心臓の音と共鳴していた
翌朝。
いつもより早く登校した。教室にはまだ誰もいない。
私は席に座り窓の外を見る。校庭の隅にある桜の木が朝風に揺れている。
(彼に伝えるべきか)
その考えが頭を過ぎった瞬間、心臓が早鐘を打った。
伝える…つまり、告白をする…「好きです」と、その言葉を口にする。
(できるのか? 私に)
(もし断られたら…)
恐怖が首をもたげる。彼にとって私は「偽装カップルの相手」だ。優等生の仮面を被った、付き合いの悪い女。
彼が私に対して抱いているのは、同情か、憐れみか、あるいは単なる暇つぶしか。もしそうだとしたら、告白は自ら恥をさらしに行くようなものだ。
(いや、違う。彼は——)
昨日の放課後、私が不機嫌になって歩き出した時に彼は追いかけてきた。コンビニに寄ろうと誘ってくれた。お菓子を買ってやると言ってくれた。
私が怒っている理由を察してからかいながらも、その声には確かな優しさがあった。
あれは、偽装カップルとしての義務ではない。きっと彼が個としての私を気にかけている証拠だ。
(もしかしたら、彼も——)
いや、期待してはいけない。期待して裏切られた時の痛みは想像を絶する。
だけど……期待せずに後悔する方が私は嫌だ。「中身は男だから」という言い訳を盾に自分の感情に蓋をする。
そんなことはもう終わりにしたい。
(私は彼に伝えたい。本物の想いを。偽装じゃない、本物の「好き」を)
それが私の答えだ。
(中身が男だろうが女だろうが関係ない。恋をして、その想いを伝える。それはごく当たり前のことだ)
(その当たり前のことが私には世界で一番難しくて……でも、やり遂げたい)
だんだんと生徒が登校してきて教室では騒がしい声が広がる。
「よっ、おはよう楓」
すると教室の扉が開き、一ノ瀬汐恩がいつものように軽い足取りで入ってきた。
朝の光に照らされた彼の顔。少し寝癖がついた髪。眠そうな目。ありふれた、何でもない朝。なのに、心臓が跳ねた。
「おはよう、一ノ瀬くん」
「今日も図書室行くの?」
「いいえ。今日は…放課後…少し時間がありますか?」
私の声が少し上擦って、彼は首を傾げた。
「え、うん。あるけど。どうしたの急に」
「話したいことがあります。放課後、校舎裏で」
「校舎裏? いいよ。待ってる」
彼はニカッと笑った。その笑顔がまぶしい。
(待ってる、か)
私の膝が微かに震えた。
放課後、校舎裏。
かつて、私が先輩に告白された場所。そして、彼が「俺たち付き合ってる」と嘘をついて私を助けてくれた場所。
すべてが始まった場所ですべてを終わらせる。偽装を終わらせる。そして——本物を始める。
(怖い。死ぬほど怖い。でも)
私は机の下で拳を握りしめた。
(今の私が、今の彼に伝えたい。この想いだけは、偽物じゃない)
午後の授業は一切耳に入らなかった。ノートの余白に無意識のうちに「好きです」という文字が何度も書き殴られていた。
それに気づいて私は慌てて消しゴムで消す。消しても消しても文字は心に残っていた。
(告白しよう。彼に「好きです」と言おう)
改めて決意を固めた瞬間、頬が熱くなり心臓が高鳴った。これが恋愛感情だということを否応なく実感した。
(もう戻れない。私はもう偽物の自分に戻れない)
授業終了のチャイムが鳴り響く。私はゆっくりと席を立った。鞄を持ち教室を出て目的の場所へと向かう。。
ドキドキしていた。私の足音が階段に響いて、心臓の音と共鳴するように。




