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怒髪冠を衝け!  作者: 村松康弘
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 60cmほどの鉄パイプを握った、長身で痩せた身体がミニバンに侵入してくる。――その男は柴山だった。いつもの軽いチャラチャラした男のイメージとは、全く逆だった。

 凄子ですら最初は柴山だと気づかなかった。普段は笑みを絶やさず軽妙なトークの『お調子者』といった感じの口元は憎悪にゆがみ、いつもは人懐こく愛嬌にあふれている目は、獲物を狙う獰猛な獣のそれに変わっていた。

 「石橋、てめえ、おもしれえ真似をしてくれたもんだな。よりによって凄子を殺ろうとは」

 いつもは聞いたことのない低く荒い言葉を吐くと、細長い脚は車内の段を上がりフロアーに立った。口をパクパクさせて隅にへばりついている石橋は、

 「し、柴山さん、どうしてあんたが、…いや、俺は姉御を殺ろうなんてしちゃいねえ」

 と言いながら、分厚いシートの上を後ずさろうとしている。

 「俺はただ…」

 石橋が言いかけたその時、柴山の右手が上から振り下ろされた。鈍い打音と悲鳴が上がる、石橋の前頭部から額は大きく裂ける、頭蓋骨が割れて頭皮ごとずるむけになった部分から、大量の血が噴き上がった。石橋はそのまま呻き声を上げて昏倒した。

 車内に生臭い血の臭いが広がった頃、柴山はあおむけのままの凄子を見下ろし、

 「凄子、大丈夫かい?」

 声の響きは普段のものに戻っていた。凄子は腫れあがった左瞼を無理やり開けると、

 「柴山、お前どうしてここへ?」

 と、よく聞き取れないくぐもった声でつぶやいた。柴山はニヤリと唇をゆがめただけだ。

 「それよかお前の身体の具合はどうなんだい?」

 と言いながら凄子を抱え起こした。途端に身体中に激痛が走る。

 「わからねえ、こいつに轢かれてすぐに気を失っていたからな」


 柴山は凄子の両手首の束縛を解くと、ポケットから携帯を取り出しどこかに電話をかけはじめた。凄子は自由になった手首をさすりながら、そのやり取りに耳を傾けたが、柴山はそれに気づいて凄子に背を向けてぼそぼそと聞き取れない小声で話す。

 どうやら今いるこの場所の説明をしているらしい。

 「…そうだ、どこでどう処分するかは、お前らに任せる。じゃあ」

 と最後の方だけは聞き取れたが、その時の柴山の横顔は鬼の形相のように見えた。切るともう1本電話を入れた、ああ、柴山と言い短く相槌を打ったあと、のちほどと電話を切る、ほんの20秒ぐらいだった。

 凄子の頭に『処分』という言葉が不可解に響き、柴山に尋ねようとすると、じゃあ、行こうと凄子の身体を支えたので聞く機会を失う。立ち上がると途端に吐き気が襲ってきたが、なんとか抑えこめた。

 振り返ると、血だらけで倒れている石橋は死んでいるように見えたが、わずかな呼吸の動きは見て取れる。激痛が駆け回る身体をだましだまし車外に出てみると、自分がはねられた場所からほんの30mばかり離れたバス停のロータリーの中だった。

 目を凝らすと暗がりの中に、無残にゆがんで使い物にならなくなったボロ自転車が倒れているのが見える。


 石橋の車はやはりアメ車のミニバンの古いアストロだった。凄子は柴山に肩を借りてアストロの後方へ足を引きずって歩く。路肩に縦列駐車するように黒いメルセデスが停まっているのが見えた。ひとつ前の型式のS600だ。

 柴山はメルセデスの後部ドアを開けると、ゆっくり乗りなと言いながら凄子が乗り込むのを介助した。

 本革のひんやりしたシートに倒れこむと、柴山は左ハンドルの運転席に乗り込んでエンジンをかける。

 「このベンツ、お前んのか?」

 凄子は目を閉じたまま聞いた。

 「ああ、そうだよ」

 メルセデスはエンジン音もさせずに発車したようだった。無音のまま路面の細かい凸凹のショックすら伝えてこない、ただ身体が遠心力で移動する感覚のみだった。

 凄子は目を閉じたまま、ぼんやりと柴山のことを考えた。そしてそこそこ長いつきあいなのに、ヤツの素性をほとんど知らないことに気づく。

 『柴山秀成、50歳ぐらい、市内の人材派遣会社経営、他にも他人と共同経営している会社あり』凄子の知っていることはそれぐらいだった。そしてそれだけ知っていれば充分という関係だった。

 しかし、ミニバンのガラスを叩き割って乗り込んできて、何の躊躇もなく石橋をぶちのめしたやり方といい、その後の電話で『処分』などと言っていた柴山の凶相の横顔には、得体の知れない不気味さが漂っていた。

 しばらくするとタバコに火を点けるライターの音が、運転席から聞こえた。そして左側のウインドウが少し開く音と吹き込む風。それでやっと車外の街の音が少しだけ聞こえてきた。

 「柴山」

 凄子の声はいつも以上に枯れてザラついていた。

 「なんだい?」

 いつもの電話の声だ。

 「お前はいったい、何者だ」

 凄子はしゃべりはじめて、異常に喉が渇いていることに気づく。含み笑いをした柴山は、

 「何者って、人材派遣会社の経営者だよ」

 と言って、タバコの煙をため息のように吐いた。(やっぱり正体は明かさねえか…)と凄子は目を閉じると、猛烈な眠気に襲われる。もう体力は限界だった。奈落の底に落ちるように意識が遠のいていく。


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