ヤキモチ
「お、楓。いたいた」
図書室のドアが開き、汐恩がひょこりと顔を出した。
「また図書室かよ。お前、本読んでばっかだな」
「静かにしてください。図書室ですよ」
「はいはい。じゃあ、帰りにコンビニ寄っていい? 新しいお菓子出たんだって。莉奈が教えてくれてさ」
「……莉奈ちゃんが?」
「おう。あいつ結構面白いんだな。俺のこと『汐恩くん』って呼ぶし、気さくでさ」
彼は何気ない調子で言った。だが、その言葉が私の胸に小さな棘のように刺さった。
(莉奈ちゃんとそんなに話してるの)
「それで、お前にも買ってきてやろうと思ってさ。何がいい?」
「……別にいいです。いりません」
「え、なんで。機嫌悪くなった?」
「なってません。早く帰りましょう」
私は鞄を持って立ち上がった。汐恩はきょとんとした顔で「ああ、うん」と頷いてから私の後を追った。
廊下を歩く私の足音が、やけに大きく響いた。
(なぜ、あんなに腹が立ったのだろう。莉奈ちゃんと話しているだけで、なぜ私が不機嫌にならなければならない)
さっき結論を出れたはずだ。私は彼のことが好きではないと。なら、彼が誰と話そうが私の知ったことではないはずだ。
なのに…なぜか胸の奥のモヤモヤが晴れない。
「なあ楓、本当に大丈夫か? なんか不機嫌じゃね?」
「大丈夫です。何もありません」
「嘘つけ。その眉、下がってるぞ」
「うるさいです。余計なお世話です」
私は歩調を早めたけれど、彼の長い脚が軽々と追いついてくる。苛立つ。なぜ追いかけてくる。
なぜ私の顔を覗き込む。なぜそんな心配そうな顔をするだ。
「あ、一ノ瀬くん! さっきの話の続しなんだけどいい?」
その時、背後から別のクラスの女子が声をかけた。茶髪のロングヘア。いかにも「女子高生らしい」可愛らしい子だ。彼女は私を一瞥もせず汐恩に駆け寄った。
「ごめんごめん、今ちょっと用事あるからまた明日な」
汐恩は手を振ってその子を制した。だがその子は「えー、ちょっとだけ」と汐恩の腕に触れた。
その瞬間、私の視界が白く燃えた。
(なぜ、私の目の前で他の女の話をしている。なぜ、私の目の前で他の女に触らせている。なぜ、それを私が見ていなければならない)
「一ノ瀬くん、私が悪かったです。帰りましょう」
私は振り返り汐恩の腕を掴んで歩き出した。自分でも驚くほど強い力で。その子は目を丸くして、「あ、ごめん」と引いた。
「お、おい楓? なんだよ急に」
「帰るって言ったでしょう。送ってくれるんでしょう。なら早く行きましょう」
「はいはい……って、なんでそんなに怒ってんの?」
「怒ってません」
「怒ってるよ。めちゃくちゃ顔怖い」
「……うるさい」
私は彼の腕を離さずに歩いた。彼の体温が掌から伝わる。私の掌が汗ばんでいるのがわかる。心臓がバクバクと音を立てている。
(さっき私は好きじゃないと結論を出した。なのに…なぜ、あの子が彼に触った瞬間、こんなに腹が立ったのだろう。こんなに胸が苦しいのだろう。こんなに泣きそうなのだろう)
「なあ、楓」
汐恩が私の歩調に合わせて小さな声で言った。
「もしかして、妬いてる?」
「は? 何を?」
「ヤキモチ」
その言葉に私はピタリと足を止めた。
「ふざけないでください。私はそんな子供じみた感情を抱く人間ではありません」
「嘘つけ。お前、俺の腕掴んで離さないじゃん」
「それは……あなたが勝手に他の女の話をするから……!」
言いかけて、私はハッとした。口から出かけた言葉は、「他の女の話をするな」だ。それはまるで——独占欲に塗れた、嫉妬している女の言葉だ。
私はパッと彼の腕を離した。
「……帰ります。一人で」
「え、嘘。置いてくなよ」
「来ないでください」
「無理。送るって言ったじゃん」
「言ってません」
「言った。俺の記憶に」
「あなたの記憶がおかしいだけです」
私は踵を返して歩き出した。汐恩が追いかけてくる足音が聞こえる。
(好きじゃない。好きじゃない。絶対に好きじゃない。中身は男だ。男が男を好きになるわけがない。さっきちゃんと論理的に証明した。私は彼のことが好きではない。ただの偽装カップルだ。ただの便宜上の関係だ。なのに…)
「楓、待てって。コンビニ寄ろうぜ。お前のお菓子も買ってやるから」
「いりませんって言ってるでしょう!」
振り返ると彼がニカッと笑っていた。その笑顔が夕陽に照らされて眩しい。
(なのに、どうして、こんなに——)
私は何も言えずにただ彼を睨みつけた。頬が熱い。目の奥が熱い。何かが溢れそうだ。
「ほら、やっぱり妬いてる」
「……焼いてません」
「嘘つけ。耳まで赤いぞ」
「夕陽のせいです」
「はいはい、夕陽のせいね」
彼は私の隣に並び何事もなかったかのように歩き出した。私も何事もなかったかのように歩き出した。
でも、私の拳は握りしめられたまま離れなかった。
(好きじゃない。絶対に好きじゃない)
そう何度も自分に言い聞かせながら、私は彼の横顔を盗み見た。
(でも、あの子が彼に触った時…私は泣きそうだった)
その事実だけはどんな論理でも消せなかった。




