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怒髪冠を衝け!  作者: 村松康弘
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 凄子はソファーからむくりと身を起こし、電話に出ると同時に、壁のハト時計を見た。午後8時を回っている。あたしです、と少しトーンを落とした佐々木の声が聞こえてきた。

 「おう、おつかれさん」

 凄子が答えると、佐々木は少し間を置き、

 「今、デッドフラワーズとかいう喫茶店の前にいるんですけどね」

 と呟いた。

 「え、デッドフラワーズ?」

 凄子の脳裏に、昨日若いふたりとそこで直接話した光景が浮かんだ。そして佐々木の口調からは、今まで聞いたこともない真剣さが窺えた。

 「なんかあったのか?」

 期待する気持ちがむくむくと膨れだし、少し緊張してきた。佐々木は、へえと答えると、状況の説明をはじめた。


 佐々木は凄子に言われた通り、徒歩で下校する生徒たちにまじって、地図上のルートをたどって行った。途中立ち止まって生徒の群れをやり過ごしたりして、様子を見ながら歩く。

 下校時間直後はけっこうな人数が歩いていたが、時間の経過とともにその数は減ってきた。佐々木は、ストーカー被害を受けている女生徒のことは凄子から教えられてなかったので、その群れの中にいたかどうか不明だが、年寄りの目から見ても、大人びて『女』を感じさせる娘はけっこういた。

 周囲を気にしながら、一度東郷のマンションまでたどり着くと、建物の周りをぐるっと回ってみる。用心深く観察してみたが、怪しい様子も人影もなかったので、またS中学までの道を引き返していく。時折、枝道の奥の方も窺ってみたりした。

 そして何事もなくS中学近くのコンビニまで来ると、凄子にもらったタバコを一服つける。その頃にはあたりはだいぶ暗くなってきていた。

 佐々木は人影がまばらになり、外灯が点きはじめた通学路をもう一度歩いていく。今度もゆっくりしたペースで進む。ルートには生徒だけでなく、地元の人間も頻繁に行き交っているので、顔を覚えられないように、あくまで自然に振舞った。そして二度目のマンションへの道も、何事もなくたどり着いた。あたりはすっかり暗くなっている。

 佐々木はマンション近くのコンビニに入り、今夜食うつもりの自分の弁当を買うと、(もう何事もないだろう)と来た道を引き返していった。

 そして県道沿いの歩道を歩いていた時だった。佐々木は前から歩いて来た男とすれ違いざま、鼻に異変を感じる。男が通りすぎたあとには、甘く強い匂いが漂っていた。(これは、お香の匂い…)即座に後ろを振り返った。すっかり暗くなった歩道の先に遠ざかっていく男の後ろ姿が見えた。

 ――凄子はそこまで聞くと、まるで怪談話の続きを聞きたがる子供のように、

 「それはどんなヤツ?どんなヤツ?」

 と、話を急かせる。佐々木はその様子を面白がり、わざと咳払いして凄子を焦らした。それもまた、まるで子供に昔話でも聞かせるじいさんのようだった。

 凄子に急かされて、佐々木の話は再開する。

 後ろ姿の男は175cmはありそうな背丈で、背中のラインは若者のように見えた。黒系のキャップをかぶって紺色のポロシャツといういでたちだった。

 佐々木は立ち止まって振り向いた姿勢のまま、その後ろ姿を凝視する。そして10mほどの距離が開いてから、そっと男のあとを尾行けはじめる。

 佐々木はスニーカーを履いていたので、足音をさせずに歩く。キャップの男は何の警戒の様子も見せずに、割とゆっくりと歩道を進んでいく。そして500mほど歩いた右側の喫茶店へと曲がっていった。

 男は曲がる時も、古ぼけた店のドアを開ける時も、後ろを振り返ることはなかった。…佐々木はそこまで見届けたところで、凄子に電話をかけてきたというわけだ。


 「でかした!よくやったじゃねえか!」

 佐々木をほめると、照れたような恥ずかしいような笑い声まじりに、

 「いやあ、たまたまですよ、たまたま」

 と言った。凄子の頭にはその表情までもが、ありありと浮かんでくる。そしてソファーから立ち上がると、

 「よし、これからそっちに向かうから、お前はそのまま監視しててくれ」

 と部屋の中を歩きながら電話を切った。

 着ているカジュアルな服を脱いで、黒ずくめの格好に変身した凄子は、ポケットに黒革の手袋と小型のナイフを放り込んで、あわただしく部屋を出て行く。もどかしいほど遅いエレベーターをやり過ごすと、ボロにまたがって夜の街を疾走していく。

 黒髪を風になびかせてペダルをこぎながら、凄子の胸はワクワクしてくる。こんな時間にもう出来上がってふらふら歩いている酔っ払いを避け、ラブホから出てきたばかりのカップルにベルを鳴らしながら、ボロを飛ばしていくと、デッドフラワーズまで大した時間は掛からなかった。

 やがて歩道の隅に立っている佐々木のシルエットが、外灯の下に見えてきた。凄子はなるべく音を立てないように近づいていく。すぐそばまで寄ってみると、佐々木は真剣な表情でデッドフラワーズから漏れてくる明かりを見つめている。頭皮が外灯の明かりに照らされツヤツヤと反射していた。

 (これは、空き巣を物色している時の目つきと同じなんだろうな)と唇をゆがめると、まだ気づいていない佐々木の肩をポンと叩いた。意表を衝かれた佐々木は、ひ!と飛び上がると、目玉をむきだしにしてこっちを向いた。凄子は唇に指を当てた。

 凄子とわかった佐々木は安堵のため息を吐きながら、

 「ちょっと姐さん、勘弁してくださいよ」

 と小声で言うと、すぐにデッドフラワーズに視線を戻す。そして、

 「帽子のヤツが入ってからは、新しい客は来てませんぜ。そして出て行った客も」

 と言った。

 ふたつしかない店の小窓から、オレンジ色の明かりが見えるが、店内の様子はまったく見えなかった。


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