第21章 天丼とミラーウルフ2
五人が戻ってきたのは、閉店間際だった。
揃って店へ入ってきた顔に怪我はない。ただし、紬の白い鎧の靴底には細かなガラスの粉がつき、天音は撮影用カメラを抱えたまま笑いをこらえている。
「何があった?」
「晃一さんは、先にこれを見て」
天音がカウンターへカメラを置き、撮ってきた映像を再生した。紬は止めようと手を伸ばしたが、一歩遅い。
「あまね、そこは飛ばしなさい!」
「最初から見ないと靴の粉の理由が分からないもん」
「もう答えを言ってるじゃない!」
画面には鏡の回廊が映っていた。左右の壁へ大きな鏡が並び、五人の姿をいくつも増やしている。天井の明かりまで奥へ奥へと続いて見えるせいで、どこまでが通路なのか、画面越しではさっぱり分からない。
「私が十人いる!」
天音の声と一緒に、カメラが鏡を横切った。
「一人でも騒がしいのに」
「紬ちゃんだって十人いるよ」
「晃一さん、選び放題ね」
「一人で間に合ってると思うよ」
同感だ。
鏡の中では、白い鎧の紬が先頭を歩き、その後ろをカメラを構えた天音が進んでいる。里沙は杖を持って周囲を見回し、眞子は大剣へ手をかけていた。彩希は列の後ろで足元を確かめている。
「珍しいもの、どこかな。右の私、何か知らない?」
天音が鏡の自分へ話しかける。
「あまね、遊んでないで前を見て」
「カメラは前を見てるよ」
「あまねが見なさい」
紬が振り返った、そのときだった。
正面の大鏡、その奥の暗がりから、全身鏡の狼が飛び出した。
いや、飛び出したように見えた。
鏡に映ったミラーウルフが牙をむき、まっすぐ紬へ跳びかかる。紬が長剣を抜いて正面へ構えた瞬間、画面の右端で影が動いた。
「天音、横!」
里沙の声が響く。
実体はそっちにいた。正面の像へ目を向けさせておいて、横から撮影中の天音を狙ったらしい。
天音がカメラごと振り向く。画面いっぱいに牙が迫った。
「うわっ、近い近い近い!」
紬が床を蹴った。
白い鎧が横切った、と思った次には、天音も狼も画面の外へ消えている。
金属がぶつかる重い音がした。
「紬ちゃん、行きすぎ!」
揺れる映像の端に、紬の姿が映った。天音へ届くはずだった紬は、その横を勢いよく通り過ぎ、通路脇の大鏡へ両足から着地している。
「こんなに跳べるなんて、いつもと違いすぎ!」
鏡がびりびりと震え、紬の靴底から細いひびが走る。それでも紬は止まらない。大鏡を壁のように蹴り、もう一度跳んだ。
今度は天音の腰を片腕で抱え、そのまま狼の牙の前からさらっていく。
「カメラ!」
「持ってる!」
天音の返事どおり、映像は激しく回りながらも途切れなかった。床、天井、鏡、紬の白い肩が順番もなく映り、最後に二人が通路の反対側へ着地する。
「あまね、怪我は?」
「ない! 紬ちゃん、速すぎて目がまわってる」
「喋れるなら平気ね」
紬が天音を立たせ、狼へ長剣を向けた。
「彩希さん、こちらへ」
里沙が杖を横へ伸ばす。彩希はすぐ里沙の後ろへ下がり、短剣を抜いて構えた。
「はい。後ろは任せてください」
眞子は二人の前へ出ると、背の大剣を抜いた。
「面倒な狼だな。どれを斬ればいい?」
「少し待ってくださいませ」
左右の鏡に、同じ狼がいる。
実体が身を低くした。鏡の像も同時に伏せる。次の瞬間、二頭が左右へ跳び、交差した。
どちらが鏡の中で、どちらが通路にいるのか。俺の目では入れ替わったことしか分からない。
「右? 左?」
天音がカメラを振る。
「口に出すな。余計に分からなくなる!」
紬の声に、映像がぴたりと止まった。
さっき紬が着地した大鏡には、二つの靴跡が白く残っていた。狼がどれほど素早く入れ替わっても、あの跡だけは鏡の同じ場所から動かない。
「眞子、右ですわ」
里沙が杖先を上げた。
「靴跡を隠している方が実体です!」
「分かった!」
眞子の銀の鎧が低く沈む。床を蹴る音と同時に、大剣が下から斜めへ走った。
重い刃が、右側のミラーウルフの肩を捉える。
「当たりだぞ!」
狼の体勢が崩れた。鏡の中の像が遅れて揺らぐ。
「紬ちゃん!」
天音が叫ぶより早く、紬が前へ出ていた。
長剣が一閃する。
ミラーウルフは後ろへ吹き飛び、紬の靴跡が残った大鏡へ激突した。細かったひびが一気に広がり、鏡が大きな音を立てて割れる。
天音のカメラが、崩れた鏡の向こうへ向いた。
そこには壁ではなく、人が一人通れるほどの細い道が続いていた。
「道だ!」
眞子が大剣を担ぎ直す。
「鏡の裏に隠れていたんですね」
彩希が里沙の後ろから顔を出した。
「お宝がありそう!」
天音が一歩出る。紬はその襟元をつかんで止めた。
「待ちなさい。今度は勝手に入らない」
「ちょっと見るだけ」
「その『ちょっと』で狼に噛まれかけたのは誰?」
「撮影熱心な私です」
「反省しなさい!」
道の入口で言い合う二人の横で、里沙が鏡に残った靴跡を眺めている。眞子は大剣を下ろし、彩希は後ろを警戒したままだ。
そこで映像が止まった。
「この先へは入ったのか?」
「入ってないわ。入口だけ確かめて戻ってきたの。また次に探索する」
紬が答え、靴底についたガラスの粉を俺へ見せる。
慎重な紬らしい。
鏡にぶつかるなとは言った。
まさか両足で蹴って、最後には割るとは思わなかったけどな。
無事で済んだのだから、恥ずかしがることではない。




