放課後の校舎裏
放課後の校舎裏。 そこは私たちの「偽装」が始まった場所だった。
「話したいことって何? なんか改まってるし、心の準備が」
「少し黙っていてください」
私は一ノ瀬汐恩の軽口を遮った。
心臓がうるさい。膝が震えている。かつて男だった私が男に告白する。そんな馬鹿げたシチュエーションはどのラノベにもなかったはずだ。
だが、今の私にはこの感情から逃げることはもうできない。私は深呼吸をした。肺の中に秋の冷たい空気が入る。
「一ノ瀬くん。私は、あなたのことを——」
「あ、ごめん。待って」
私の言葉を彼が手のひらで制した。
「は?」
「ごめんごめん。俺もどうしても言いたいことがあってさ。先に言わせて」
彼の表情がスッと真剣なものに変わった。いつもの飄々とした笑顔が消え、真っ直ぐな瞳で私を見つめている。
嫌な予感がした。胃の底がキリキリと痛む。
「えっと、俺が先輩から楓を助けて『偽装カップル』やろうって言ったの覚えてるよな?」
「……覚えています。それが何か?」
「あの時の俺、正直言ってちょっとカッコつけたかったんだ。自分の彼女みたいに言って助けて、男として格好つけたかった」
「……そうでしょうね。あなたはそういう人だ」
刺々しい言葉が出た。だが、汐恩はそれを咎めずに困ったように笑って首を傾げた。
「うん。最初はそうだった。でも、家まで送ったり、一緒に飯食ったり、映画観たり……俺、すげえ楽しかったんだ」
彼の視線が私を射抜く。夕陽の逆光で表情がよく見えない。
「お前がツンけとするところも、照れて顔赤くするところも、実はすげえ優しくて、真面目で。全部見てて、可愛いって思った」
「か、可愛いって……! 私はそんなんじゃありません!」
「うん、知ってる。でも、そういう硬いところも含めて好きなんだ」
「……は?」
「俺、お前のことが好きだ楓」
彼が一歩、近づいた。
「嘘じゃない。偽装でもない。本気で好きだ」
世界が止まった。
風が止んだ。私の頭の中が真っ白になっていく。
(え? 今…なんて言った?)
「偽装とかじゃなくて、最初からこうやって言えばよかった。俺と付き合ってくれませんかって」
彼は少しだけ声を震わせていた。その微細な震えがこの告白が「本物」であることを告げていた。
私は唇を震わせた。なぜ目の奥が熱くなるのだろうか、なぜ胸の奥が苦しいほどに満たされていくのだろうか。
「楓? 返事、聞いてもいい?」
彼の声に私はハッと我に返った。
自分の告白のセリフをすべて先越された羞恥と、彼の言葉に対する嬉しさと、TS転生者としての最後の抵抗が頭の中でカクテルのように混ざり合っている。
「……ずるいです」
「え?」
「あなた、ずるいです。私が……私が言おうとしてたのに、先に……!」
私の声が裏返った。みっともなくてたまらない。目頭から涙がこぼれそうだ。
「え、まって。楓、お前も俺に言おうとしてたの?」
「うるさい! 黙れ!」
「いや嘘、ちょっと待って、マジで?」
「マジです! あなたが私を助けてくれた時から、あなたの笑顔を見るたびに、胸が苦しくて、嫌いなはずなのに嫌いになれなくて——私はあなたのことが好きです!」
叫んでいた。
大声で、泣きそうな顔で、隣の男に向かって「好きです」と叫んでいた。
かつての私だったら生涯やらなかった行為だ。でも過去の話しなんて関係ない。
私は初恋の人に想いを伝えた。
汐恩は目を丸くし、それからふわりと笑った。
「そっか。よかった」
彼の手が私の頬に触れた。大きな掌の温かさ。私の女としての肌が、その熱を吸い込んでいく。
「俺たち、両思いだな」
「……そうですね」
「じゃあ、改めて。二宮楓さん」
「はい」
「俺と付き合ってください。今度は本物の彼女として」
私は深く息を吸って精一杯の笑顔を作った。
「はい。よろしくお願いします、一ノ瀬汐恩くん」
夕陽が沈み、校舎裏が黄昏に包まれる。
私は男だった自分を手放したのかもしれない。でもこの温かい手は、この重みは、何物にも代え難い「本物」の喜びだ。
「お似合いだろ、俺たち」
「……ふん。口が減らない男です」
「おっ、今ツンデレした?」
「うるさい」
私たちは笑い合った。偽物のカップルから、本物のカップルへ。
私の物語は、ここから始まる。




