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怒髪冠を衝け!  作者: 村松康弘
39/40

39 ― 最終話 ―

 …凄子は足元の男を、容赦なく蹴り続けている。顔だろうが頭だろうがお構いなしだ。背後で警察官は、凄子を止めようと必死で押さえつける。

 凄蔵の泣き声が屋内のどこかから聞こえてくる。凄子は警察官の手を振りほどき、声の先を探す。

 「凄蔵!…凄蔵!」

 声を張り上げて、凄蔵を呼びながらそこら中探すが、どこにもいない。しかし依然として凄蔵の号泣の声は続いていた。

 「凄蔵!…」

 

 …凄子は目を開けた。だが、視界がぐるぐる回っていて焦点が定まらない。やがて目の前のフジ、叶多、香音の顔を認識した。3人の向こうに空が見える、どうやら自分は仰向けなっているようだと気づいた。

 「あれ、…生きてたんか、あたし」

 その途端、喜びの声を上げた香音は、凄子の顔に涙を落としながら抱きついてきた。

 「良かった!凄子さんが目を覚ました!」

 香音は凄子の胸の上に突っ伏しながら、声を上げて泣く。その身体は裸ではなく、香音には大きすぎるストライプ柄のシャツに包まれていた。ふと、フジのコロンの匂いが漂った。

 凄子の傍らに、左腕に包帯を巻いた叶多が跪いて、大粒の涙をこぼしながら声を上げた。

 「ごめんなさい、本当にごめんなさい。俺が約束を守らなかったから…」

 叶多は幼児のように、目の前に片腕を当てて泣く。ふたりとも嗚咽が止まらない。

 「いいんだよ、気にすんな。…香音は怖い思いしたよな、よくがんばったよ」

 凄子は香音の背中をさすりながら上体を起こした。そこに叶多も寄り添ってくる。

 「あぶねえとこだったよ…」

 フジの上半身は黒いタンクトップ姿だ。そして露出している肌には、カラフルな刺青が隙間なく彫られている。まるで和柄模様のアンダーシャツを着ているようだ。

 「間近で撃った弾丸は、凄子の頭の右すれすれを飛んでったようだ。…野郎、よりよって45口径のコルト・ガバメントの模倣品を作ったようだ。こいつはとんでもねえ破壊力だぜ」

 そう言うと、切れ長の細く鋭い眼に怒りの光が宿る。足元に転がっている改造拳銃を蹴飛ばした。

 「近距離だから衝撃波だけでも相当なもんだ。凄子はそれにやられた。…あと10センチ左にずれてたら頭なんか木端微塵で、首から上はなかったとこだ…」

 蹴飛ばされた拳銃は、本物のように鈍く光っている。あの破壊力を持つ弾丸を発射させても耐えられる銃身を作るには、相当な技術が要るはずだ。

 美崎にそれだけの能力があったのか、それとも誰かに委託して作らせたのか。…そういえば美崎の姿が見えない。

 「あの野郎は?」

 凄子はあたりを見回しながら聞いた。

 「…ぶちのめしたら呆気なくぶっ倒れてたんだが、そのうちに起き出して上半身裸になって喚きだしやがって」

 フジはいったん話を止めて、タバコに火を点けた。

 「うるせえんでぶん殴ったら、キチガイみてえに大笑いしながら山の中に歩いて行っちまった。血まみれの顔のままな。…あの野郎、頭がおかしいんじゃねえか?」

 …またもや『連続強姦強盗事件』のその後が脳裏によぎった。

 

 凄子は叶多と香音に支えられて立ち上がった、少し眩暈がしたが身体は大丈夫なようだ。

 フジに目配せをして、若いふたりと少し離れてから小声で聞く。

 「香音の身体は?」

 美崎から性的被害を受けたのか、という意味だった。

 「大丈夫なようだ。…どうやら凄子が呼びかけた時には服を剥されてたらしい。…刃物で切り刻まれるように脱がされたって言ってた。あぶなかったな…」

 そういえば美崎は、一度カーテンを開けて周囲を見回して笑っていた。その直後だったということか。

 凄子はその光景を想像して、あらためて胸をなでおろした。

 

 美崎治男は依然としてどこかに消えている。

 「よし、もうこんなとこから離れようぜ」

 凄子が言った。

 「娘っ子は一度、俺んとこの看護師に診させてから自宅に送るよ」

 フジはそう言って屋内に入っていく。凄子たちも後をついていくと、キッチンの窓が大きく破壊されていた。フジは裏口の鍵を開けて外に出た。その先にジープが停まっている。

 その後方に岩だらけの廃道らしき道が続いている。深い轍のついたガレ場だ、ジープのような4WDでなければ無理だろう。

 「こんな道があったのか、よく知ってたな」

 フジは助手席の幌ドアを開け、香音を誘いながら、

 「ああ、…昔この近くのログハウスに、柴犬とふたりで暮らしてた時期があってな。このあたりは割りと詳しいんだ」

 そう言うと、遠くを見つめる目になった。座った香音の前のバーに、あの赤い小さな首輪がぶら下がっている。

 それじゃあな、とジープは荒れ道を、左右に揺れながら登って行った。

 フジと香音を見送り、別荘の中を通過した時、香音が連れ込まれた部屋の中が見えた。切り刻まれたスカートやブラウスが散らかっていた。

 玄関を閉めると、ふたり並んで砂利道を戻っていく。

 「無茶もしたけど、叶多、お前には男を感じたぜ。なかなか大したもんだ」

 凄子はそう言いながら、セブンスターに火を点けた。

 「無茶したことは、本当に反省してます。…ごめんなさい」

 神妙な顔つきの叶多の肩を、凄子はパンパンと叩いた。


 路肩に停めたレビンに乗り込むと、峠道上で方向転換して別荘道路を下っていく。ちょうど目の前に夕暮れの山の稜線がくっきり見えた。

 凄子は、香音を奪還して肩の荷が下りた安堵を嚙み締めるように、ゆっくりレビンを走らせる。

 「…今度のことで、香音は叶多をもっと好きになるぜ、きっと」

 凄子と叶多は、緩い会話をしながら登ってきた道を降りていく。


 …白い洋館のカーブを曲がっている時だった。

 下から大きな黒い乗用車が猛然と駆け上がってきた、凄子は咄嗟にハンドルを切って路肩に避けた。レビンの脇すれすれに通過していく。だが黒い車は避けたレビンに気をかけた様子もなく、そのまま猛スピードで突き進んでいく。速すぎて運転している人間など確認できなかった。

 最近ではまず見ることもない、30年以上前の日産の高級車である二代目プレジデントだった。

 「なんだあの車!キチガイみてえに飛ばしてきやがって!…車がもったいねえわ」

 凄子はルームミラーからプレジデントが消えたのを確認してから、レビンを動かした。気を取り直すと、

 「なんか、ここ数日間いろんなことがありすぎて、さすがに疲れたわ」

 凄子はそう言いながら、首を左右に傾げて関節を鳴らした。

 「そうですね、俺も今日のことは一生忘れないと思います」

 叶多はそう言いながら、左腕の包帯をさすった。まだ痛むのだろう。

 レビンはゆったりと舗装路を下り、本道へと合流する坂を登っていく。…もうすぐというところで、叶多が呟いた。

 「ねえ凄子さん、…さっきの黒い車、なんか気になりませんか」

 「え、さっきのキチガイ車か?」

 凄子はもう気にも留めていなかったことだった。叶多は腑に落ちないような表情をしている。

 「…なんか嫌な気分なんですよ」

 そう言うと、凄子と顔を見合わせた。…ほんのわずかな時間の中で、凄子の中にもなんとなく黒い予感が生まれてきた。ふたりは同時にうなづいた。


 凄子は本道に入るとすぐに高速でハンドルを切る、後輪は悲鳴と白煙を上げる。車体を急旋回させると元の道を疾走していく。

 レッドゾーンまで回してからシフトアップしていく、各別荘が一瞬のうちに後ろへ去っていく。カラマツ林地帯まではあっという間だった。

 「凄子さん、ここです!」

 叶多は美崎の別荘入口を指さした。狭い砂利道に飛び込んだレビンは、小石を蹴散らし乾いた土埃を巻き上げながら突き進む。

 

 …美崎の別荘の庭には、やはり黒いプレジデントがいた。運転席のドアが開きっぱなしになっている。手前に停めたレビンから、ふたりは飛び出した。周りはすでに暗くなっているので、プレジデントのルームランプが煌々と灯っているのがわかった。

 閉めたはずの玄関ドアが開いている、ふたりは無言で駆け込んだ。凄子が壁のスイッチを付けて無人のホールを灯した。叶多は香音がいた部屋に入り、壁のスイッチを探すと点灯させた。途端に甲高い悲鳴を上げる。

 …部屋の奥のフローリングの上に、美崎治男が倒れている。その胸に出刃包丁の柄が突っ立っていた。フジに鼻骨を折られた血まみれの顔に、開いたままの白目だけが異常に際立っている。

 血の海に近寄らずとも、絶命しているのはわかった。

 見下ろしている凄子に、叶多がしがみつく。全身がガタガタと震えている。凄子は視界を右に向けた。

 …白髪と白い眉毛の顔を左に向けた美崎寿男が、うつ伏せで倒れている。目と口は開いているが、どこも見ていないのは明瞭だった。腹の下の血だまりは、まだ周囲へと拡大している最中だった。

 

 玄関を出てプレジデントに近づくと、運転席のシート上に封筒が置かれているのが見えた。

 『ご迷惑をお掛けした皆様方へ』…達筆な筆文字で、そう書かれている。

 

 すっかり暗くなった山中に、フクロウの啼く声が遠くに聞こえる。

 夏の終わりを告げる涼しい夜風が、凄子と叶多の間をすり抜けていった。

 

 ― 完 ―

 

 

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] とにかく読み応えありました。 凄子姐さんと一緒に旅した気分です。 最終章、重みがありました。 余韻の残る後味の悪さが良かったです。 [一言] 完結おめでとうございます! 物語の中に引き…
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