた。その席へ座り、俺に向き直る。格好をつけるにも、人手がいるらしい。
紬が俺を手招きする。
「晃一さん。あれ、本当にすごい人なの?」
「俺に聞くな」
「料理技能Sだって。晃一さんと同じじゃない」
「そうらしいな」
「他人事みたいに言わないでよ」
天音がカメラへ手を伸ばしたが、久世が先に止めた。
「撮るなら、私の発表を最後まで聞いてからにしてください」
「まだあるの?」
紬に突っ込まれ、久世は笑ってごまかした。
アドリアンはメニューを開き、すぐに閉じた。
「この店で一番、飾りの利かない料理をお願いします」
「何が食いたいんだ?」
「そばを。この店の、たぬきそばシルヴプレ!」
「分かった」
「あなたの実力が出る一杯を」
「普通に作るぞ」
「構いません。実力は、隠そうとして隠せるものではありませんから」
こっちは隠すほどのものを持っていない。面倒な客が来た。それだけは間違いない。
そばつゆは、朝に引いた出汁へかえしを合わせる。温め直す時に煮立てれば香りが飛ぶから、沸く前で火を弱めた。
今朝仕入れたそばを別の鍋で茹でる。箸で大きくほぐし、茹で上がったら冷たい水で締めた。ぬめりを落とし、もう一度湯にくぐらせて丼へ移す。
熱いつゆを張ると、鰹の香りが湯気に乗った。刻んだねぎを添え、袋から出した揚げ玉は、出す直前に散らす。つゆを吸ったところと、まだ軽い歯触りのところを一緒に食える。
「たぬきそば、おまち」
アドリアンは、まず湯気の匂いを確かめた。箸でそばを持ち上げ、つゆを切ってから口へ運ぶ。次に、揚げ玉をつゆへ沈め、そばと一緒にすすった。
「どう?」
久世が待ちきれずに聞く。
「マドモアゼル久世。味わっている時に話しかけないでください」
「注意する時だけ丁寧ですね」
「静かに」
「はい」
あの久世を一言で黙らせた。料理より、そっちの方が大した技に思える。
アドリアンはつゆを飲み、入口へ振り向いた。
「通路の話し声が、先ほどよりはっきり聞こえる」
「聴覚が上がったの?」
天音が聞くと、アドリアンは少し間を置いてうなずいた。
「わずかですが。ほかに変化はありません」
久世が満足そうに俺を見る。俺がやったことにされても困る。
「気のせいでもおかしくないだろ。そんなもんだよな」
「晃一さん。まだ、それで通すつもり?」
「飯を食って、少し調子が良くなるだけなんだって」
紬は何か言いかけたが、諦めたらしい。隣で眞子が笑っている。
「それで、味はどうなのよ」
紬が聞くと、アドリアンは丼へ箸を置いた。
「これが噂の効果ですか。聴覚がわずかに上がっただけとは、ずいぶん大げさな話を聞かされたものです」
久世が身を乗り出す。ところが、続いた言葉は違った。
「出汁はまともです。鰹の香りを飛ばさず、かえしとの釣り合いも取れている」
「ちゃんと美味しいわよ!」
紬がすぐに言い返した。
「ですが、そばも揚げ玉も既製品です。あなたが作ったのは、つゆだけではありませんか。そのせいで得られる効果が、わずかな聴覚の上昇一つだけ。こんなものは料理とは呼べません」
アドリアンは俺をまっすぐ見た。
「私なら、味でも効果でも、この店を簡単に超えられます」
「そうかい」
「腹が立たないのですか?」
「食ってる客が美味いと言ってくれれば、それでいい。定食屋の、そばってのは、そういうもんだ。他にも色々作るからな。うちは、蕎麦屋じゃない。おふくろの味が売りの店だ」
「それでは、久世フードサービスの店と変りませんね。よく勝てたものです」
「なっ……」
鼻で笑われた。嫌な男だな。男前な分、余計に腹が立つ。
それでもアドリアンは箸を止めず、残ったそばを食べ、最後につゆを一口飲んで丼を置いた。
久世が勢いよく立ち上がった。
「そこで、皆様へお知らせがあります!」
「まだあるんですか?」
水城が書類を抱え直す。
「東京ダンジョンの久世フードサービスの店舗は、アドリアンに運営を任せます。新しい店名は――『ラ・ターブル・デュフール』!」
水城が用意していた紙を客へ配り始めた。新しい看板と店名、アドリアンの姿が大きく載っている。
「料理技能Sのシェフが厨房に立ち、店も料理もすべて新しくします。新装開店を、どうぞ楽しみに!」
「社長、ご挨拶だけではなかったんですか?」
「神崎さんへ宣戦布告するなら、お客様にも知っていただかないと」
「最初から、そのつもりだったんですね!」
紬が、声を荒げる。
アドリアンは席を立ち、白い調理服の胸元を直した。
「この店へ通う客も、すぐに私の料理を選ぶようになります」
「好きにしろ。うちは、うちのやり方を通すだけだ」
「私の国では、仕留める前にクマの毛皮を売ってはならないと言う。どんな相手でも全力で勝つ。あなたにも、本物の料理をお見せしましょう」
言うだけ言うと、背もたれの上着を羽織った。久世とアドリアンが先に出ていき、水城は残ったチラシを抱えて後を追う。
「すみません。社長が、また勝手にお騒がせして」
水城が、頭を下げる。
「水城、早く!」
「今行きます!」
三人が通路へ出ると、客席が一気に騒がしくなった。
「晃一さん。あんなこと言わせておいていいの?」
「俺が言わせたわけじゃない」
「でも、馬鹿にされたのは晃一さんの料理よ」
紬はまだ言い足りなそうだったが、後ろの客から親子丼の注文が入った。
「親子丼ひとつ」
「あいよ」
俺は、次の料理に取り掛かった。




