第23章 美人社長と厚切りハムカツサンド3
俺は冷蔵庫から塊のハムを出した。一枚で食べ応えが出る厚さにする。包丁を入れると、淡い桃色の断面に脂の白い筋が現れた。
厚く切ったハムへ薄く小麦粉をまぶし、溶き卵へくぐらせる。パン粉は手のひらで軽く押さえ、端までむらなく付けた。
鍋へ落としたひとかけの衣が、すぐ細かな泡をまとって浮く。温度は十分だ。ハムカツを油へ入れると、乾いた音が厨房に広がった。
天音が反射的にカメラへ手を伸ばしたが、途中で止めた。
「今日は撮らないのか?」
「これは配信できる話じゃないでしょ。やめとく」
そう言って、カメラを自分の膝へ戻した。
衣の色を見ながら一度返す。厚いハムは火を入れすぎれば硬くなる。衣がきつね色になったところで油から上げ、網の上へ置いた。
油の切れる音が落ち着くまでの間に、食パンの片面へ薄く辛子を塗る。千切りのキャベツを広げ、熱いハムカツを乗せた。ソースは衣へ吸わせすぎないよう、二筋だけ引く。
上からパンを重ね、手のひらで軽く押さえた。包丁を引くと、さくりと衣が割れる。切り口には厚いハム、その上下に細い衣とキャベツが重なった。
二人分の皿をカウンターへ置く。
「はい、厚切りハムカツサンド。冷めないうちにどうぞ」
水城は久世が手を付けるまで待っていた。久世は断面を目の高さまで上げ、衣とハムの厚さを見てから、一切れを持ち上げる。
「この厚さでは、食べにくくありませんか」
「食ってみれば分かります」
久世は俺を見たまま、赤みのある唇をゆっくり開いた。サンドの端を口へ含み、白い歯で衣を噛み切る。
さくっ、と衣の割れる音がした。
久世の眉がわずかに上がる。ゆっくり噛み切り、唇へ付いたソースを舌先で舐め取ってから、断面を見直した。厚くてもハムは歯に抵抗せず、衣だけが軽い音を残す。
喉が勝手に鳴った。昼を食ったばかりなのに、妙にうまそうに見える。
「水城。遠慮は評価に入らないわよ」
「はい。いただきます」
水城も一切れを取り、小さな口で思い切りかじった。
二人とも、最初のひと口では何も言わなかった。
水城は二口目を食べた。久世は皿へ戻しかけたサンドを、そのまま口へ運ぶ。
「ハムの塩気を、キャベツが……」
久世はそこまで言い、言葉を切った。
水城が背もたれから体を起こした。首を左右へ傾け、それから肩を回す。
「どうかしましたか」
「いえ。朝から肩が重かったんですが」
水城は自分の腕を確かめるように曲げた。さっきまで両腕で抱えていた書類鞄を片手で持ち上げ、目を丸くする。
「軽い」
「中身を忘れたんじゃないですか」
「いえ、資料は入っています」
腹が減って力が入らなかったのだろう。
久世も椅子へ深く座り直した。背を反らすと、ジャケットの内側で大きな胸が持ち上がる。首筋から谷間へ汗が一筋落ちた。久世は熱を逃がすように長く息を吐き、ブラウスの襟へ指を掛けてさらに開く。金のネックレスが胸元で光った。
また見てしまい、すぐ目を戻す。紬は水の入ったコップを両手で握り、今度は久世を睨んでいた。
「紬。コップが割れる」
眞子が真顔で言った。里沙が紬の手からコップを抜き、代わりに畳んだおしぼりを握らせる。
「こっちなら壊れないから」
「私、そんなに怒ってない」
「そういうことにしておくわ」
「手が温かい……それに、疲れが消えたみたいです。先ほどまで、足が重かったのに」
「昼を抜いて歩き回れば、重くもなりますよ」
奥の席で、皆が揃ってこちらを見ている。誰も口を挟まないが、天音だけは言いたそうに頬を膨らませていた。
久世は何か言おうとして、残ったサンドへ目を落とした。
「味については、もう反論できません。けれど店舗運営では、個人の技術に――」
言いながら、手は皿へ伸びている。久世は自分でも気づいたらしく、一度指を止めた。それでも結局、最後の一切れを取った。
水城の皿には、まだ一切れ残っていた。久世の目がそこへ向く。
「社長、半分お分けしますか。午後の予定をこれ以上増やさないと約束してくださるなら」
「あなたの分でしょう。聞かれたら欲しくなるから、聞かないで」
そう言いながら、久世の目はサンドを追っている。水城は迷った末、皿をわずかに自分へ引き寄せた。
「では、これは予定どおり私がいただきます」
「予定をそういうところに使うのね」
「社長から学びました」
そこは譲らないらしい。
最後まで食べ終えると、久世は水を一口飲んだ。入ってきた時より背筋が伸び、頬にも血の気が戻っている。
「同じものを、うちでも作れるとは申しません」
水城が久世を見る。久世はしばらく黙り、空になった皿を見た。
「しかし、当社には多店舗を運営する仕組みがあります。安定した仕入れも、人員も――」
「それは、そちらの店に必要なものでしょう」
俺は二人の皿を重ねた。
「ここは神崎屋です。俺はここで、来た客の為に飯を作ります」
久世は返事をしなかった。さっきまで並べていた効率や安定という言葉を探しているようだったが、口からは出てこない。
やがて久世は椅子を戻し、大きな胸をカウンターへ押し付けるほど俺へ身を乗り出した。柔らかな膨らみが縁へ乗り、開いた胸元が真正面を向く。体温が届きそうな距離だった。
「久しぶりに、食べる手を止められませんでした。神崎さん、あなたの料理、ますます欲しくなったわ」
甘い声が近い。思わず身体を引くと、奥で椅子が鳴った。紬が立っている。
「紬、どうした?」
「何でもない!」
何でもない声ではなかった。
天音が紬の腕を取り、里沙が椅子を戻した。
「紬ちゃん、座ろう。とにかく落ち着いて、気持ちは分かるけど」
「だから、何がよ!」
久世は楽しそうに紬へ目をやってから、ようやく身体を引き、俺へまっすぐ頭を下げた。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまです」
久世は銀色の保冷鞄を自分で持ち、水城と席を立った。扉の前で振り返ったが、店を変えてほしいとはもう言わなかった。
「今日はここまでにするわ。次は、もっと面白い条件を持ってきます」
「社長、次があると決めないでください! また私が作戦を考えるんですよね。絶対そうですよね?」
「お気を付けて」
二人が出ていく。扉が閉まっても、店の中はしばらく静かなままだった。




