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怒髪冠を衝け!  作者: 村松康弘
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 男はドアノブを握ってガチャガチャと内側に引っぱった、凄子のつま先がドアの間に突っ込まれていることに気づいていない。

 凄子は右足を突っ込んだまま勢いをつけて左足の踵を振り上げると、思い切りドアを蹴飛ばす。安普請の合板扉がひっぱたかれたように大きく開いた。

 衝撃でドアクローザーが外れ、フリーになった扉が反対側の壁に高速で叩きつけられる。派手な破壊音とともに玄関の上の明かり取りのガラスが割れて降ってきた。

 鬼の形相の凄子が入り口に立つと、男は目を見開いたまま後ろへ退った。

 「誰や!きしゃん…」

 男は言いかけてはっと気づき、室内へ後退していく。白いランニングシャツから刺青がはみ出ていた。凄子は土間に降ったガラスをバキバキと踏み砕きながら、靴のまま上がる。

 「しゃあしかね!なんや!」

 ヒステリックな声とともに台所から顔を出した女が、凄子を認めて悲鳴を上げる。まだらに傷んだ金髪のカーリーヘアの下の表情は、ムンクの『叫び』を想起する。凄子は横目で女を睨みつけた。

 「てめえ、凄蔵を叩きやがっただろ…」

 憎悪の眼を向けながら凄子は女に近づく。しわがれた低音で言い終わると同時に、尻ポケットから抜いた木刀を横に薙いだ。

 水平に振られた凶器は一瞬で頬骨と鼻骨を叩き割った。女は声を上げる隙もなく冷蔵庫に頭をぶつけて昏倒した。血まみれで歪んだ顔のまま気絶したようだ。

 

 男は居間に逃げると箪笥の上にあるものを、片っ端から投げつけてくる。凄子はゆっくり近づきながらそれらを木刀で叩き落した。

 投げるものを失った男は右往左往しながら、武器になりそうなものを探している。

 「凄蔵はどこだ!」

 男は機敏に動き台所へ向かうと倒れている女を蹴飛ばして、流しにあった菜切り包丁をつかんだ。奇声を上げながらそいつを振り回してくる。

 凄子は冷静に刃物を躱すと、男の右手首に木刀を叩きつける。包丁は床に転がり、ぎゃああ…と喚きながら男はのたうち回る。

 「凄蔵はどこだ!」

 ふたたび凄子が問うが、男の耳には聞こえていないようだ。

 

 凄子は木刀を放り出して屋内を探す。奥に行くとユニットバスに灯りが点いていた、中折れの扉を開く。恐怖の目を向けた凄蔵がパンツ1枚でそこに立っていた。

 両頬や身体の方々に叩かれたような赤い痕がつき、鼻血を止めるためか鼻にティッシュが詰めてあった。泣きすぎたせいか顔には点々と細かい鬱血があった。そして両手は紐で縛られていた。

 凄蔵はやがて母親だと気づくと、恐怖の緊張から解放されたように大声で号泣した。

 「ママー!ママー!」

 狭いバスに凄蔵の声が響く。凄子はしゃがみ込むと両腕で凄蔵を包んだ。大声を上げてるせいか凄蔵の身体は熱すぎるほどだった。

 その体温を感じて凄子も泣き出した。今まで経験したことのないほどの涙と嗚咽だった。

 ひとしきり抱きしめると凄子は小さな肩に手を置いて、

 「凄蔵、ちょっと待ってるんだよ…、この戸を閉めたまま待ってるんだよ」

 と、頭を撫でてからユニットバスの扉を閉めた。


 台所の女はまだ白目を剥いて倒れている。男は玄関先でサンダルを履いて外へ逃げようとしていた。

 「よくもやってくれたな!てめえら!」

 雌ライオンのような凄子の咆哮に、男は動きを止めた。

 あらためて見ると男は背もでかく、鳶をやっていただけあって亭主と同じように腕も太かった。だが堕落暮らしのせいか身体はたるんでいる。

 男はこちらに向き直ると、

 「女んくせにしゃあしか!」

 両腕を上げて凄子に迫ってきた。木刀は部屋のどこかへ置き去りだった。

 凄子は男の腕を躱して半歩退くと、腰をひねりながら回し蹴りを繰り出した。が、男は素早く身を引いて蹴りを躱す。

 体勢を整えようとしている左手首をつかまれた。ぶ厚くでかい手で凄子の腕をつかんだ男は、力任せに振り回した。細身で軽量の凄子はそのまま水平に飛ばされ、遠心力の勢いとともに壁際の棚に身体を打ちつけた。衝撃で壁掛け時計が落ちて、凄子の足元でガラスが割れる。

 男は雄叫びを上げてもう一度凄子を振り回した。派手な音を立てて腰が壁に直撃する。男は満足げに唇を歪めると、頭も腕もダラリとした凄子を引き寄せる。

 凄子はその瞬間を逃さなかった。引かれる反動を活かして、上半身をねじりながら高速で右拳を飛ばした。

 遠心クラッチにつながれた動力のように一切無駄のない、それ以上に相手の馬鹿力のエネルギーを最大に利用した渾身の一発が男の顔の真ん中に叩き込まれた。

 鼻っ柱が完全に砕けた、男の顔が醜く歪みながらのけ反る。悲鳴とともに男はぶっ倒れた。

 凄子は立ち上がると阿修羅のようなまなこで、男を見下ろした。

 「凄蔵がどれだけ怖い思いをしたか、てめえにゃ嫌というほど味わわせてやるから覚悟しとけ!」

 そう言い放つと、畳の上で呻いている男に容赦ない蹴り地獄が繰り出された。

 怒りの限度を超えた凄子には相手の生死など、もはや考慮の域にはない。『徹底的にぶっ潰す』、凄子の意識にあるのはそれだけだ。

 「ギャンブルで作った借金を身代金であてがおうとするようなクズは死んだ方がいい。…てめえみてえなもんは死んじまえ。クソ野郎死んじまえ!」

 顔だろうと頭だろうとお構いなしに蹴り続ける凄子は、本気で殺そうとしていた。


 壊れた玄関から血相を変えた警察官がふたり駆け込んできた。凄子は気づかない。

 若い警察官が凄子の背後から取り押さえようとした。

 「なんだ!てめえは!」

 凄子は若い警察官を振り飛ばした。壁にぶつかって呻き声を上げる。年かさの警察官は事情を知っていたらしく、

 「やめなさい!気持ちはわかるがやめるんだ!」

と、凄子の動きを止めようと必死になる。

 「うるせえ!まだ落とし前はついちゃいねえ!」

 凄子はなりふり構わず蹴り続ける。ふたりの警察官は必死で凄子を取り押さえようとした。

 「やめなさい!これ以上やると本当に死んでしまうぞ!」

 年かさの警察官はそう言うと警棒を取り出した。



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