5. 視えた結末
5. 視えた結末
胸元のペンダントが、ドクドクと脈打った。
一度。
――強く。
「……っ」
次の瞬間、視界が歪む。
立っているはずの部屋が、音もなく遠ざかる。代わりに流れ込んでくるのは、見覚えのある光景だった。王城の大広間。人のざわめき。冷たい視線。重苦しい空気。
(……これ、は)
理解するより先に、言葉が響いた。
「――悪役令嬢リシェル・ヴァルディア。貴様を処刑する」
キースの声だった。冷たく、感情の欠けた声音。
その場にいる“私”は、何も言わない。ただ、静かに立っている。抵抗も、弁明もない。
(……違う)
違和感が走る。
胸が、強く締め付けられた。
息が詰まる。
何かが――内側から削られているような、不快な感覚。
(……違う)
この光景は、知っているはずなのに。
決定的に、“何かが欠けている”。
――シアが、いない。
「連れて行け」
命令と同時に、騎士が動く。腕を掴まれる感触。振り払うこともできないまま、私はそのまま引きずられていく。
視界の端で、誰かが笑った気がした。
柔らかく、可愛らしい声。
反射的に目を向ける。薄桃色の髪が、揺れた。
――リリス。
彼女は、困ったように微笑んでいた。
まるで、この状況を悲しんでいるかのように。
(……どうして)
その表情が、なぜか少しだけ“浮いている”と思った。
そして――
場面が、変わる。
暗い場所。
石の床。
冷たい空気。
処刑台。
膝をつかされる。
視線の先に、それがあった。木製の台座に据えられた、異様な装置。首を固定するための半円の溝。
その上に落とされる刃。無機質な構造なのに、それが“何をするものか”だけは嫌でも理解できた。
(……ギロチン)
名前を思い出した瞬間、背筋が冷える。飾りも、威厳もない。ただ、確実に命を断つためだけに作られた形。
逃げ場のない位置に、首を置かされる。
そこに――躊躇いは存在しない。
(……いや!)
理解した瞬間、心臓が跳ねる。
(やめて!)
でも、声は出ない。ひどく現実的で逃げ場がない。
(こんなの、知らない)
(こんなの、見てない)
なのに――
肩を押される。体が前に倒れる。抵抗しようとしても、力が入らない。首が、自然とその溝の位置に落ちる。
(やめて)
思うだけで、声が出ない。枠が、閉じられる。
――カチ、と。
小さな音。
それだけで、すべてが終わったと理解させられる。
視界が狭まる。真正面には、何もない。ただ遠くに空が見えるだけ。後ろで、何かが持ち上げられる気配。
(……来る)
理解してしまう。次に何が起きるのか。
どれくらいの時間で終わるのか。
逃げられないことも、すべて。
(……これも、初めてじゃない)
処刑台に触れる冷たい感覚が、胸の奥で確かにそう告げていた。刃が、上がる音。重い金属が、位置を定める。
誰かの足音。
誰かの息。
群衆のざわめき。
全部が遠い。やけに、静かだ。
(……どうして、こんなに落ち着いているの)
おかしい。怖いはずなのに。叫びたいはずなのに。
(……この先を知ってるから?)
次の瞬間。ヒュッと空気を切り裂く音が、聞こえた。
――もう、間に合わない。
首筋に、冷たい鉄の気配が触れる。
――落ちる…!
「――戻れ」
そこで声が割り込んだ。
「……っ!!」
息を吸い込んだ。
気づけば、私は自室に立っていた。手が震えている。足元が覚束ない。さっきまで見ていたものが、あまりにも鮮明すぎて現実との境界が曖昧になる。私はどうやら、恐怖のあまり息を止めていたらしい。
「……ッ、今の、は……」
酸素を取り戻すように大きく息を吸い込み、喉の乾きを誤魔化すように唾をゴクリと飲み込んだ。
先程の出来事を言葉にしようとした瞬間、胸元のペンダントがまだ熱を持っていることに気づいた。
「未来だ」
すぐ近くで、声がする。振り向くとシアが立っていた。
「……未来?」
かすれた声が出る。
「そなたが辿るはずだった結末だ」
淡々と告げられる。
(……結末)
思い出したくもない光景が、頭の奥で焼き付いて離れない。あれが、私の未来。結末。
「……あれは、回避できるの?」
問いかける声は、思った以上に弱かった。喉の奥から捻り出した声は、シアに届いているかどうかも怪しい。
わずかな沈黙のあと、シアが口を開いた。
「できる」
シアは、そう言った。
「だが、」
その逆接の一言だけで、背筋が冷える。
「容易ではない」
やはり、そうだろう。あの状況は、ただの誤解や弁明でどうにかなるものではない。最初から“そうなるように”組まれている。
(……なら)
思考が、少しずつ戻ってくる。
「……あなたがいれば、変えられるの?」
シアは答えない。
ただ、静かにこちらを見ている。
(シアはとてつもない力を秘めている。でも、万能じゃない)
直感的に、そう理解した。
「……じゃあ、まずはあなたを“隠す”」
自分でも驚くほど、はっきりと言葉が出た。
「神獣として堂々と表に出れば、目立ってしまう。
反対に、姿を隠している場合……貴方は具現化に時間がかかるようだから、瞬時に危機に対応するのは難しい」
先程ベットのそばで現れたシアの姿を思い出す。
呼んでも即座には現れなかった。わずかな“間”がある、と言ったところだろうか。
「なので、最初から“護衛”として側に置く」
貴族が護衛を雇うこと自体は珍しくない。理由はいくらでも作れる。
しん、とした静寂が辺りを包み込んだ。
「……一般人には私の姿は捉えられないと言ったはずだが」
「ええ、聞きました」
私は一歩、距離を詰める。
「なら――見せればいい」
その一言に、空気がピリ、と張り詰めた。
「契約者である私なら、できるのでしょう?」
確信はない。けれど、なぜか“そういうものだ”と分かっていた。その言葉に、胸元のペンダントがかすかに熱を帯び反応を見せる。
シアが沈黙する。ほんの一瞬……
それだけのはずなのに――妙に長く感じた。
「……可能だ」
低く、響く声。
「だが、制御は容易ではない」
「構いません」
間髪入れずに返す。
「やらなければ、意味がない」
再び沈黙が流れ、その後、シアはゆっくりと息を吐いた。
「……許可を」
私は頷くと、廊下に待機している侍女を呼び出した。
「アリス、少しいいですか」
「はい、お嬢様。何なりと」
彼女が部屋に入ってくると同時に、私はシアに声をかけた。
「シア、姿を現しなさい」
その言葉が落ちた瞬間。
――空気が、歪んだ。
視界の端で、何もなかったはずの空間が“滲む”。
輪郭が、にじみ出るように浮かび上がる。
最初に現れたのは、影。
次に、白い髪と肌。そして――金の瞳。
“そこにいなかったもの”が、音もなく形を持つ。
侍女が息を呑む音がした。
「……っ、ど、どなた……!?」
震えた声。今、この場で――確かにシアが見えている。
シアは何も答えない。ただ静かに立っている。
けれど、その存在だけで空気が変わる。
「護衛です」
私は、平然と言った。自分でも驚くほど、声が揺れていなかった。
「本日より、私の側に置きます」
侍女は戸惑いながらも、頭を下げる。その視線は、完全にシアを捉えていた。
(……見えている)
確かな手応えがあった。同時に、胸元のペンダントが強く脈打つ。
――ドクン。
一瞬だけ、視界が揺れた。
「……っ」
「……無理をするな」
低い声が、すぐ傍に落ちる。ほんのわずかにシアの輪郭が、揺らいだ気がした。
(……シア?消耗している?)
だが、その違和感は一瞬で消える。何事もなかったかのように、シアはそこに立っていた。そしてわずかに目を細める。
「それで、この作戦でそなたを守り切れると思うか?」
その問いかけは、試すような声音だった。
「……貴方は強い。けど、すぐにこの件を解決できるとは思わない」
私は即答する。相手はあの第一王子、キースだ。貴族会で最も位の高い王族だ。一筋縄にはいかない。
それに、キース王子の横にいた薄桃色の髪の可愛らしい彼女……リリス。彼女の笑顔がふと頭をよぎった。
「でも、何もしないよりはマシです」
沈黙が落ちる。ただ、ほんのわずかに空気が変わった気がした。おそらくそれが、彼のはじめての許可だった。
胸元のペンダントがゆらりと揺れる。
(……これで)
一歩、進んだはずだ。
そう思ったのに。
「ーーそれでも、足りない。」
ぽつりと、シアが呟いた。あまりにも小さな声で。
けれど確かに聞こえた。その声は、ひどく静かだった。
今までと同じはずなのに――言葉の重みが違って聞こえた。
「…足りない?」
何が。
一体何が、足りないのか。
問い返す。しかしシアは何も言わない。
ただ、静かにこちらを見ているだけだった。そして、ほんのわずかに視線を逸らした。
(……今の)
ほんの一瞬だけ、その視線が“どこか遠く”を見ているように感じた。
まるで――ここではない“別の時間”を見ているような。
胸の奥に、嫌な予感が沈んでいく。
私はまだ、この時点では知らなかった。
この選択でも、まだ“足りない”ことを。
ペンダントが、また微かに脈打った。
それは確かに――
私が“視てしまった結末”だった。
そして、私は理解していた。
――この悪夢は、まだ終わっていない。




