第11話 祖国からの使者
会談の日。
ガルディア王宮の謁見の間には、張り詰めた空気が満ちていた。
玉座には、黄金の鬣をたたえた獅子の獣人、レオポルド国王が座している。その傍らに、宰相としてヴォルフラムが控え、両脇にはガルディアの重臣たちが居並んでいた。
セシリアは、ヴォルフラムのすぐ後ろに立っていた。
淡い青のドレスに、亜麻色の髪をきちんとまとめた姿。胸元には、母の形見の首飾りが光っている。
(さて……殿下は、どんなお顔でいらっしゃるのかしら)
不思議と、緊張はしていなかった。背中に感じるヴォルフラムの気配が、いっそう心を穏やかにしてくれる。
やがて扉が開き、使節団が入ってきた。
先頭を歩くのは、金の刺繍の礼服をまとったルーカスだった。その腕には、薔薇色のドレスのミリアがしがみついている。
そして、その後ろに。
(お父様まで……)
ローレンツ侯爵の姿を見つけて、セシリアは小さく目を瞬かせた。
ルーカスは玉座の前で形ばかりの礼をとると、すぐにセシリアの姿に気づいて目を見開いた。
ひと月半ぶりに見るかつての婚約者は、ずいぶんとやつれて見えた。目の下には濃い隈が浮かび、自慢の金髪もどこか艶を失っている。
「セシリア……!」
「通商条約の協議と伺っておりますが」
ルーカスの声を遮るように、ヴォルフラムが静かに口を開いた。
「まずは、そちらの用件をお聞きしましょう」
ルーカスは咳払いをすると、居住まいを正した。
「では、単刀直入に申し上げる。そちらに匿われている女、セシリア・ローレンツの身柄を引き渡していただきたい」
謁見の間が、ざわめいた。
「その女は、我が国の王宮から機密書類を持ち出し、国外へ逃亡した罪人だ。我が国で裁きを受けさせる」
セシリアは、静かにルーカスを見つめた。
(……本当に、おっしゃるのね)
フィンから事前に聞かされていたとはいえ、実際に耳にすると、怒りよりも先に呆れが込み上げてくる。
「持ち出した書類とは、具体的にどのようなものでしょうか」
ヴォルフラムが淡々と問う。
ルーカスは、一瞬だけ言葉に詰まった。
「そ、それは……国家の機密だ。他国に明かすわけにはいかない」
「なるほど。具体的な証拠は示せない、と」
「証拠など! 現にその女は、無断で国を出ているではないか!」
ルーカスが声を荒らげる。その横で、ローレンツ侯爵が一歩前に進み出た。
「宰相閣下。娘が大変なご迷惑をおかけしました。父親として、責任をもって連れ帰ります」
侯爵はセシリアに鋭い目を向けた。
「セシリア、いい加減にしろ。お前のせいで家がどれだけ恥をかいたと思っている。戻ったら、すぐにドレーゼル伯爵の屋敷へ行くのだ。賠償の件も、それで帳消しにしていただける」
賠償の帳消し。
つまり自分は、借金の代わりに差し出されるのだ。
セシリアは、ゆっくりと瞬きをした。
不思議と、悲しいとは思わなかった。ただ、ああ、この人は最後までこうなのだと、静かに理解しただけだった。
そのとき、ルーカスが焦れたように一歩踏み出した。
「セシリア。素直に戻ってくるなら、罪は不問にしてやってもいい」
「……殿下?」
「それどころか、婚約破棄も撤回してやる。お前を正妃にしてやると言っているんだ。ありがたく思え」
謁見の間が、静まり返った。
ミリアが「ルーカス様!?」と甲高い声を上げる。
「話が違いますわ! わたくしが正妃になるはずでは」
「お前は側妃でいいだろう! この女がいないと、執務が回らないんだ!」
勢いのままに叫んでから、ルーカスははっとしたように口を押さえた。
けれど、もう遅い。
謁見の間にいる誰もが、その言葉を聞いていた。
ガルディアの重臣たちの間から、冷ややかな失笑が漏れる。玉座のレオポルド国王は、面白そうに金色の目を細めていた。
罪人を引き渡せと言いながら、その罪人がいなければ国が回らないと自ら白状したのだ。
セシリアは、そっと息を吐いた。
(……殿下は、最後まで私を見てはくださらなかったのね)
必要とされていたのは、セシリアではない。
セシリアが整えた書類と、セシリアが埋めた予算の穴と、セシリアが見つけた条約の不備。
ただ、それだけだった。
ふと、背中に温かな手が添えられた。
振り返らなくても分かる。ヴォルフラムだ。
言葉はなかった。けれど、その手のひらから、あなたの隣には必ず私がいる、という声が聞こえた気がした。
セシリアは一歩前に出ると、ドレスの裾をつまみ、完璧な礼の形をとった。
あの夜会の夜と、同じように。
「殿下。お父様」
顔を上げ、まっすぐに二人を見つめる。
「お申し出は、謹んでお断りいたします」
ルーカスの顔が、みるみる赤く染まっていく。
「な、何だと……!」
「私は、王宮から何一つ持ち出してはおりません。執務室の書類は、すべて机の上に残してまいりました。殿下の執務室に、毎朝届けていたのと同じように」
静かな声が、謁見の間に響く。
「それに、婚約を破棄なさったのは殿下です。私は、そのお言葉に甘えただけでございます」
ルーカスは、何かを言い返そうと口を開いた。
けれど、言葉は出てこなかった。




