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左側の窓のカーテンが不意に開いた、凄子と叶多は木の陰で身構える。
…寝ぐせがついた伸び放題の髪の毛、瘦せた頬に濃い無精ひげ、度の強そうな黒縁眼鏡をかけた美崎治男が、窓から顔を出して周囲を見回している。くわえたタバコから灰が落ちる。
眼鏡の奥のギョロリとした眼は、ギラギラと残酷そうな光を帯びていた。…なにを思ったのか頬をゆがめてひとりで笑っている。
「ちくしょう…」
叶多は木陰から睨みつけ、声を出さずに呟いた。
美崎はタバコを窓の外へ弾き飛ばすと、シャッとカーテンを閉めた。
(香音ちゃんの姿を確認してえな、…無事である姿を)凄子は叶多に話していない『連続強姦強盗事件』の情報を思い出し、胸が痛んだ。
「美崎がひとりになったところを狙いてえんだが、外に出て来ねえことには…」
凄子がひとり言のように呟くが、叶多は聞いていないのか、ずっとカーテンの向こうに意識を向けている。
…ポケットの携帯が震えた、バイブレーターの振動だ。凄子は藪にしゃがみ込んで画面を見る、フジからだ。小声で、もしもし…と出る。
「今、別荘の裏にいる」
フジも小声で言った。隣町からの峠越えルートで来たのかも知れない。
「凄子は美崎に呼びかけて、表におびき出せ。…俺はその間に裏から忍び込んで、娘を助け出す」
凄子はしばらく無言で考えた。そして、
「それしかねえな、わかった」
と、答える。フジは少し間を置いて、
「…ただ、ヤツは刃物の他に改造拳銃を持ってる可能性がある。モデルガンを改造したヤツだ。…気をつけろよ」
と、言った。
手短に電話を切ると、叶多を引き寄せて説明する。
「裏に仲間がいる、あたしは庭に行って美崎をおびき寄せる。…その間、叶多はここに隠れていろ」
叶多は納得いかない顔をしていたが、いいな、と言うとうなづいた。
凄子は姿を晒して庭の真ん中まで歩いていくと、大声で呼びかけた。
「美崎治男!ここに隠れてるのはわかっている!今すぐ出てこい!」
…反応はなかった。間を置いて、凄子はまた同じことを叫んだ。
しばらくすると玄関ドアのロックを解除する音が聞こえ、ドアが開くと美崎が出てきた。…だが、その光景を見た凄子は心臓の動悸が激しくなる。
背の高い美崎は自分の左側に裸足の香音を立たせ、小柄な彼女の頭に手を置いている。
香音は服を脱がされていて、ブラジャーとパンティー姿だった。…夕暮れが近くなった山中に、素肌の白さが際立っていた。
後ろ手に縛られて、口は粘着テープで塞がれている。小刻みに震え、恐怖に怯えた目は真っ赤だった。
美崎は香音の喉元にナイフをあてがい、
「馬鹿野郎、隠れてるわけじゃねえ。…ここは俺の別荘だ。誰だか知らねえが、お前に文句言われる筋合いはねえ」
と、下卑た笑い声で人を小馬鹿にした。…凄子の眼がすっと暗くなった(このくされ外道が…)
その瞬間、凄子の脇を叶多がすり抜けた、止める間もなく突っ込んでいく。凄子は叫んだ。
「叶多!やめろ!」
美崎に向かって一目散に走る、凄子は追う。叶多は奇声を上げて美崎につかみかかろうとした。
「このガキっ!」
ひるんだ美崎は一歩引きながらナイフを振り下ろした。刃は叶多の左腕を裂いていた、叫び声が上がる、それでも殴りつけようと向かっていく。
…屋内でガラスが砕け破壊音がする、美崎は咄嗟にそちらに目が行った。美崎の左腕が香音から離れる。
凄子は飛び出すと叶多を突き飛ばし、右脚を回すと美崎の右手目がけて蹴りを飛ばした。したたかに叩きつけられた右手からナイフが飛ぶ。ぎゃああ!と喚いて右手を押さえた。
「香音!」
凄子はそのまま右へ飛び、裸同然の香音を抱きかかえる。
家の中からフジが飛び出してきた。そして、
「凄子!あぶねえ!」
と、叫ぶ。振り向くと美崎の右手に拳銃が握られている。フジが飛びかかった、拳が美崎を叩きのめす寸前に美崎は引き金を引いた。
凄子は咄嗟に香音の全身を覆うように包みこむ、そのまま前倒しになる。すぐそばで轟音が鳴り背中に衝撃が来た。弾道の衝撃波で頭が吹っ飛んだような感覚で、息が吸えない。
全身に力が入らないが裸の香音を守ろうと必死になる。目の前に地面が近づき、香音を抱いた腕が地面に叩きつけられた。
(香音!)声にはならなかった。朦朧としていく凄子の耳にフジと叶多の声が聞こえた気がするが、身体は固着したように動かない。開いているはずの眼の前の視界は、フェイドアウトするように白くなってきた。
(香音、…香音は大丈夫か)やがて身体の下で泣き叫ぶ悲鳴が聞こえた。だがそれは妙に遠い。
(良かった、…香音の声が聞こえた。生きてる証拠だ)凄子は心から安堵した。




