第11章 鯖味噌は待ってでも2
彩希と先に入った客たちは、次々と店を出て探索口へ向かっていった。
空いたカウンター席へ紬と天音を通す。
「別の定食なら、すぐ出せるぞ」
「鯖味噌を待つわ」
紬は迷わなかった。
「昨日の疲れ、残ってるんでしょ。出発を遅らせても大丈夫?」
天音が聞くと、紬は首と肩をゆっくり回した。
「無理に潜るより、晃一さんのご飯を食べてから行くほうがいいに決まってるでしょ」
「じゃあ、あたしも待つしかないか」
俺は冷蔵庫から、下処理を済ませた鯖の切り身を出した。皮へ浅く切れ目を入れ、熱湯を回しかける。表面が白く縮んだところで冷水へ取り、残った血やぬめりを洗った。
天音はカメラを出さず、小さなメモ帳を開く。今は、食べ終えた客と次の客が何度も入れ替わって混雑している。今日は、いつもよりさらに混んでいる。撮影は無理と判断したようだ。
「いきなり味噌で煮ないんですね」
「先に臭みを落とす。鍋へ入れるのは酒、水、生姜、昆布だしだ」
煮汁が沸いたら灰汁を取り、落とし蓋をする。鯖の脂が小さな丸になって浮かんだ。
「味噌は二回に分ける。一回目は味を含ませる分。残りは火を止める前に入れて、香りを残す」
「砂糖とみりんは?」
「甘くしすぎると鯖の味が消える。砂糖は少なめ。みりんは照りを出すぐらいで」
天音の鉛筆が紙の上を走る。
「晃一さん、ちゃんと普通の料理人ですね」
「今まで何だと思ってたんだ」
「バフ飯でバズってる人」
「普通の料理人だ」
天音が笑い、紬も鍋を見ながら口元を緩めた。
火を止める直前、残しておいた味噌を煮汁で溶く。艶の出たたれを鯖へかけると、生姜と味噌の香りが厨房から客席へ広がった。
「できたぞ。二人の分だ」
「紬ちゃん、鯖を見すぎ」
天音が言う。
「もう言わないんじゃなかったの?」
「忘れてた」
鯖の味噌煮定食を二つ並べる。
白い飯、豆腐の味噌汁、青菜のおひたし。主菜の鯖には濃い味噌だれが絡み、針生姜を乗せた皮から湯気が上がっている。
「お待たせ」
「本当に待ったわ」
「ほかのものを頼めば、早かったぞ」
「今日は鯖味噌の口になっちゃってたから」
紬は皮の近くから身を外し、味噌だれと一緒に飯へ乗せた。口へ入れると、頬が緩む。
「おいしい。鯖の脂たっぷりなのに、生姜のおかげで重くならない。待ったぶん、余計においしい」
「空腹が調味料だな」
「それだけじゃなくて、晃一さんの料理が絶品なのよ」
天音も一口食べ、すぐに味噌だれを飯へつけた。
「昨日の撮影から残ってた疲労が、全部なくなりました。鞄も軽い」
天音が、重そうな撮影用の鞄を片手で、さっと持ち上げる。紬も肩を回し、鎧の上から脇腹へ手を当てた。
「私も。寝ても残ってた体の疲れが、一口で消えたわ」
二人とも、朝ここへ来たときより顔色がいい。温かい飯を食って落ち着けば、そのくらいは違うんだろう。
「防御力と持久力が大幅に上がってる気がする。状態異常への耐性も感じるわ」
「あたしは集中力も上がってるっぽい。昨日の疲れでぼやけてたメモの字が、はっきり見える」
「それは疲れ目でしょ」
「そうか、にゃはは」
天音はメモ帳を閉じ、鯖と飯を交互に食べた。
食べ終えた二人が立つころには、開店からの行列も短くなっていた。入口では次の探索者が空席を待ち、その向こうを、食事を済ませた客たちが店を出て地下2階の探索口へ歩いていく。
紬が空の皿を、俺の前へ押した。
「次から、鯖味噌は『いつもの』で出して」
「売り切れてたらどうする」
「待つわ」
「今日みたいに?」
「先に並んだ人から食べるのは普通でしょ。仕方ないわ」
天音がにやりとする。
「紬ちゃん、明日はもっと早く並ぶ気でしょ」
「あまねも一緒に来るのよ」
「起きられたら」
「起こしに行くわ」
「もう、めんどうくさいなー。でも、ここのご飯は探索前にかかせないしね」
紬は俺の返事を待ったまま、席を離れない。
「分かった。次は『いつもの』で出す」
「うん。じゃあ、行ってくる」
二人は、店を出て探索口のほうへ歩いていった。
俺はメモ帳を開き、明日の開店分の鯖を増やすよう書いた。




