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怒髪冠を衝け!  作者: 村松康弘
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 ―――そこから先は第1話の冒頭通り、コンビニ近くの歩道にいた少年たちの余計なひと言で、張っていた凄子の存在がばれて、キャップの男は慌てて行方をくらましてしまった。


 途方に暮れた目つきで遠くの信号を見つめていた凄子は、しばらく立ち尽くしていたが、ふと閃くとくるりと向きを変えて歩き出した。歩道でのびていた少年たちはいつの間にか消えていたが、凄子の意識には彼らのことなど微塵もなく、いなくなっていることすら気づいていない。

 暗がりの夜道を黙々と引き返していく、来る時の倍以上の速度で歩いていくと、県道沿いの歩道まであっという間にたどり着いた。凄子はそこを右に曲がりまた早足で歩いていった。

 目的地はデッドフラワーズだ。店のそばまで来ると、凄子が乗り捨てたボロ自転車はそのままになっていた。

 歩道から喫茶店を眺めると、店の小窓はさっきと変わらずにオレンジ色の明かりが見えていてホッとしたが、古ぼけたドアまで来るとノブには『CLOSED』のプレートが掛かっている。よく見ると、手前のキーコーヒーの置き看板の明かりも消えていた。

 ああ…、凄子は思わずため息を漏らしたが、あきらめることは出来なかった。店だから呼び鈴などはないので、拳でノックしてみる。そして少しの間待ってみるが反応はない。もう一度ノックしてみる。が、やはり何の反応もなかった。

 だが明かりは点いたままなので中に人がいるはずだと思い、焦れた凄子は、こんばんわと声をかけてみた。しばらくすると中でゴトゴトと動く気配がして、もう閉店だけど、と聞き覚えのあるしゃがれ声が、ドアのすぐ向こう側に聞こえた。あの無愛想なマスターの声だ。

 凄子は内心、(そんなこたあ、わかりきった上でドアを叩いてんだ)と思ったが、

 「マスター、ちょっとだけでいいんで開けてもらえないですかねえ」

 と最大限の丁寧な口調で聞いてみる。すると、

 「ん、その声は背の高い姉さんかい?」

 とマスターに良い反応があった。凄子は、もうひと押しと思い、

 「そうです、そうです。…ちょっと尋ねたいことあって、お願いできないですかねえ」

 と言うと、無言のままドアのロックが解ける音がした。

 凄子はノブを回して店のドアを開ける。向こうに歩いていくマスターのくたびれた背中が見えた、今日も着古したチェックのネルシャツ姿だ。

 「すんません、終わっているのに」

 と言いながら後ろ手でドアを閉める。店の中は昨日と違ってコーヒーの芳しい香りはせず、煙の甘い匂いが立ち込めていた。

 葉巻をくわえたマスターがこっちを振り向きながら、一番手前のボックス席に腰を下ろす。テーブルの上には黒いラベルのジャックダニエルのボトルと、ロックグラスがひとつ。それと灰皿だった。どうやら閉店後にひとりで一杯やっていた最中のようだ。

 壁に掛けられている黒いスピーカーからBBキングの古いブルースがこぼれ、その響きは店の隅々まで沁み込んでいくようだった。(BBキングが死んだのは、つい最近だったな)と凄子は気づく。


 マスターはこっちを見もせずに、ロックグラスの中の琥珀の液体をなめている。まるでブルース王の弔い酒をしているように見えた。


 凄子は空いているマスターの向かいに座るとセブンスターに火を点けたが、強烈な葉巻の煙のせいで自分のタバコの匂いはまったく感じない。

 「今夜、というかちょっと前までいた黒いキャップの若い人のことなんだけど」

 凄子は切り出した。だがマスターは何の反応も示さない、キングのブルースに聴き入っている様子だ。

 「あの若い人、ここにはよく来るの?」

 マスターの様子に構わずに聞く。マスターは大きめの灰皿で葉巻をくるりと回して灰を落とすと、目を上げて、

 「あんたは探偵かね?」

 と、やっと反応を見せてきた。その目には明らかに不快の光が満ちていたが。

 凄子も同じ灰皿にセブンスターの灰を落としながら、

 「あたしは探偵じゃないけど、とある人の依頼でストーカー犯を探してる。その過程であの男を調べてみる必要が出てきたってこと」

 とマスターの目を見据えながら、隠さずに言った。マスターは目に怪訝さを浮かべて、

 「ストーカー?」

 と聞いてきた。その不審な目色は凄子に対してか男に対してかはわからない。凄子は無言でうなずく。

 マスターは視線を外して考えるように黙りこんだ、沈黙はキングの爪弾くES-335のフレーズが埋めてくれる。やがて視線を凄子に戻すと、

 「俺は人のことを、ああだこうだとしゃべるのは好きじゃねえんでな。…あんたは顔見知り程度の客じゃねえか、そんな人に特定の人間のことをしゃべるのは気が引けるね」

 と言った。つまりは断ったのだ。

 しかし凄子は今のセリフを聞いて、マスターはキャップの男のことについて、ある程度知っているという確信を得た。


 凄子はセブンスターをもみ消すと、

 「ところでマスターはいくつになるんかね?」

 と無関係なことを言い出した。マスターはいくらか拍子抜けしたような顔になり、

 「75だけど。…なんでそんなこと聞くんだい?」

 と聞き返す。凄子は答えずに、

 「家族はいるんかね?」

 と畳みかける。マスターは妙な女だなというような目をしたが、

 「女房が死んで俺ひとりだが、東京に嫁いでいった娘と孫はいるよ」

 と素直に答えた。マスターは見るからに偏屈風情だが、自分の子供や孫のこととなると少しだけ嬉しそうにするところは、そこらの年寄りと何ら変わらなかった。

 「へえ、ところでお孫さんは男の子女の子?いくつになるんだい?」

 と凄子は聞く。するとマスターは視線を天井に向け、数えるように首をたてに振ると、

 「女の子だよ、たしか来年高校生になるんだったなあ」

 と腕を組んだ。

 「へえ、来年高校生か。ところでさっき話したストーカーの被害者なんだけど、その女の子はまだ中学2年生なんだよ」

 と凄子が言うと、マスターは急に顔つきが変わった。


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