第13話 あなたを選ぶ
最終話になります。
春の訪れとともに、屋敷に一人の客人がやってきた。
「お嬢様ぁっ!」
馬車から転がるように降りてきたのは、侍女のアンナだった。
「アンナ!? どうしてここに」
「宰相閣下が、お迎えをよこしてくださったのです! お嬢様が寂しがっておられるだろうからって!」
泣きじゃくりながら抱きついてくるアンナを受け止めて、セシリアは思わず振り返った。
玄関ホールの階段の上で、ヴォルフラムが少しだけ気まずそうに視線をそらしている。
「……あなたが一度だけ、侍女の話をしていたので」
たった一度。それも、何気ない会話の中で。
それを覚えていて、黙って迎えをよこしてくれたのだ。
セシリアはアンナを抱きしめたまま、目の奥が熱くなるのを感じた。
「ありがとうございます、ヴォルフラム様」
震える声でそう言うと、彼の背後で銀色の尾がゆっくりと揺れた。
その日の午後、セシリアは王宮に呼ばれた。
謁見の間で待っていたのは、レオポルド国王と、ヴォルフラム、そしてフィンだった。
「セシリア・ローレンツ。いや、今はただのセシリアであったな」
国王は、豪快に笑った。
「先の条約の件、そなたの働きでガルディアは大きな損失を免れた。宰相府での働きぶりも、重臣たちから聞いておる」
国王が目配せすると、フィンが一枚の書状を恭しく差し出した。
「そなたを、正式に宰相補佐官に任ずる。番としてではなく、そなた自身の力によってだ」
セシリアは、息を呑んだ。
書状には、ガルディア国王の印とともに、セシリアの名が記されていた。
番としてではなく、自分自身の力で。
この国に、自分の居場所ができたのだ。
「……謹んで、お受けいたします」
深く頭を下げたセシリアの耳に、フィンの「やったー!」という小さな歓声が聞こえた。
夕暮れ時。
セシリアは、ヴォルフラムに誘われて、あの丘の上に来ていた。
眼下には、橙色に染まった王都の屋根が広がっている。数か月前、ここで彼に「あなただからです」と言われたことを、昨日のことのように覚えていた。
並んで腰を下ろし、しばらく黙って景色を眺める。
やがて、セシリアが口を開いた。
「ヴォルフラム様。あの日の答えを、お伝えしてもいいですか」
ヴォルフラムの耳が、ぴんと立った。
「……はい」
セシリアは、膝の上で手を握りしめた。
「私には、番の香りが分かりません。どれだけ近くにいても、ヴォルフラム様が私の番だという実感は、きっとこの先も持てないと思います」
ヴォルフラムは、黙って聞いていた。
「でも」
セシリアは顔を上げ、まっすぐに彼を見つめた。
「関所で、迷わず膝をついてくださったこと。私の話を聞いて、怒ってくださったこと。宰相府で、私を侮る人から守ってくださったこと。笑った私を見て、あんなに嬉しそうにしてくださったこと」
一つ一つ、確かめるように言葉を紡ぐ。
あの日、彼がそうしてくれたように。
「アンナを迎えに行ってくださったこと。何も言わずに、ずっと待っていてくださったこと」
声が、少しだけ震えた。
「香りは分かりません。でも私は、ヴォルフラム様という方を見てきました。そして……私も、あなたを選びたいと思ったのです」
番だからではなく。
あなただから。
夕風が、二人の間をすり抜けていく。
ヴォルフラムは、しばらく何も言わなかった。
灰色の瞳が、大きく揺れている。
「……セシリア」
かすれた声で名を呼ぶと、彼はゆっくりと立ち上がった。
そして、セシリアの前で、片膝をついた。
あの日の関所と、同じように。
けれど今、その手には、小さな銀の指輪があった。
「あの日、私はあなたを見つけて、番だと告げました」
低く、穏やかな声だった。
「今日は、番としてではなく、一人の男として申し込みます」
ヴォルフラムは、セシリアの手をそっと取った。
「セシリア。私と、結婚してください」
涙が、ぽろりとこぼれた。
婚約破棄の夜にも、国を出た朝にも、一滴もこぼれなかった涙だった。
「……はい」
泣きながら笑って、セシリアは頷いた。
「喜んで……ヴォルフラム」
初めて、敬称をつけずに名前を呼んだ。
ヴォルフラムが、驚いたように目を見開く。
それから、くしゃりと顔を歪めて笑った。氷の宰相と呼ばれた人の、泣き出しそうなほど幸せそうな笑顔だった。
銀の指輪が、セシリアの指にそっとはめられる。
次の瞬間、セシリアは強く抱きしめられていた。
「……やっと、呼んでくれましたね」
耳元で囁かれた声は、かすかに震えていた。
その背後で、銀色の尾がこれ以上ないほど大きく揺れている。
セシリアは、彼の胸に顔をうずめて、小さく笑った。
婚約破棄の夜、何も持たずに国を出た。
行く当てもなく、居場所もなく、ただ自分の足で歩きたいと願っただけだった。
それが今は、こんなにも温かな腕の中にいる。
「ヴォルフラム」
「はい」
「あの夜、お言葉に甘えて、本当によかった」
ヴォルフラムは、答える代わりに、もう一度強くセシリアを抱きしめた。
沈みゆく夕陽が、寄り添う二人を、いつまでも優しく照らしていた。
(完)
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
この作品が気に入っていただけましたら、こちらもおすすめです↓
・『「お前の代わりはいくらでもいる」と婚約破棄された令嬢ですが、竜人公爵様に唯一無二の番として溺愛されています』
捨てられた令嬢が、竜人公爵に唯一の番として連れ去られる物語です。
・『番なんて信じません!と逃げ出した侍女ですが、氷の黒豹辺境伯様が離してくれません』
番を信じない侍女と、彼女だけを見つめる黒豹獣人の辺境伯の物語です。
よろしければ、作者のお気に入り登録や、ページ下部の【☆☆☆☆☆】から評価をいただけると、とても励みになります!




