第12話 遅すぎた後悔
沈黙を破ったのは、ヴォルフラムだった。
「彼女が書類を持ち出していない証拠なら、こちらにもあります」
ヴォルフラムが軽く手を上げると、控えていたフィンが分厚い書類の束を抱えて進み出た。
「こちらは、貴国からガルディアへ送られた外交文書の写しです。過去三年分」
フィンが一枚の書類を掲げる。
「最後の確認者の欄に、毎回同じ筆跡で小さな印が入っています。セシリア様の筆跡と、まったく同じものが」
ルーカスが目を見開いた。
「それから、こちら。セシリア様が国を出られたあとに届いた書類です」
並べられた二枚を見比べれば、違いは誰の目にも明らかだった。整然とした書式と、乱れきった書式。正確な条文の引用と、誤りだらけの引用。
「つまり、貴国の外交文書は、すべてセシリア様が仕上げていた。機密を盗むどころか、貴国の機密を守っていたのは彼女です」
フィンの言葉に、ガルディアの重臣たちが深く頷く。
ヴォルフラムは、さらにもう一枚の書類を手に取った。
「そして、こちらが通商条約の改定案。第八条の但し書きによって、ガルディアの主要な輸出品に三倍の関税をかける仕組みになっていました」
ルーカスの顔から、一気に血の気が引いた。
「この罠を見抜いたのは、セシリアです。そして、但し書きを盛り込むよう指示したのが王太子殿下、あなたであることも、こちらで確認が取れています」
「で、でたらめだ!」
「では、貴国の財務官の証言録をお読みになりますか。それとも、殿下の署名入りの指示書のほうがよろしいでしょうか」
ヴォルフラムの声は、どこまでも静かだった。
だからこそ、その冷たさが謁見の間の隅々まで染み渡っていく。
ルーカスは言葉を失い、青ざめた顔のままその場に立ち尽くした。
そのとき、玉座から低く響く声がした。
「――もうよい」
レオポルド国王が、ゆっくりと立ち上がる。
黄金の鬣が揺れ、その場にいる全員が自然と頭を垂れた。
「隣国の王太子よ。そなたは偽りの条約で我が国を欺こうとし、さらに我が国の民を、偽りの罪で連れ去ろうとした」
金色の瞳が、ルーカスを射抜く。
「加えて、その者は我が国の宰相の番だ。ガルディアにおいて、番を奪おうとする行いが何を意味するか、知らぬとは言わせぬ」
ルーカスの膝が、がくがくと震え始めた。
「通商条約の改定は破棄する。現行の条約における貴国への優遇措置も、すべて停止とする。この件は、正式な抗議文とともに、貴国の国王陛下へお伝えしよう」
優遇措置の停止。
それが何を意味するか、セシリアには痛いほど分かった。ガルディアからの薬草や毛織物の輸入に頼っている祖国にとって、それは大きな打撃になる。
国が滅びるほどではない。けれど、確実に、ゆっくりと傾いていくだろう。
ローレンツ侯爵が、真っ青な顔で娘にすがるような目を向けた。
「セ、セシリア……! 何とか言え! お前は私の娘だろう!」
セシリアは、静かに父を見つめ返した。
「お父様。私を娘として見てくださったことが、一度でもありましたか」
侯爵は、口を開いたまま固まった。
答えられないのだ。
それが、答えだった。
「ルーカス様ぁ……どうなさるのですか、わたくしたち……」
ミリアが泣きそうな声で王太子の袖を引く。
ルーカスは、虚ろな目でセシリアを見上げた。
「セシリア……頼む。戻ってきてくれ。お前がいないと、俺は……」
「殿下」
セシリアは、穏やかに微笑んだ。
それは、あの夜会の夜と同じ笑顔だった。けれど、そこにもう痛みはなかった。
「殿下が必要としていたのは、私ではなく、私の仕事だけでした」
ルーカスの顔が、くしゃりと歪む。
「どうか、ミリア様とお幸せに」
それ以上、言うべきことは何もなかった。
衛兵に促され、使節団は謁見の間から退出していった。最後まで振り返っていたのは、ルーカスだけだった。
それからふた月ほどが経った頃。
フィンが、祖国の近況をまとめた報告書を持ってきた。
ガルディアからの抗議文を受け取った国王は激怒し、ルーカスの王位継承権を剥奪したという。王太子の座は、まだ幼い第二王子に移された。
ミリアの実家の男爵家は、王太子をそそのかして国庫を浪費させたとして、爵位を一つ下げられた。ミリア自身は、ルーカスとの婚約を解消されて実家に戻されたらしい。
ローレンツ侯爵は、偽りの訴えに加担した責任を問われて宮廷の役職を解かれた。ドレーゼル伯爵への賠償で財産の多くを失い、今は領地に引きこもっているという。
祖国は、ガルディアとの交易の優遇を失い、少しずつ活気をなくしているそうだ。
報告書を読み終えて、セシリアは静かに目を閉じた。
胸の奥にあるのは、喜びでも、悲しみでもなかった。
ただ、長い長い一日が、ようやく終わったような。
そんな、穏やかな気持ちだった。




