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怒髪冠を衝け!  作者: 村松康弘
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 翌日の午前8時、凄子の携帯が鳴る。やはり30秒ほど経ってから凄子は目を醒ます。うぅ…と唸ると、今日も二日酔いで頭がガンガンしている。


 ―― 昨日はリストと散々にらめっこして、万年床のベッドに転がりこんだのが0時過ぎだった。しかし久しぶりに脳みそをフル稼働させたために頭がオーバーヒート状態になって、ベッドに寝転んでも一向に眠気が訪れなかった。凄子はしばらく寝返りを打ってゴロゴロしていたが、そのうちイライラしてくる。

 ピークに達した凄子はついに薄手の掛け布団を蹴飛ばして、

 「ええい、寝るのはやめだ!飲みに行くぞ!」

 と、ひとり言をわめくと、部屋の明かりを点けてウォレットを懐に差し込むと部屋を飛び出した。1階の廊下のボロ自転車にまたがり、寝巻きの黒い作務衣と雪駄ばきで、人も車も途絶えた大通りの広い歩道を北へ走り出した。

 日中はだいぶ気温が上がる時期になってきたが、夜中は涼しく静かで快適だ。昼間の喧騒が嘘のように思える。凄子は鼻歌まじりでLEDの外路灯の下を駆けていく。

 やがてたどり着いたのは街で一番の繁華街、(こんな夜はどこの店でクダ巻いてやろうか)凄子はアーケード街に自転車を突っこむ、人通りは絶えているがアーケードの中は夜中でも明るい。

 少し先の路地を左に曲がって、夜だけ華やかになる飲み屋通りをうろつく。色とりどりの毒々しい誘惑のネオンを眺めて、(どこにしようか)と自転車を停めた時、

 「26万?話が違うじゃないですか!ぼったくりだ!」

 とわめく声が路地の方から聞こえてきた。

 凄子が声のする方を向くと今度は、

 「お客さん、ぼったくりなんて、人聞きの悪いことをおっしゃられちゃ困りますねえ」

 と、落ち着いた低い声が聞こえてくる。言葉の最後の方に含み笑いが混じっていた。

 「ぼったくりじゃないか!客引きは1時間5千円でいいって言ったんだ!だから僕は1時間で出てきたのに…」

 最初の声の主は声を荒げて反論をはじめる。

 すると低い声の主は、

 「客引き?それはなにかの間違いじゃないですか?あなたが当店に入ってこられた時、そのような者はおりませんでしたよ。…いづれにしても、外で大声を出されると周りにも迷惑になりますから、中でもう一度話し合いましょう、さあ」

 と言った。

 凄子はその声に聞き覚えがあった、(あの野郎、また懲りずにあこぎな商売をしやがって…)凄子は三白眼を光らせて自転車を下り、声のする方へ歩きだす。最初の声の主が、

 「放してくれよ!放せ!」

 と切迫した声を上げているのが聞こえた。

 凄子が角を曲がると、タキシードを着た大柄な男と、そいつに腕をつかまれてもがいている貧相な中年サラリーマン風の男が見えた。ふたりは凄子が近づいていることに気づいていない。タキシードがサラリーマンの腕をぐいっと引っぱると、足がもつれて前のめりになり倒れた。サラリーマンは手をついたまま腕を引っ込めようとするが、どんどん引きずられていく。


 「石橋!」

 暗がりに凄子の一喝が轟く、もつれあったままのふたりは同時に、角に立っている凄子を振り向いた。そして石橋と呼ばれたタキシードは、

 「あ、姉御・・・」

 と声を漏らすと、つかんでいたサラリーマンの腕を放した、サラリーマンははずみで尻もちをつく。

 「てめえ、またこんなあこぎな商売をしてやがったのか!」

 凄子は怒りの瞳を向けたまま、石橋を怒鳴りつけた。しばらく困惑の表情を浮かべていた石橋は、じきに不敵な顔つきに変わり、

 「姉御、お言葉ですがあこぎな商売とはなんでしょう?私の店は法律を遵守しているきちんとしたクラブですよ」

 と、唇をゆがめた。そして上着のポケットからパーラメントを出して、気取ったポーズでカルティエのライターの火を点けた。凄子はケツの穴がむずむずしてくる、生理的に受け付けない男の態度を見るといつもそうだ。

 「三流品が気取ってんじゃねえぞ!」

 凄子が吼えると、石橋の目つきが険しくなった。

 「三流品だと?」

 徐々に憎悪と凄味の光が帯びてきた。が、凄子は一向に気にしてはいない。石橋を見据えたまま、 

 「てめえらみてえなウジ虫どもは、悪知恵だけは働くからな。…法律の盲点をついて、どうせ悪辣な荒稼ぎしてんだろうが。想像つくぜ!」

 と怒鳴り、怯えた目で成り行きを見守っているサラリーマンに一度目をくれる。

 「簡単にだまされるこの野郎も馬鹿だが、こういう馬鹿をカモにしてるてめえらは、クズの中のクズ、正真正銘のクズだ!」

 凄子のしゃがれ声に、石橋は唇と拳を震わせた、そして身構える。

 「いくら姉御でもウジ虫だのクズ呼ばわりされりゃあ、俺も黙っちゃいられねえな。…ババアの分際で人を馬鹿にしやがって、男をなめるんじゃねえぞ!このクソアマが!」

 と吐きすてると、石橋は上着を脱いでドアノブに引っ掛ける、蝶ネクタイのフックを外してYシャツの襟を緩める。

 凄子はその様子をじっと眺めてから唇をゆがめた。

 「上等じゃねえか、面白え。5年前と同じように徹底的にてめえをぶちのめしてやる気になってきたぜ」

 そう言うと作務衣の袖をまくり上げて、両拳の関節をポキポキと鳴らした。サラリーマンは口をポカンと開けたまま、痴呆のように立ち尽くしているだけだ。


 凄子と石橋の間の空気がピンと張り詰める、凄子は怒りの彫像のように冷えたまなこで石橋を睨んだまま動かないが、石橋のしわを刻んだ額には脂汗がじっとりと噴き出している。ほんの短い時間だが、永遠に続くとも感じられるような耐え難い瞬間だろう。

 やがて緊張に耐えられなくなった石橋は、奇声を上げて凄子に飛びかかった。6尺を超えている大男がでかい拳を振り上げてくる。しかし凄子はその動きを冷静に見切り、身体をかわしざま握った拳は強烈なボディーブローと化して、隙だらけの石橋の白いYシャツの腹部に飛んだ。

 凄子の拳は石橋のどてっ腹に手首までめり込む、会心の一撃は石橋の身体を「く」の字に折った。石橋は目玉が飛び出しそうな表情をしたあとすぐに、ゴロゴロと喉を鳴らして大量のゲロをぶちまける。路上に跳ねたゲロはサラリーマンのスラックスの裾に跳ぶ。


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