表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
怒髪冠を衝け!  作者: 村松康弘
23/40

23

 ――― 紺のセーラー服を着た凄子が座敷の畳の上に座っている。スカートの丈は足首まであり、頭髪は金髪のカーリーヘアだ。

 5月下旬の鬱陶しい曇り空の午後、座敷の中央に敷いた布団には、父親が横たわっている。目を閉じたまま機械のように荒い呼吸をしていた。

 布団を囲むように父を見つめているのは、凄子の他に母親と父の一番上の姉、つまり凄子の伯母さんだ。父は末期の肝臓癌で、ここ何ヶ月も寝たきりの状態になっていた。

 その日の昼間、授業中の教室に学校の事務員が駆け込んできて、担当の教師に耳打ちした。そして教師に、すぐに帰宅しなさいと言われて帰ってきたのだ。母と伯母が父の世話する姿を見ながら凄子は、これまでの父娘の在り方を思い返していた。

 凄子が年頃になった頃から、父とは争いや対立が絶えなかった。物事に厳格な父と、やりたいことは自分の思うままに貫きたい凄子。お互いに気性が荒く頑固者で歩み寄ろうとはしないから、その溝は年々深くなるばかりだった。

 前年の他校の不良グループとの集団乱闘事件の際、警察に迎えに来た父はその日以来口をきこうとはしなかった。凄子は父を嫌っていたし、父も自分のことを嫌いだろうと思い込んでいた。

「凄ちゃん、これ」

 伯母が上着のポケットから1枚の便箋を取り出して凄子に渡した。開いて読んでみた。

 『 凄子、お前とはぎくしゃくしたままになっていて、すまない。あの日以来、お前とは言葉をかわしてもいないが、いつも気にかけていることだけはわかってほしい。言葉足らずですまないな。 父 』

 「まだしっかりしてる頃に渡されたんだよ、俺は口下手で凄子と話すとケンカになっちまうから、折り見て渡してくれって」

 伯母は充血した目を凄子に向けた。胸の中に熱いなにかがこみ上げてくる、それは悲しみなのか寂しさなのかわからないが。こうして父の最期になるであろう時に対峙すると、不思議に楽しかったことや嬉しかったことしか浮かばなくなった。

 父の呼吸が弱くなってきた、母は枕元で頭をなでている。伯母はただ父の名を呼んでいた。凄子は、親父…と言葉をかけた、すると堰を切ったように次々と涙がこぼれてきた。伯母が、

 「凄ちゃん、お父さんと話をしなよ」

 と肩を叩いた。凄子は父の右手を両手で包み、

 「親父、今までごめん。謝るのはあたしの方だよ。いつもいつも自分の言いたいことやりたいことを押し通して、それでいいと思ってた。心配する親父の気持ちなんて考えもしなかったよ。あたしはいい娘じゃなかったね」

 と話しかけた。父の意識はとっくにないのだが、その時閉じている右目からひと筋の涙がこぼれ落ちた。母が、

 「耳は最期の最期まで聞こえるんだよ。凄子、もっと話してやるんだよ」

 とすすり泣いている。

 凄子は包んだ両手に力を込めて、

 「親父、あたしはあんたの娘に生まれてきて良かったよ。…ありがとう、ありがとう」

 そう言うと間もなく、父はゼンマイが切れるように息を止めた。


 「親父、親父…」

 凄子は自分のうわ言で目を醒ました。白い天井が見える、少し向こうに蛍光灯が灯っている、凄子は目だけを動かして周囲を見回すが、ここがどこなのかさっぱりわからなかった。

 柴山の車の中で眠りに落ちてからの記憶がまったくない。身体を動かそうと右肩を起こした途端に、鋭い痛みを感じて顔をゆがめた。そのはずみで手首に繋がっているチューブを引いて、吊っている点滴の容器が揺れる。(点滴?)それも当然記憶にない。

 蛍光灯を遮るように男の顔が凄子をのぞきこむ、オールバックにした頭髪に引き締まった細い顔と、無感情の細い目が異常に鋭かった。うすい唇の端にタバコを横ぐわえしている。

 年齢は30歳前後だろうか。男はまったく表情を変えないまま、凄子の額に手を伸ばしてきた。手を当てて熱の有無を確認しているようだが、その腕には手首までカラフルな刺青が彫りこんである。(ヤクザ者か)凄子の目つきは険しくなった。

 「熱はねえな」

と言いながら刺青の腕を引っ込める。凄子は、

 「あんた、あたしの面倒を看てくれてるのか?」

 と聞いた。刺青は、

 「頼まれたんで、一応な」

 と答えると、くわえたタバコの煙に目を細める。男はそのまま視界から消えたので、凄子は苦労して首を持ち上げた。男はベッドの傍らの椅子に腰を下ろしている。

 病院の医者と同じような服を着ているが、半袖から出ている顔に似合わない筋肉質の両腕には、肌の色が見えないほどびっしりと刺青が入っている。

 「あんたは医者か?ヤクザか?」

 凄子は怪訝な目を向けたまま聞いた。刺青の男はくるりと椅子を回し事務机の方を向いて、机上の灰皿でタバコをもみ消すと、

 「そのどっちでもねえな、…というか俺は人間でもねえ、と言うのが正しいかもな」

 と唇の端をゆがめた。男が一度向いた机上には医者が使うような器具やら薬類が載っていて、その隅にフォトスタンドがあった。よく見ると飾ってあるのは柴犬の写真らしかった。

「人間じゃねえ?じゃあゾンビか。…言ってる意味がわからねえな」

 と言うと、首をもたげているのが辛くなったので頭を枕に載せ、また天井を向いた。すると男は凄子をのぞきこみ、

 「まあなんでもいいさ、それよりあんたの状態は…」

 と言いながら、赤い箱のタバコを振って1本抜き出すと凄子に渡す。凄子は黙ってくわえるとジッポの火を点けてくれた。

 「肋骨が3本折れてるのと、右鎖骨と肩甲骨に少しヒビが入ってる。あとは全身に打撲痕だらけだ。車、それもバカでかいアメ車にはねられて、よくこの程度で済んだもんだよ」

 と、いくらか呆れ顔をした。凄子は男が差し出した灰皿に灰を落としながら、はじめて自分が病院のような寝巻き姿に変わっていることに気づく。そして上半身はコルセットのようなものでがっちり固定されている。

 やけに胸も股間もスースーすると思ったら、寝巻きの下はブラジャーもパンツもつけていなかった。(この男に面倒看てもらう時は、全身を見られただろうな)と思ったが、別に恥ずかしいとも感じなかった。それより今がいつなのか気になっていた。

 「ところで今は何日の何時になる?」

 凄子が聞くと、

 「あんたが運ばれてきたのは深夜の3時頃だった、今はその翌日の午後10時だ」

 と刺青が答えた。(すると約20時間眠り続けていたのか。…あ、そういやゴウゾウからの情報!)と思い出してあわてて立ち上がろうとした。途端に痛みと貧血で脂汗が噴き出た。

 「姐さん、無理しちゃいけねえな」

 刺青はそう言うと、凄子の身体を支えてくれた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ