第12章 甘いもの好きの賢者1
午後の神崎屋は、開店時の行列がひと巡りして、少しだけ客足が減っていた。
それでも、客は何人か残っていた。厨房では換気扇の音が響き、味噌汁の残り香と、さっきまで焼いていた魚の匂いが、まだ少しだけ混じっている。
俺がカウンターを拭いていると、入口から新顔が入ってきた。
入ってきたのは、長い黒髪の、黒ぶち眼鏡の女の子だった。背が高くて姿勢がよく、細身なのに胸元だけはちゃんと存在感がある。落ち着いた顔をしているのに、視線だけが妙に真っすぐ冷蔵庫を見ている。
来栖里沙。ハートフルレイズで一番の常識人で、A級探索者の賢者だと、紬から何度か聞いていた。きっちりした話し方をする、いかにも優等生という印象の子だ。
ただ、今の目は、優等生のそれではなかった。
「こんにちは。今日は、甘いものを食べに来ました」
壁にかけられたメニュー表の最後のほうを見た瞬間だけ、声に少しだけ熱が入った。
「甘いもの?」
「はい。プリンアラモードがあると、聞きました」
そう言った里沙に対して、先に椅子についていた紬が、むっとした顔をした。
「聞いたって、誰にですか」
「天音さんです。一緒に食べに来ないかって」
「ああ、天音か。また、この店に来る女を増やすとは……」
入口のほうから、スマホを構えた天音が顔を出す。今日も今日とて、撮る気満々の顔だ。
「だって、里沙が『甘いものも勉強のうちです』とか言うから。絶対に食べさせたら面白いって思ったんだもん」
「その通り。糖質は、脳に必要な栄養です」
里沙はそう返したが、視線はもうメニューの甘味欄に釘づけだ。おかしい。常識人っていうのは、そういうときはもう少し落ち着いているものじゃないのか。
俺がそんなことを考えていると、紬が里沙の肩をつついた。
「里沙、顔が本気です」
「本気です」
即答だった。
あまりにきっぱりしていたので、俺は思わず笑いそうになる。紬は唇を尖らせ、天音はカメラを向けたまま肩を震わせた。
「よし。じゃあ、うちの一番甘いやつを出すか」
「一番ですか」
里沙の声が、ほんの少しだけ上ずった。
「はい。お願いします」
その返事の速さで、どれだけ甘いものが好きか分かる。
俺はエプロンの端を直しながら、厨房へ向かった。




