第六話
その日は何事もなく終わった。座学もリアは目を輝かせて授業を受けていた。何もかもが新鮮で、彼女にとってはうれしい。
魔法を生活に応用するなど、千年前では考えられない発想だ。
一つ、リアの頭に引っかかるのは、あれからレイゼの姿が見えなかったこと。探しに行こうともしたが、ついついクラスメイトと話してしまった。
結局のところ、彼は終業時間が過ぎても帰っては来なかった。
「ねぇねぇ、ライン」
隣で帰り支度をしているラインに向かって話しかける。
彼は話しかけられたことに少し驚いて、リアを見た。
「レイゼは大丈夫?」
尋ねられて考えるように視線を上に動かしていた。
「多分、弟は傷ついたんだと思う」
リアはそっと目を伏せる。
「……だよね〜」
レイゼを支えていたのは、見るからに自尊心だ。多分、兄よりも上だという自負が彼を支えていた。それを意図しない形でリアが壊してしまった。
リアだってそこまで鈍感ではない。この事態を起こしたのは、自分自身だという自覚はある。
ああいった顔をした人間は、どこかで壊れてしまう。魔王との戦争でそんな人間を何人も目にしてきた。
「リアちゃーん、一緒に遊びに行かない?」
そんな彼女の思考をクラスメイトの声が遮断した。遠くからこちらに向かって手を振っている。
リアは申し訳なさそうに頭を下げる。
「ごめんね〜。いまから、ラインと用事があるんだ〜」
リアの言葉に、ラインは目を丸くさせていた。
クラスメイトの女子はなぜだが短く悲鳴を上げている。それなのに楽しそうだ。
「そっか、じゃあ楽しんでね! また明日」
「うん、また明日ね〜」
笑顔で別れを告げると、ラインのほうに向き直る。表情はどこか真剣なものだった。
「レイゼを探そ?」
リアの提案に、彼は一度だけ息を飲んでから頷いた。
※※※※※※※※※※
街の景色は時間が経つにつれてまた違った顔を見せる。オレンジ色に染まった陽が、建物に反射する。
遠くから聞こえる街の喧騒も、寂しさが混じった色合いになる。
リアは学園を一通り飛んで確認したが、レイゼの姿を見つけることはできなかった。
「おーい!」
地上でラインがこちらに向かって手を振っている。リアは高度を落として、彼の近くに降り立つ。
「どうだった?」
「いつも一緒の人に聞いてみたけど見てないって。学生寮の方にも確認したけど帰ってないって言われた」
「……そっか」
リアはほんの少しだけ唇を噛んだ。胸の奥に、言葉にならない不安が広がる。
人間は強い。同時に、心が折れたときの脆さも知っている。そんなとき支えになるのは、ただ隣にいてくれる存在だ。
しかし、レイゼにはそれがいないように感じた。
「レイゼはどうしちゃったのかな?」
ラインの言葉にリアは少し戸惑う。だが、すぐにらしくないと頬を軽く叩いた。
「きっと、ラインが心の支えだったんだよ」
「……え?」
「ラインがいるから、自分はすごいと思える。ラインがいるから、前を向けるんだと思う」
それは複雑で、歪で、でも確かな感情の形だった。リアが壊してしまったのは、そのバランス。
本気で良かれと思ってやった。人助けになると信じていた。
だから気づかなかった。兄弟の関係が、強さと劣等感でバランスを保っていたことに。
レイゼは弱くない。普通の人間と比べれば突出している。だが、彼にとっては“できて当たり前”なのだ。
周りからもそう扱われてきたのだろう。だからこそ、できない兄を下に見ることで、ようやく自分を保てていた。
そして、そんな関係が崩れたとき――重荷はすべて本人に降りかかる。
「それなら、僕はラインを支える。きっと、勇者の子孫に向いてるのは、僕よりあいつだから」
その表情は、リアにとって見覚えのあるものだった。
弱った自分に手を差し伸べてくれた、あの勇者と同じ眼差し。
「うん、分かった。もう少し空から探してみるね」
「僕も、もう少し聞き込みをしてくる」
ラインが駆けていく背中を見送り、リアは大きく翼を広げて飛んだ。
※※※※※※※※※※
レイゼはふらふらと歩いていた。ただ、何も考えることなく、学校の廊下を俯むいたまま進む。
自分が下に見ていた兄は、本当は実力があった。
そこに唐突に入ってきた竜の少女が、すべてを塗り替えていったのだ。
「俺の努力は……一体、何だっだよ!」
こみ上げた感情に任せて壁を殴る。
虚しい音の反響が、廊下の奥に消えていった。
窓から差し込む陽は落ちかけていた。包み込む暗さが、自身の心の内側のように見える。
「何してんだよ……俺……」
情けなさが押し寄せ、レイゼはその場で膝に手をついた。
──小僧、強くなりたいだろ?
不意に、声が脳内に直接響いた。
慌てて顔を上げ、周囲を見回す。しかし、誰もいない。
気のせいだったと思いかけたとき、自分はいつの間にか理事長室の前に立っていることに気がついた。
本当に偶然のような感覚のまま、ドアに手をかける。
鍵がかかっているはずの扉は、拍子抜けするほど簡単に開いた。
部屋の豪華な調度品は倒れ、散乱している。
代わりに──剣が机に刺さっている。
レイゼはそれを、歴史の教科書で見たことがあった。
勇者が魔王を討ったときのものだ。
だが、剣から放たれている気配は明らかに禍々しい。とても先祖が使っていたと思えないくらい冷たくて重い。
──驚くな。我はお前の先祖だ。
「……ご先祖様?」
尋ねると、まるで応じるように剣がわずかに揺れた。
どこか錆びついた金属のような、不吉な音がする。
──力が欲しいなら手を取れ。
レイゼは誘われるまま前に進み、剣の柄を握った。
不愉快な声が脳内に響く。黒い渦が体にまとわりつくようで、重い。
だが同時に、体の奥底から力が湧き上がる感覚があった。
これなら、何でもできる。
世界さえ、掌に収められる。
そんなどす黒い衝動が胸の奥を支配する。
「……何をしておるのじゃ?」
声が聞こえた。理事長のものだ。
レイゼがゆっくり視線を向けると、彼女が入り口に立っていた。怪訝な表情で、こちらの手元を見つめている。
「……お主、その剣……どうした?」
理事長の声に、動揺が混じる。しかし、レイゼは応えない。
ただ、剣を握りしめたまま立ち尽くしていた。
大きな笑いが、部屋中に反射した。
それが脳内のものか、自分の喉から漏れたものか──レイゼには判別できない。
ただ、気分だけはとてつもなく高揚していた。
「その剣を……離すのじゃ!」
理事長が詠唱を開始する。濃縮された魔法の球が、彼女の手に収束していく。
瞬間、レイゼの動きがピタリと止まった。ゆっくりと瞳だけを理事長に向ける。
その目は、年端もいかない少年のものではない。
底冷えするかのように静かで、冷たかった。
「……つまらん」
漏れた声は、レイゼのものではなかった。
「その程度の魔法で、我をどうにかできるとでも?」
レイゼはゆっくりと理事長の方へと向き直る。
彼女の瞳はわずかに揺れていた。教え子に魔法を向けることは、本意ではないのだろう。
だが覚悟を固めるように表情を引き締め、魔力を放つ。
部屋中を灼熱が包み込む。散らばった調度品の端が溶け落ちる。
普通なら人間の骨すら残らない威力だ。
それなのに──レイゼはそこに立っていた。服一つ焼けていない。
「……くっ!」
理事長は再び詠唱に入る。しかし、レイゼがそれを許すはずがなかった。
一歩で間合いを詰める。
鈍い音とともに、血が飛んだ。
握った剣が、理事長の腹部を貫いている。
剣を引き抜く。
崩れ落ちる彼女を、興味を失ったかのように踏み超え、歩き出した。




