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ジープを見送ったあと、凄子はアパートを見上げた。2階建て6世帯の古い木造の建物だ。他に住民がいるのか不明だが、ひっそりとしていて人がいる気配はない。
『101』の玄関が半開きになっていた、あの男の部屋だろう。佐々木に見つかったため、あわてて飛び出して行ったに違いない。
玄関先の砂利の上に血痕があった、それは佐々木の倒れたところまで点々と続いていた。佐々木の蒼白な顔色が浮かぶ。(なにもいきなり刺すこたぁねえじゃねえか…)男の短絡的な性質が窺え、腹が立ってくる。
…凄子の耳に遮断機の警報が聞こえ、のちに横断歩道の『麦畑』のメロディーが重なった。佐々木はこの音だけで場所を特定したようだ。
『空き巣狙いの常習犯』などと、いくらか誇らしげな顔をした佐々木。褒められた話ではないが、これもヤツのひとつの特技であり才能なのだろう。
凄子は『101』のドアを開けてのぞき込んだ、そして勝手に上がり込む。短い廊下の左側にバス・トイレ、狭いキッチンがあり、奥は6畳1間だ。
乱れた布団と小さなテーブルがあるだけで、家具類もほとんどなく、毎日生活している部屋のようには見えなかった。男が何らかの目的で、隠れ家のように使っている部屋かもしれない。
部屋の隅に、香音のものらしい中学校の背負い鞄が放置されていることに気づき、凄子は胸が痛んだ。涼子の心痛が他人事とは思えない。あらためて男の非道さを呪う。
部屋には行き先の手掛かりになりそうなものはなにもなく、凄子は背負い鞄をぶら下げて外に出ると、ため息を吐いた。
携帯が鳴る、ゴウゾウからだ。
「よう、姐御。美崎の情報、用意できたぜ。…今、部屋か?」
ゴウゾウは香音が連れ去られたことを知らないようだ。凄子はこれまでの経緯を手短に伝えると、
「追加して急ぎの頼みがあるけどいいか?」
と言って、佐々木がつかんだ軽トラのナンバーを伝え、誰の名義で登録されているか調べてほしいと頼んだ。ゴウゾウはメモを復唱して、近くに誰かいるのか、早くやれと指示しているようだった。そして、
「情報の方はどうする?ファックスしようか?」
と言ったが凄子は、
「頭に叩き込むから今すぐ教えてくれ」
と頼んだ。
美崎治男の実家は、長野市でも市街から30キロ離れた田舎町だ。美崎家は昔からの大地主で、国道沿いの商店などは軒並み美崎家が貸している土地だ。
家業は代々続く造り酒屋で、祖父が退いてから現在は治男の父親が経営している。
治男は幼い頃からの英才教育のおかげか、小中学校時代は常に学年トップの成績を収めていた。周囲からは天才と讃えられていたほどだ。
特に数学が得意で、小学生の頃から金利計算など難しい問題も簡単に解いていたという。
しかし小学校の高学年の頃から、異常な行動が見られるようになる。
モデルガンやエアガン・ライフルに凝り始め、違法改造(スプリングレートを異常に上げたり、高ガス圧仕様にしたりなど)で殺傷力を高めたガンを片手に『野良猫狩り』と称して、近所の野良猫や外で飼われている犬を撃ち殺して歩いた。
ネットで調べて自分で作った毒エサを撒いて、多数の犬・猫・小動物を毒殺した。また、夏の間に飼っていたカブトムシやクワガタなどに飽きると、爆竹を巻き付けて爆破させたりなど、平気で非道な行為をしてたらしい。
唯我独尊な性格で、他人が困っていようが苦しんでいようが、自分さえ良ければいいという態度が常にあからさまなので、真の友達などはいなかった。
祖父からもらった豊富なこづかいをちらつかせて、尻尾を振ってくる同級生を取り巻きのようにしていたらしい。
また非常に短気で、クラスメイトに自分の非を責められると、途端に逆ギレして大暴れして手が付けられなくなるので、誰も相手にしなかったが、自分ではそれを『一目置かれている』と勘違いしていたようだ。
性癖にも問題があった。幼女に異常なまでの興味を持ち中学1年の頃、近所の幼女に菓子などを与えておびき寄せ、自分の部屋に連れ込んで裸にしたことが幼女の親にばれて、大問題になった。
しかし治男に甘い祖父が、金に物を言わせてもみ消したという。
治男の父親は息子の異常性と、極端すぎる自己中心性に早くから気づいており、将来の後継を託すことは無理と決めて、次男の正男ばかりに意識を向けていた。だから未だに治男と父親は不仲で、治男は実家に寄り付かないようだ。
…そしてゴウゾウは非常に意外なことを話した。
4年前、治男が起こした『連続強姦強盗事件』の際、所轄署に治男に付き添って出頭してきたのは、香音の父親で弁護士の、東郷明憲だと言った。
詳しいことは不明だが、東郷明憲は美崎治夫の祖父に何らかの恩があったため、付き添いを頼まれたのではないかということだ。
…皮肉なことに現状は、美崎治夫は香音が東郷明憲の娘であることを知らない。そして東郷明憲は香音を攫った犯人が美崎治夫だということを知らない。
まだ美崎治男の犯行と決まったわけではないが、ヤツの素性を知った今、凄子は確信していた。




