第20章 帰還後の茶漬け定食
昼の客が一段落して、揚げ油の火を落とした頃だった。
「晃一さん、帰ったわ。後、軽く食べられるもの……お茶漬けでも頼むわ」
紬を先頭に、天音、里沙、眞子が入ってきた。四人とも顔や装備は洗ってあるが、歩き方には疲れが残っている。ギルドへの報告まで済ませてきたらしい。
ただし、疲れていても手ぶらではなかった。天音が両手で抱えた籠から、透明な傘に赤や青の筋が入った茸が見えている。
「本物の虹茸! ちゃんと持って帰ってきたよ!」
「店の中で振り回すな。胞子が飛ぶ」
「振り回してないよ。見せてるの」
「その速さなら、振り回してるのと一緒だ」
カウンターの端では、彩希が腰へ下げた二本の水筒を磨いていた。足元の靴も、擦れていた底がきちんと直っている。ゴブリンから得た魔石と銀貨を売り、その金で揃えたものだ。四人が来るまで何度も眺めていたくせに、虹茸を見るなり羨ましそうにのぞき込む。
「綺麗ですね。でも、この靴と水筒だって、自分でゴブリンを倒して揃えたんです」
「虹茸は隠し部屋で見つけたのよ」
「こっちはゴブリン三体を一人で倒したんです」
「こっちは脚の生えた偽物もいたぞ」
眞子、それは自慢に足していいのか。
「こっちは探索で毎回使えます。水筒も二本です」
「虹茸だって珍しいんだから、きっと高いわ」
「Sランクパーティーの戦果なんだから、当たり前じゃないですか。こちらは実力以上の戦果です!」
「彩希ちゃん、今日は強気だねえ」
天音が面白がって、虹茸の籠を彩希の水筒の隣へ置く。赤や青に光り、彩希の目がそちらへ引かれた。
「……でも、光るのはちょっとずるいです。綺麗……」
「勝った」
「まだ負けてません」
何の勝負だ。どちらも無事に帰って戦果があったなら、それでいいだろう。
「話は茶漬けを食いながらにしろ。五人とも、それでいいか?」
「大盛りで」
眞子の声だけ、疲れが見当たらない。
「茶漬けの大盛りって、軽い食事なんでしょうか」
「大盛りにした時点で、軽さは諦めろ」
昆布とかつおでとった出汁を火にかける。煮立てると香りが荒れるから、鍋の底から細かな泡が上がったところで火を弱めた。
具は焼き鮭だ。注意して焼いたから、焦げ目は香ばしく、身はぱさついていない。箸を入れると、薄桃色の身が大きくほぐれた。
「鮭、多めでお願いします」
「私も」
紬と彩希が、鮭の追加を注文する。
「紬、張り合うところが魔石から鮭になってるよ」
天音に言われ、紬が咳払いをした。
「探索の後なんだから、塩気が欲しいだけよ」
「あたしの皿も、塩気を多めで」
「眞子は鮭を増やしたいだけでしょう」
「ばれたか」
ばれる。しかも早い。
鮭の塩気を見て、出汁の味を少しだけ薄くする。茶漬けは出汁だけで味を決めると、具を崩した後にしょっぱくなる。鮭と一緒に口へ入れて、ちょうどいいくらいでいい。
丼へ炊きたての飯をよそう。探索帰りの五人分だ。眞子の分だけ大盛りにする。
鮭、刻み海苔、三つ葉、あられを順に載せる。最後に熱い出汁を注ぐと、海苔と三つ葉の香りが湯気に混じった。鮭の焦げ目から脂が細く広がり、澄んだ出汁の表に丸い光が浮かぶ。
「はい。話す前に食え。飯が出汁を吸って、ふやけすぎる前にな」
「いただきます!」
五人の声が揃った。
最初に丼へ顔を近づけたのは眞子だ。だが、勢いよくすすろうとしたところで、紬に鎧の肩をつかまれた。
「熱いわよ」
「茶漬けだぞ?」
「熱い出汁をかけたのを見てたでしょう」
「見てた」
「じゃあ分かりなさい」
「だから、分かってる」
眞子は渋々、ひと口目だけ息を吹きかけた。鮭を崩し、飯と一緒にかき込む。
「うまい! 出汁は軽いのに、鮭のところだけ味が濃いぞ」
「だから鮭に合わせたんだ。全体で丁度よくなる」
「大盛りでも軽いな」
「その理屈で二杯目の注文は全部食ってからだぞ」
まだ一杯目の半分も食べていない。先回りしておいて損はない。
彩希は出汁を含んだ飯をゆっくり噛んだ。ぱりっとしたあられが砕けると、驚いたように目を丸くする。
「柔らかい中に、急に香ばしいのが来ます。鮭の皮も少し入ってて……これ、疲れてても食べやすいです」
言い終える前に、もう次のひと口をすくっている。気に入ったなら何よりだ。
里沙は眼鏡が曇らないよう注意しながら、出汁をひと口飲んだ。息をつくと、カウンターへ置いていた赤い宝珠の杖へ目を向ける。
「魔力の戻り方が、いつもよりずっと速いです。先ほどまで空に近かったのに、もう魔法を使えそうなくらい」
「食べた直後に考えることじゃない。疲れてるだろうから、今日は帰れ」
「はい。帰るために回復しているところです」
その答えなら文句はない。
「やっぱり晃一さんのバフ飯だね。私、疲れてたはずなのに、耳の奥まですっきりした感じがする」
天音が箸を止め、店の入口へ顔を向けた。通路を走る靴音でも聞こえたらしい。
紬も背筋を伸ばしている。
「感知力が大きく上がってる。それに、これくらいの疲れなら吹っ飛びそう」
「吹っ飛ばさなくていいから帰って休め」
「例えよ」
五人の食べる勢いが少し落ち着いたところで、紬が虹茸探索の話を始めた。
「天音が映像の違いに気づかなかったら、今も同じところを回っていたかもしれないの」
「紬が欠けた傘を覚えてたからだよ。私一人じゃ、同じ茸だって分からなかったもん」
「里沙も胞子を全部押し返してくれたわ」
「大したことはしていません」
里沙はそう言ってから、眞子の丼を見た。
「眞子も、敵を止めてくれましたし」
「あたしは敵より、天音が帰り道を見つけた方がすごいと思うぞ。あれがなかったら、腹が減って帰れなかった」
「褒める理由が最後だけ食欲なんだけど」
天音は笑ったが、嬉しそうに鮭をほぐしている。
紬は自分の剣の話を一度もしなかった。自分の手柄を先に言いそうな性格だと思っていたが、外ではちゃんと仲間を立てているらしい。
「紬は何をしたんだ?」
「私は普通よ。根を斬っただけ」
「太いやつだったじゃん!」
「あれを普通って言うと、他の探索者が困ります」
彩希にまで言われ、紬は丼を持ち上げて口元を隠した。褒められると弱いところは、店の中でも外でも変わらないようだ。
五人が食べ終わる頃には、疲れた顔ではなくなっていた。疲れにくくなった、遠くの音まで聞こえる、魔力が勢いよく戻る。本人たちは大げさなくらい変わったと言うが、温かい飯を腹へ入れて、仲間の無事な顔を見れば元気も出るだろう。
俺が空いた丼へ手を伸ばした時、彩希と紬が同時に虹茸の籠を振り返った。
「今、鳴りました」
「中に何かいる」
虹茸の傘が、かさりと擦れた。
「茸が動いたんじゃない?」
天音がカメラを向ける。その直後、虹茸の間から銀色の薄い板が跳ね上がった。
板ではない。指先ほどの虫だ。背中の甲羅が鏡みたいに光り、細い脚で籠の縁を越えた。
「虫!」
「店の中に逃がすな!」
俺が止めるより早く、虫はカウンターへ飛び移った。
眞子が空の丼をかぶせようとする。虫はその下をすり抜け、水筒の横を走った。
「速いぞ、こいつ!」
「丼を割らないでよ!」
「虫を捕まえるのと食器、どっちが大事なんだ?」
「今は両方!」
紬の答えが無茶だ。だが、眞子は妙に納得し、丼を両手で持ち直した。
虫は彩希の水筒へ近づき、つるりと方向を変える。彩希の箸が先へ回り込み、床へ落ちる寸前で進路をそらした。
「そっちは駄目です!」
「彩希、右!」
「はい!」
紬にも同じ音が聞こえているらしい。虫がカウンターを引っかく小さな音だけで虫の向きを当て、自分の箸を彩希とは反対側へ置いた。
里沙が空の椀を横から置いた。虫が反対へ逃げると、今度は眞子の丼が道を塞ぐ。
「追い込んだぞ!」
「まだです。天音、そちらをお願いします」
「任せて!」
天音はカメラを脇へ置き、箸を一本ずつ両手に持った。虫が抜けようとした隙間へ箸を交差させる。挟まず、行き先だけを狭めたのは正解だ。
「今よ!」
紬の声で、彩希が椀をかぶせた。
かつん、と小さな音がして、虫が椀の下へ収まる。
「捕まえました!」
「割ってないぞ!」
「はいはい、お上手でした」
店も食器も無事だ。小さくてもモンスターだろう。逃がさなくてよかった。
彩希が椀をほんの少し持ち上げ、紬が箸で虫を捕まえた。虹茸の籠を布で包み、きつく縛る。
「ミラーバグですね」
里沙が甲羅を覗き込む。銀色の背には、天井の灯りも、虹茸も、こちらの丼も映っていた。
周りを囲む五人の顔まで、丸い甲羅の上で小さく歪んでいる。
「本当だ。私、丸い!」
天音が角度を変えると、カメラと店の壁に押し出され、五人の顔が銀色の端へ滑っていく。
「鏡みたい。ミラーバグって名前どおりね」
「私の水筒は映ってます」
「虹茸も映ってるわ」
「また勝負を始めるな」
俺が言うと、天音が急に顔を上げた。
「そういえば、こんな大きな鏡がずっと並んでる回廊があるって聞いたことがある。奥に珍しい宝があるらしいよ」
「鏡の回廊?」
紬の目が、虹茸よりも明るくなった。
「次は、そこで勝負ね」
「何を見つけたら勝ちなんですか?」
「一番珍しいもの」
「決め方が雑です」
「宝なら、あたしが持つぞ」
「見つける前から持つ係を決めないで」
疲れて帰ってきたはずの連中が、もう次の探索で騒いでいる。茶漬け一杯で元気になりすぎだ。
彩希まで籠を見ながら手を挙げた。
「私も参加していいですか。今度こそ、虹茸に負けないものを見つけます」
「もちろんよ。今度は五人で勝負ね」
話が決まるのは早いが、虫を持ち込んだ反省の言葉は無い。
「その前に、全員聞け」
五人がこちらを向いた。
「次から、虫が入ってないか確かめてから店へ持ってこい」
「はい」
返事だけは見事に揃った。
天音と眞子が籠を持ち、紬と里沙が布の口を押さえる。
「開けるなよ!」
「分かってる!」
紬達の声が揃った。




