人間に戻れば棒に当たるはず……?
猫になって三ヶ月の時が流れた。けれどぼくはなにも変わっていなかった。
部屋は広く快適で食べるものも毎日贅沢なもの。なにもかもが恵まれ不自由することなどなかった。しかしぼくの心に深く鋭くしつこく残っているこの気持ちが最後まで猫で生きていこうという意志を阻んでくるのだ。虎子望さんのことが諦められていないこの気持ちが。
スズとして生きていて近くで虎子望さんの笑顔を見ることがたくさんあった。だが百%喜んでいるかと聞かれれば頷くことはできない。向けられる笑顔はぼくスズにであって、僕錫木一郎にではない。優しくされ、愛撫されているだけで十分幸せであると当初のぼくは思っていたけれど、こうして三ヶ月の時を過ごしているとさらに虎子望さんの魅力に深く酔ってしまったわけである。
学校では月のような冷たく厳かな美しさを持った人だと思い込んでいたが、本当は朝日のように強く煌めくような美しさを持った人だと認識を改めさせられた。プライベートでは表情が豊かでよく笑う。特に猫といる時の笑っている顔は格別だ。
ああ、なんで人間の時にしっかり気持ちを伝えておかなかったんだろう。今じゃあちらの声はぼくに届くけれどぼくの気持ちはあちらに届かせることができない。ぼくはうーうー唸りながらゴロゴロと転がっていた。
「どうしたんだニャ? うんうん唸って。なにかにあたってお腹でも痛いのかニャ? 今日のおにぎりはかなり新しくてあたらなそうだったけど。その前にホームレスのおっちゃんと激しく競り合ったから格別ニャ。いい汗かいた後のご飯はうまいニャ」
「お腹が痛いわけじゃないし、ぼくはここで出されたものしか食べてないよ……」
「そうかニャ。じゃあなんでそんな元気なさそうなのニャ?」
「ぼく元気なく見えるかなあ?」
「こっちが質問してるんだけど。まあいつもの厳しい突っ込みが影をひそめてるしニャ」
「そっか」
「まあ悩みがあるのならわしがきいてあげようじゃないか。コンビニのおにぎり一個で。ああ賞味期限切れてないツナマヨでね」
「物とるのか。ならいいや」
「うそ、うそニャ。そんな悲しい顔しないでニャ。ほらわし神だから優しく聞いてやるニャ。ほらみいに話してみい」
「……つまんない」
「ほんとにキレがない突っ込みだニャあ」
伊達に長く生きてないだろうから恋愛に関してなにかアドバイスをくれるかもしれない。そう考え猫神様と温度差のあるままとりあえず話してみることにした。
「ふむふむ。お嬢様とそんな関係だったとは世間は狭いニャ」
「別にただのクラスメイトだったから……」
「ただのクラスメイトでもクラスが同じになること自体が何かの運命なのニャ。何気ない小さい運命が積み重なって人は結ばれるものじゃないかな」
「そういうものかなぁ」
「だが!」
急に顔を近づけてきてぼくを至近距離で見てくる。
「運命だけじゃ物事はうまく運ばないニャ。自分から動くことが必要ニャ」
「自分から動く……」
「そう動かなきゃ何事も始まりすらしないニャ。最近の若い者はそれがわかってないニャ。良いことが勝手に転がってくるのを待ってる者が多すぎるニャ。待ってても現状維持かむしろ退行していくことになるだろうにもったいないニャ」
「そうか、動くか……」
そうだ。実際ぼくは見ているだけで動こうとしなかったからこうして今悔んでしまっているわけだ。変化を求めるなら自分から始めて動かなくちゃいけないんだ。
「そうだね。自分から動かなきゃいけないんだね。でも今のこの状態でどうやって想いを伝えられるんだ?」
「そりゃ無理に決まってる。スズは猫、お嬢様は人間。意思疎通できるわけないニャ」
「うがー。それをどうすればいいのかアイデアがないか聞いてるんだよ! 話せないことくらい最初からわかってるわ!」
「おおー、なかなかいい切り返し。元に戻ってきたニャ」
「お前が当たり前のことを言うからだ」
「じゃもう一個当たり前のこと言ってあげようかニャ」
「もういいよ!」
「まあまあ。もう一回人間に戻ればいいだけの話だニャ」
「は?」
「だからまた錫木一郎に戻ればいいだけの話。なにも難しいことはない。もうそろそろ身体も起きれる位まで回復できるんじゃないかニャ。まだ三ヶ月しか経ってないけどわしの力で何とかできないことはないニャ」
「お、おい。ぼくは人間に戻れるなんて聞いてないぞ」
「そりゃなにも言ってないしニャ。でも戻れないなんて言ってないニャ。人間の頃の記憶だって残ってるでしょ」
『おぬし、猫になって生活してみないかニャ?』
ああ、確かに記憶は残ってるし人間の身体を残しておくのも不自然だった。そうか猫神様はしっかり人間に戻れる様な環境は整えていたんだな。
「たぶん半年の見込みを無理に起こすから身体を今までどおりに動かすのに厳しいリハビリが必要になるだろうニャ。まあ頑張れば何とかなるだろうニャ」
「で、でもそんな急に戻れって言っても……」
「戻れとは言ってないニャ。そういう方法もあるっていう話。ただわしにはもうこれ位しかおぬしの想いをお嬢様に伝えられる方法は思いつかないニャ。人間に戻った後の想いの伝え方くらい自分で考えろニャ。おぬし男だろうわしは雌だから男の気持ちなんてわからんニャ」
「そう言えばおまえ雌だったんだっけ。なのになんで雄の三毛猫なんてやってんだよ」
「最近気がついたんだニャ。三毛のオスは遺伝子的にあり得ないらしいから拝まれたりするんだニャ」
「ま、どうでもいいんだけど。人間に戻る話、もう少し考えさせてくれ」
「どうでもいいとかひどいニャ。そう言うこと言う奴になんか力貸してやらないニャ」
「えー、ケチ。さっきは突っ込みのキレがないとか言ってたじゃん」
「それ突っ込み? ただ興味無いことはっきり言っただけじゃん!」
「ぼく流の突っ込み術だよ。三ヶ月も一緒にいるのにまだ理解してなかったのかよ」
「そんなの知らないし知りたくもないニャ。まあそうならいいんだけど。決まったら教えてくれニャ。まあわしはそんなもやもやしてるより動いてスカッとした方がいいと思うけどニャ。当たって砕けろだっけニャ? まあ砕けてもミルーが拾ってくれるニャ。頑張れ」
そう言って猫神様は尻尾をフリフリしながら去っていった。
うん。猫神様の言う通りかもしれない。こうやってうじうじ悩んで後悔するより当たってみたほうが自分も納得できるだろう。
ぼくはまたゴロゴロしながら告白の計画を考え始めた。もう元気が無さそうには見えないだろう。動き始めるって最初はエネルギーがいるけど始めようと決めたら心が躍るものなんだなぁとしみじみと思っていた。
そろそろ終わりが見えてきます。
最後までお付き合いいただければ嬉しく思います。




