第16章 雨の日のポトフ1
地上は朝から雨らしい。
地下にいると雨音は聞こえないが、通路を歩く客の肩や髪が濡れている。昼の混雑が収まるころには、神崎屋の入口に畳んだ傘が何本も並んでいた。
こんな日は、焼き物より煮込みが出る。
朝から火にかけていた鍋の蓋を開けると、鶏肉と野菜の匂いが湯気に乗った。澄んだスープの中で、大根と人参がゆっくり揺れている。
扉が開き、紬、天音、里沙、眞子がそろって入ってきた。四人とも探索装備だ。
「いらっしゃい。空いてるところへ座ってくれ」
「晃一さん、今日のおすすめは?」
「見れば分かるだろ。ポトフだ」
湯気の立つ鍋を見て、眞子が真っ先にカウンターの椅子へ腰を下ろす。
紬、天音、里沙もその隣へ並んで座る。
「私、ポトフ大盛り!」
「私たちも同じものをお願いします」
「はいよ」
里沙が眼鏡を外して布で拭いた。まだ食べてもいないのに、鍋の湯気で曇らせている。
俺は鍋へ戻る。
鶏肉は朝のうちに表面だけ焼き、大根と人参と一緒に弱火で煮てある。火の通りにくいものから鍋へ入れ、じゃがいもとキャベツは煮崩れる前に引き上げた。ソーセージも温まったところで別にしてある。煮汁へ味を出し切ったソーセージなんて、食べても張り合いがない。
天音がカウンター越しに、具材を分けたバットをのぞき込む。今日は店内を撮らないらしく、カメラは鞄の中だ。
「全部、鍋に入れたままじゃないんですね」
「煮える時間が違うからな。じゃがいもは崩れるし、ソーセージは煮すぎると味が抜ける」
「入れる順番だけじゃ駄目なんですか?」
「昼のあいだ、ずっと鍋に入れておくわけにはいかないだろ」
注文が入ったら、一人分ずつ具を小鍋へ移し、スープと一緒に温め直す。大きな鍋で煮立てるより、じゃがいもの角もキャベツの形も残る。
「作る順番だけじゃなくて、出す時の状態まで考えるんですね」
紬が感心したように言う。
「店で出すならな」
小鍋の縁に細かな泡が上がったところで火を弱める。塩を少し足して味を見る。鶏の脂は出ているが重くない。大根の甘さもある。
扉がもう一度開いた。
灰色の作業服を着た男が、濡れた頭をタオルで拭きながら入ってくる。前に地下商店組合から換気の点検に来た作業員だ。
「いらっしゃい。空いてるところへどうぞ」
男はカウンターの端へ座り、水をひと口飲むと、入口の上を見上げた。
「換気口のフィルターの調子はどうだ?」
「いいよ。料理の匂いが通路へ、あまり漏れなくなった」
「なら問題ない」
男は納得すると、もう一度水を飲んだ。
「そういえば、名前を聞いてなかったな」
「山本だ。山本誠」
「山本さんもポトフでいいか?」
「それを頼む。店へ入ってから、ポトフのいい匂いがしてたまらん」
温めておいた深皿を五枚並べ、煮えた野菜と鶏肉を移していく。最後にソーセージをのせ、澄んだ金色のスープを注いだ。黒胡椒の粒が湯気の下で光る。
「はい、ポトフお待ち!」
山本さん、紬、天音、里沙の前へ一皿ずつ置き、眞子には具を多く盛った深皿を出す。
「待ってました!」
眞子がスプーンを持つ。待ってましたと言うほど、長くは待たせていない。
紬が大根へスプーンを入れる。力を入れなくても割れ、切り口から透明なスープがにじむ。息を吹きかけて口へ運ぶ。紬が俺を見て、にっこり笑った。
「中まで味が入ってます。大根なのに、鶏肉とソーセージの味がします」
「鶏肉とソーセージの味が、スープに出てるからな」
眞子は半分に切ったじゃがいもを、さらに割って口へ入れる。
「じゃがいも、ほくほく!」
そう言った直後、眞子は水へ手を伸ばした。
それを見た里沙が言う。
「やっぱり熱かったんですね」
「ちょっとだけ」
眞子は水を飲み、今度はじゃがいもへ何度も息を吹きかけた。
山本さんはソーセージを口に入れ、続けてスープを飲む。
「ソーセージの味が、ちゃんと残ってるな」
「煮すぎる前に鍋から上げてるんですよ」
山本さんはもう一切れ口に入れた。
四人の皿が半分ほど空いたところで、天音が両手を見た。冷えていた指先を動かし、首を傾ける。
「あれ。さっきまで冷たかったのに、指が全然冷えない」
紬も自分の腕をさすり、背筋を伸ばす。
「寒くないだけじゃありません。いつもより、体のまわりに魔力が集まっています」
里沙が掌に小さな風を起こす。湯気が皿の上でくるりと回り、すぐ消えた。里沙は息を乱すこともなく、もう一度スープを飲む。
「今の風、いつもならもう少し力が要ります。防御力と持久力にも、何かありそうですね」
「やっぱりバフ飯だ!」
眞子が胸を叩き、金属の鎧を鳴らした。
「今なら氷の塊が飛んできても平気そう」
「店の中で試すなよ」
「氷ないよ」
「あっても試すな」
ポトフを食べて、なぜ氷と殴り合う話になるのか。
「晃一さん、今日も認めませんか?」
紬がスプーンを置き、俺を見る。
「温かいものを腹いっぱい食ったんだ。寒さに強くなるし、踏ん張りも利くだろ」
「普通のポトフを食べても、こんなふうには感じません」
「うちのは具が多いからな」
紬は何か言い返しかけたが、皿に残ったソーセージを見てやめた。議論より、温かいうちに食うほうを選んだらしい。正しい。
山本さんは四人より先に食べ終えた。代金を払い、入口でタオルを首へかけ直す。
「また飯を食いに来る。フィルターも、変な音がしたら呼んでくれ」
「分かった。今度も腹を空かせて来てくれ」
山本さんが店を出たあと、四人も皿をきれいに空けた。
全員が食べ終えると、紬が代金をまとめてカウンターへ置いた。
「ごちそうさまでした。このあと、寒冷エリアへ行ってきます」
「おう。気をつけてな」
天音が鞄の中のカメラを確かめ、里沙は杖を持ち直す。眞子が両刃の大剣を背負い、紬が最後に扉を閉める。
四人とも元気に出ていった。




