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トンネルに入ると、レビンの排気音が坑内に反響して騒々しい。トンネルを抜けた時、登録されていない番号からの着信があった。
凄子はボタンを押して耳に当てる。
「フジだけど」
低くかすれたような声だった。
「フジか!…なあ、佐々木の容態はどんな感じ?佐々木は大丈夫だよな?」
つい早口になって聞くと、フジはガラガラとヤニっぽい笑い声を上げた。
「まあ、そうあわてんな、…佐々ジイは運のいいジイさんだぜ。…刃傷はけっこう深かったんだが、スレスレで内臓を躱してた。だからどの臓器もダメージは受けてねえ。さっき縫合終わって、今も麻酔でよく眠ってる」
凄子は思わず深い息を吐いた、(良かった…、ホント良かった)もう一度、安堵の息を吐いた。
「だけど、ひと月ぐれえはゾンビ医院で寝てなきゃならねえぞ。歳も歳だからな」
ジッポを点ける音がして、タバコを噛んだまましゃべっているような話し方だった。
「あたしも面倒見てもらって今度は佐々木、ホント感謝してるぜ、フジには!…ありがとう」
凄子は運転しながら思わず頭を下げた。
「いやいや、大したことはしてねえよ。…柴山んとこから看護師上がりのおばさんが来るらしいから、少し良くなったら佐々ジイも退屈しねえと思うよ」
フジはそう言うと、意味ありげにまた笑った。『あたしゃ熟女が好きでして』、凄子は佐々木の戯言を思い出す。
電話を切ると叶多が話しかけてきた。
「刺された人、助かったんですね」
「ああ、内臓がやられてなかったから大丈夫なようだ」
「それは良かったですね…」
叶多はそう言いながらも、陰鬱な表情のままだ。叶多の頭の中は香音のことでいっぱいなのだろう。
レビンは1時間ほどで西美山町に入った。まずは美崎の実家の酒屋を探そうと町の中心地まで来たら、国道沿いに『美崎酒造』がすぐに見つかった。店の駐車場にレビンを停めて降りる。
古くから続いている造り酒屋は、漆喰壁の白い蔵が何棟も建っていて、規模の大きさに驚く。敷地の周りを時代劇に出てくるような瓦塀がぐるっと囲み、正門はやはり時代劇セットのような黒木の門だ。
その横の柱に、茶色く変色した大きな杉玉がぶら下がっていた。造り酒屋の目印なのかもしれない。
威圧感溢れる正門の左に、近代的な店舗が並んでいた。凄子と叶多は店に入る、当然ながらいろんな酒が並んでいた。(佐々木の快気祝いの酒を用意してやろうか)と、思いつく。
だが凄子は大酒飲みでも、飲むのは決まってバーボンやスコッチなどの洋酒で、日本酒はあまり詳しくなかった。
レジに店員らしき中年の女性がいたので、
「店で一番いい酒をください」
と話しかけた。
「お値段的に一番高いものですと、純米大吟醸になりますが」
と言って、箱入りの一升瓶を棚から降ろした。
「それをお願いします」
と、ウォレットを出した。店員はありがとうございますと、箱を包装紙で包みだす。凄子は眺めながら話しかけた。
「先代の社長さんは、ここにお住まいじゃないんですか?」
「ここには今の社長と家族だけですね。杜氏さんや社員は通いで来てますから。…会長さんは山の方の旧家に住んでいます。…が、なにかございますか?」
包み終わった店員は、少し訝しんだ顔をした。
「いえ…、あたしの友人が会長さんと懇意な人で、今日西美山に行くと言ったら会長さんに届けてほしいと預かりものをしたんですが、てっきりこちらにお住まいと勘違いしてまして…」
凄子は咄嗟に出まかせを言ったが、店員は、ああそうなんですかと愛想笑いとともに、美崎寿男の住まいを地図まで書いて教えてくれた。
酒の包みを後部座席に放り込むと、地図を片手に発車する。助手席の叶多が黙ったまま、不審げな顔で見つめてくる。美崎の情報をなにも知らないから当然だ。
「もらった情報によると、美崎治男は現社長の父親とは不仲らしい。だけど会長の爺さんは治男が小さい頃からかわいがっていて、いろいろ悪さしても爺さんがケツ拭いて、かばってきたらしいし、今もそうらしい。…香音ちゃんを攫った車は爺さん名義の軽トラだしな」
凄子は話しながら叶多の様子を窺う、怒りがこみ上げてきたのか握った拳が震えていた。
「…大人の男と思えないですよ、話聞いてりゃただのわがままなガキと同じじゃないですか!」
叶多の言うことがもっとも過ぎて、凄子は黙った。
「なんで…、なんで警察に届けないんですか?…俺はそれがずっと引っかかってるんですよ」
叶多が横目で睨んでいるのが視界の端にわかる。凄子は山道を登りながら答えた。
「美崎は『警察に知らせたら香音ちゃんの命はない』と言った。そんで東郷の親父も警察に知らせるなと言った。…あたしはどっちもそう言わなかったとしても、警察に知らせる気はなかった。あたしの仲間たちも同じ意見だ」
顔を合わすと、叶多は真剣な眼で見つめてくる。
「理由は…、あの美崎ってヤツは想像以上に危ねえ野郎だからだ。気が短くて暴力的なくせに妙に計算高い。以前にもキチガイを装って…」
凄子はそこまで言って、はっとなった。話を中断する。
「キチガイを装って…?」
叶多はやはり聞き逃してはいなかった。黙った凄子の横顔を凝視している。
「なんでもねえ…。とにかく警察に知らせたら逆上してなにやるかわからねえ野郎だ」
叶多はそれ以上聞いてこなかった。だが険悪に変わった目つきの先で、あらゆる思考を始めているのがわかった。




