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怒髪冠を衝け!  作者: 村松康弘
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 凄子は現行犯で逮捕され、所轄の長野中央警察署に連行された。その後の拘留を経て送検され、殺人未遂と傷害罪で起訴された。

 裁判では、誘拐された実子を取り戻すための救助行為として情状酌量を考慮されたが、あまりに激しい暴力の行使と、警察官の制止も振り切るほどの殺意が認められたため、懲役3年の実刑判決を受けた。

 凄子は判決を受け入れた。そして凄蔵や蔵雄と再会し、ふたたび以前と同じように暮らすことだけを張り合いに、3年の歳月を耐えて生きていた。…しかし刑期満了の1ヶ月前に、蔵雄から手紙と一緒に離婚届が同封されてきた。

 手紙にはこの3年あまりの蔵雄の苦しみが綴られていた。凄子の事件や懲役は家族だけではなく、九州の親戚関係にもいろいろと悪い影響を及ぼしたことも書いてあった。

 そしてなにより、凄蔵の未来に対する父親の切々たる気持ちが綴られていた。

 『凄子の行動は母親として最高に誇るべきことだ。だが無責任な世間はそう見ない上に、面白がって勝手な噂を流して凄蔵を傷つけようとする。俺にはそれが耐えられない』

 凄子は苦しみ抜いた末、離婚届に捺印して送り返した。…その後、蔵雄と凄蔵は九州に移って行ったが、実家や親戚とは無縁の地で暮らしていると、刑務所を出てから聞いた。

 以来、凄蔵とも蔵雄とも一切の連絡はないまま、今日に至っている。


 「凄蔵…」

 思わず呟いたことで、凄子は現実に戻る。…そういえば佐々木の姿が見当たらなかった。

 「あの野郎、いつの間にかいなくなりやがって」

 玄関に行くと佐々木の靴もない、リビングに戻りかけた時に携帯が鳴った。佐々木からの着信だ。

 「野郎、なんにも言わねえでどこ行ってやがる」

 凄子はぶつぶつ言いながらボタンを押した。佐々木!と言いかけてやめた、向こうから荒い息づかいが聞こえたからだ。

 「姐さん、すまねえです…、野郎と娘っ子の居場所突き止めたんで…、姐さんに電話しようとしたら…女房からの電話の音で、…野郎に気づかれちまいまして…」

 佐々木はICレコーダーの背景の音で潜伏場所がわかったため、凄子にも言わずに独断で探しに行ったらしい。

 電話の向こうの様子は尋常ではなかった、荒い息とともに痛みを耐えているような呻きも混じっていた。

 「佐々木!お前、怪我してんじゃねえのか!」

 凄子の頭に佐々木の苦悶の表情が浮かび、声を荒げた。

 「…野郎は娘っ子を連れて白の軽トラに乗って行きました。…番号を言いますんで控えてくださいよ、姐さん。長野480…」

 佐々木は凄子の言葉を無視して情報を伝えようとしている。

 「お前、野郎にやられたんだろ!怪我してるんだろ!…今どこにいるんだ!」

 凄子は怒鳴りながら問うが、佐々木は答えない。いいヤツほどそんな事をする、凄子は知っている。

 「佐々木、答えねえならお前とは縁を切るぞ!」

 「…姐さん、とりあえず控えてくださいよ」

 佐々木は苦しそうに軽トラのナンバーを伝えた、そして現在地を告げた。

 凄子は階段を駆け下りながら柴山に電話を入れ、佐々木が男にやられて怪我をしたようだと告げた。今や佐々木は大事な仲間といってもいいヤツだ。

 マンション前に放り出したママチャリはなかった。佐々木が乗っていったのだろう。

 凄子は通りを走るタクシーをつかまえて乗り込むと、

 「桐郷駅に頼む!」

 と伝える。凄子のただならぬ眼光をミラー越しに見た運転手は、最速の経路を選ぶと違反速度で走り出した。

 桐郷駅付近の踏切を越えたところで降り、目当てのアパートまで走った。そして砂利の駐車場の隅に倒れている佐々木を見つけた。

 「佐々木っ!」

 凄子はあわただしく駆け寄った。…刃物らしきもので腹部を刺されている佐々木は、目を閉じ口で荒い息をしている。薄い水色のワイシャツが真っ赤に染まり、まだ流血しているようだった。

 「佐々木、しっかりしろよ!」

 凄子は佐々木を抱きかかえる。

 「姐さん、すまねえ…あたしのミスで野郎と娘っ子を逃がしちまった…。取返しのつかねえことをしちまった。…すまねえ」

 蒼白な顔色の佐々木は、力の入らない小声で言った。

 「そんなこと言ってる場合…」

 凄子の声がかき消されるようなでかいエンジン音とともに、黒いジープが駐車場に乗り込んできた。ペラペラのドアからフジが飛び出してくる。柴山から連絡を受けて飛んできてくれたようだ。

 「これが佐々木のジイか」

 フジはタバコをくわえたまま佐々木の元にしゃがみ込むと、シャツをまくり上げて傷口を点検した。やはりまだ血は出ている。

 「フジ!佐々木を助けてくれよ!」

 凄子の言葉には答えずジープに行くと、消毒液のボトルとガーゼ、太めの包帯やらを持ってきて応急処置をはじめた。手際よく終わらせると、リアゲートの幌をくるくるまくり上げてからゲートを下ろす。

 後部に厚いマットが敷いてあり、佐々木を抱き上げたフジはそこに横たえた。佐々木は朦朧とした表情で弱い呼吸を繰り返している。

 「フジ、頼むから佐々木を助けてくれよ!絶対死なせねえでくれよ!」

 凄子はゲートを閉めているフジに言う。まくり上げた幌はそのままだった。

 「まあ、やるだけやるさ。やってダメならそれも佐々ジイの運命ってやつさ。…凄子だって、そのぐれえの覚悟で生きてんだろ」

 フジは手早く現場を片付けてジープに飛び乗る。

 「あたしも一緒に行くよ、なんか手伝えるだろ」

 凄子は助手席の幌ドアを開けて言ったが、

 「凄子は娘っ子のことを第一に考えて動けよ、こっちは大丈夫だ」

 と言ってエンジンをかけた。『運が悪けりゃ死ぬだけさ、死ぬだけさー』フジは大昔の歌を口ずさみながら、駐車場から飛び出して行った。

 (佐々木、絶対絶対死ぬんじゃねえぞ…)

 黒煙を吐きながらすっ飛ばしていくジープを見送りながら、凄子は拳を握りしめた。

 

 

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