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雑木で見通しの悪い坂路を数キロ登ると視界が開け、丘陵状の高台になった。眼下に町の中心部が林越しに見える。凄子は手書きの地図を拡げて、だいたいこの辺りかと周囲を見回した。
日当たりのいい斜面に民家が点在しているのが見える。(…きっとあの集落だろう)そこから続いている農道のような狭い道に入って行った。
地図には数個の四角が書いてあって、一番奥の四角に印が付けられている。集落内をゆっくり走り、突き当りの民家の前まで来た。敷地手前の生垣の脇にレビンを停めて降りる。
黒っぽい茅葺屋根の屋敷。まるで戦前の昭和のような佇まいは、まさに旧家といえた。平たい御影石を並べたアプローチから敷地内に入ると、放し飼いの鶏たちが自由に歩き回っていた。
前庭には大きな柿の木や、手漕ぎの井戸ポンプが見える。…庭の奥の方で鶏に餌を撒いている背中が見えた。背の高い瘦せた老人のようだ。
凄子と叶多は庭を進んで老人に近づく。
「こんにちは」
凄子は声をかけたが、老人は餌を撒き続けている。
「こんにちは!」
さっきより大きな声で呼びかけると、ようやく気づきゆっくりと振り向いた。
真っ白く硬そうな頭髪はブラシのように立っている。怪訝な目つきの大きな目と尖った頬骨は、いかにも頑固そうだ。髪とともに白い眉毛は、松の枝のように前にせり出している。齢80を過ぎたぐらいか。
「誰だね、あんたがたは…」
しわがれた声には、少し痰がからんでいるような響きがあった。
「あたしは土橋凄子、この子は古屋叶多と申します」
凄子と並んでいる叶多は小さく頭を下げた。老人は叶多に目もくれず、凄子を見据えたまま、
「なにか用かね」
と、不機嫌な声で聞いた。凄子はひと呼吸置いてから話し出した。
「単刀直入に聞きます。…孫の治男さんが、あなた名義の軽トラを使ってますが、治男さんが今どこにいるのか教えてもらえますか」
双方に沈黙の時間が過ぎたあと、老人は一度、治男…と呟いたが、
「なんであんたがたに、そんなことを答えなきゃならん!」
と、怒りの混じった声を上げた。…地元の名士らしいプライドの高さがにじみ出ている。
その言葉を聞いた凄子にも怒りの火が点く。すっと険しい目つきに変わると、
「治男が女子中学生を連れ去りましてね…、市街地のアパートを探し出したあたしの仲間に、治男は怪我を負わせたあと、娘を連れたまま逃げちまいましてね…」
老人は凄子が『治男』と呼び捨てにしてから顔つきが変わり、以降の話は耳に入っていないようだ。
「あんたがたはいったい何者だ!いきなり来て、わけのわからんことを言いやがって!…警察を呼ぶぞ!」
老人は鶏の餌の袋を握ったまま凄子を睨みつけた。…凄子の怒りの火はすぐに大火と化す。
「警察呼ぶだと?…上等じゃねえか!警察呼んだら後々困るのは、てめえと馬鹿孫の方だ!」
凄子の悪い癖が出てしまった。叶多は凄子の肩を叩いて気づかせようとするが、頭に血が上った凄子は応じない。怒り心頭の老人は目を見開いて怒鳴った。
「出ていけ!すぐに出ていけ!…110番通報されたくなけりゃ!」
老人はそう言うと、踵を返して奥の方へ歩き出した。
「待ってくださいよ、おじいさん!」
怒りで立ち尽くしている凄子を無視して、叶多が老人を追いかけた。
「治男さんが連れ去ったのは、俺の大事な恋人なんです!」
叶多は大声で叫んだ。老人は歩みを緩めて背後に気を向けた。
「おじいさんは、治男さんが小さい頃から大事にかわいがってきたと聞いてます。…治男さんがお父さんと仲が悪いと知っていたから、余計に大事に思っていたんでしょうね」
老人は立ち止まる。
「同じように、俺も香音…その女子が心から大事なんです。俺はまだガキですけど、本気で好きで大切で。…だからお願いです、なにか心当たりがあったら教えてください!」
老人は背を向けたまま、首を垂れる。
「…なにかあれば治男のためにと手を尽くしてきたが、俺のやったことはやはり間違いだったか」
老人はひとり言のように呟き、叶多に向き合った。憔悴で疲れきった目だった。
「君のような少年にまで迷惑をかけてしまったな…。治男は俺に断りもなく、勝手に軽トラを乗り出して行った。…松ヶ窪池に俺の別荘がある。思いつくところはそこだけだ。…そこでないとすれば、俺にもわからん、申し訳ないが」
そして凄子に目を向けると、
「姉さん、申し訳なかったね。失礼なことを言ってしまった」
と、肩を落として建物の奥へと去っていった。
「マツガクボイケ…」
凄子と叶多は同時に声を発した。ふたりは足元の鶏を蹴散らすように敷地を飛び出すと、レビンに飛び乗る。
叶多はスマホを取り出すと、
「地図アプリで調べてみます!」
と、凄子には理解不能なことを言った。
敷地の境にいた鶏が、レビンのエンジン音に驚き飛び退った。




