↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『仮面の文官、愛に溺れる男たち』 ―男装令嬢は恋より仕事を選びたい  作者: 紅月 碧(こうづき あお)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/44

第三十二話 君が離れるほど、近づきたくなる

時は進み、晩秋の王宮行事まで、あと十四日。

王都は少しずつ、その日に向けた顔へ変わり始めていた。


地方から届く荷が増え、宿には早くも使用人や商人の姿が目立つようになった。大通りでは王宮へ納める酒樽や食料を積んだ荷車が行き交い、仕立屋には礼装の注文が相次いでいる。

年に一度の大きな宮廷行事なのだから、それ自体は珍しい光景ではない。

だが今年は、例年より少しだけ早い。

人も。

物も。

動き出すのが。


学院でも、その準備が始まっていた。

昼休み、掲示板の前に人だかりができている。


「出たぞ」

「何が?」

「王宮実務の選抜」


その言葉に、クリスも足を止めた。

最終学年の学生の一部は、晩秋の王宮行事に実務補助として参加する。

文官科は各部署の事務や運営補助、騎士科は警備補助に回されるのが恒例だった。


クリスは人の間から掲示を覗き込んだ。

文官科、十二名。

上から順に名前を追って――すぐに見つけた。

クリス・アーヴェル。

「……あった」

思わず声が漏れた。


「やったな」

すぐ後ろから声がした。

振り返ると、エリオットがいた。


「お前も?」

「俺はこっち」

指差した先には、騎士科二十名の名前が並んでいる。

そこに、エリオットの名もあった。


「本当だ」

「また一緒だな」

嬉しそうに言われて、クリスも笑った。

「エリオット、一緒と言っても、期間が違うぞ」

「え?」

「文官科は行事の十日前から。騎士科の警備補助は三日前からだ」

エリオットが掲示を見直した。

「……本当だ」

露骨に残念そうな顔をする。

「七日も違うじゃん」

「仕事なんだから仕方ないだろ」

「せっかく一緒だと思ったのに」

「三日前からは一緒だよ」

「三日しかない」

「十分だ」

「……短い」


クリスは思わず笑った。

「何だよ」

「いや。お前、本当に分かりやすいなと思って」

「だって、一週間も長く王宮にいるんだろ?」

「そうだけど」

「ちゃんと飯食えよ」

「何で最初にそれなんだ」

「お前、忙しくなると忘れるから」

「忘れない」

「この前も忘れた」

「……あれは忙しかったんだよ」

「だから言ってる」

エリオットは少し考えてから、にやりと笑った。

「まあいいや。三日前から俺も行くし」

「うん」

「見つけたら食わせる」

「子供じゃない」

「知ってる」


その言い方が妙に優しくて、クリスは一瞬だけエリオットを見た。

目が合う。


あの日以来。

エリオットは、ほとんど変わらない。

秘密を知ったからといって、必要以上に守ろうともしない。

女として扱っていることを周囲に悟らせるような真似もしない。


ただ。

少しだけ、変わった。


以前なら何の躊躇もなく肩へ腕を回していたところで、一瞬こちらの顔を見る。

隣へ座る時も。

触れる時も。

ほんのわずかに、クリスの反応を確かめる。


それに気づいてしまったのは。

おそらく、自分の方が変わったからだ。


「……何?」

「何でもない」

「またそれ?」

「仕事行け」

「まだ昼休みだよ」

「じゃあ飯食え」

「一緒に食う?」

「食べる」


三日前になれば。

また王宮で会う。

その時、自分はどんな顔でエリオットを見るのだろう。

クリスはまだ知らなかった。




その日の夕方。

王宮の執務室では、別の名簿が机の上に広げられていた。

「増えたな」

アレクの声に、向かいの男が頷いた。

「はい。確認できただけで二十七名増えています」

「合計は?」

「過去十日ほどで、百名を超えました」


アレクは名簿へ目を落とした。

荷運び人。

馬丁。

商人の護衛。

職人。

臨時雇い。

肩書だけを見れば、何もおかしくない。

大規模な王宮行事を前に、人手が増えるのは当然だ。

だが出身地と過去を調べれば、その中に北部出身者が妙に多い。

さらに、軍や領兵として働いた経歴を持つ者が混じっている。


「全員が同じところから来たわけではないんだな」

「はい。紹介元も雇用主も分散されています」

「綺麗だな」

男が顔を上げた。

「……綺麗、ですか」

「ああ。綺麗に散らしてある」


アレクは一枚を抜き取った。

食料の取引と同じだ。

一つの商会が大量に買えば目立つ。

だから分ける。

人間も同じ。


「王都にいるだけなら、まだいい」

「はい」

「問題は、こいつらがどこへ行くかだ」


男が別の書類を差し出した。

「その件ですが」

アレクが受け取る。

数行読んだところで、目が止まった。


「……王宮?」

「はい」


晩秋の行事に向けて、王宮では大量の臨時人員が必要になる。

荷運び。

馬の世話。

厨房。

会場設営。

清掃。

燃料や水の搬入。

普段なら王宮の奥へ入れない人間でも、この時期だけは仕事を理由に門を通る。


「何人だ」

「現時点で確認できた者だけで十六名。ただし、まだ増える可能性があります」

アレクの指が、机を一度叩いた。

「誰が採用を許可した」

「一つではありません。主計、厩舎、厨房、施設管理。それぞれ別です。商会から派遣される者もいます」

「全部、正規の手続きを通っている?」

「書類上は」


アレクが顔を上げた。

「書類上は、か」


それが一番厄介だった。

一人の人間が百人を王宮へ入れたのなら、その人間を止めればいい。

だが違う。

複数の部署。

複数の商会。

複数の紹介者。

一つひとつを見れば、通常の手続きに見える。


「配置を調べろ」

「全員、外しますか」

「いや」

即答だった。


「今外せば、こちらが気づいたと教えるだけだ」

「しかし、王宮内へ入れるのは危険です」

「分かっている」


アレクは椅子へ深く背を預けた。

見逃すつもりはない。

だが、ここで十六人を捕らえたところで、その背後にいる人間は残る。

金を動かした者。

物を集めた者。

人を送り込んだ者。

そして。

王宮の中で、その人間たちを受け入れようとしている者。


「警備責任者には俺から話す。ただし、全体には知らせるな」

「はい」

「内側の警備は、理由をつけて少しずつ信頼できる人間へ替えろ。武器庫、王族居住区、主要な門は特にだ」

「承知しました」

「臨時人員の通行証も、表向きの手続きは変えるな。ただし写しを全部こちらへ回せ」


そこでアレクは少し考えた。

「それと」

「はい」

「誰が、どこへ配置を決めているのかを追え」


男の表情が変わった。

「……王宮内部に協力者がいると?」

「まだ分からない」

アレクは静かに答えた。

「だから調べる」


ただ。

もし偶然ではないのなら。

外から来た人間より。

中にいる人間の方が厄介だった。




四日後。

晩秋の王宮行事まで、あと十日。

クリスは朝早く、王宮の門をくぐった。


何度か来たことはある。

アレクへの報告でも。

学院の行事でも。

だが今日は違う。

客ではない。

実務をする側として入る。


胸元には、学院から支給された実務補助者の証票。

手には筆記具と小さな帳面。

王宮の内側では、すでに大勢の人間が動いていた。


荷車から木箱を下ろす者。

廊下を急ぐ侍従。

客室の割り当てを確認する官吏。

地方から届いた荷の数量を読み上げる者。

厨房へ運び込まれる食料。

厩舎へ引かれていく馬。


クリスの目が、自然と輝いた。


――これだ。


机の上だけではない。

人が来る。

物が来る。

それをどこへ置き、誰へ渡し、何人で動かし、いくら使うのか。

一つ間違えば、その先の仕事が全部止まる。


「クリス・アーヴェル」

「はい」

「君は客室管理と搬入記録の補助だ。まず西棟へ」

「はい!」

返事が少し大きくなった。

担当官が一瞬こちらを見る。

「……元気だな」

「すみません」

「いや。結構」


クリスは帳面を抱え直した。


やっぱり、好きだ。

こういう仕事がしたい。


来年の二月。

卒業できれば、文官登用試験を受ける。

ずっと、そのつもりだった。


その「卒業できれば」という言葉が、以前より少しだけ重くなっていることには気づかないふりをした。




昼を過ぎた頃。

クリスは西棟の廊下で、見慣れた人物と鉢合わせた。


「クリス?」

「殿下」

レオンだった。

王宮では学院にいる時より、当然ながら王子らしい格好をしている。


「今日からか」

「はい」

「どこに入った」

「客室管理と搬入記録です」

「似合いそうだな」

「何ですか、それ」

「数字ばっかり見て喜んでるだろ」

「失礼ですね」

「違うのか」

「……いえ、さっきまで楽しかったです」

「ほら」


レオンが笑った。

クリスもつられて笑う。


こうして話していると。

やっぱり、楽だ。

二年近く。

何度も一緒に勉強して。

街へ出て。

行軍では何日も隣で仕事をした。


なのに。

レオンが一歩近づいた瞬間。

クリスは無意識に、半歩だけ後ろへ下がった。


レオンの目が、その動きを追った。


「……何だ」

「え?」

「いや」


レオンは何も言わなかった。

けれど。

少しだけ、面白くなさそうな顔をした。


クリスは気づかない。


以前なら。

こんなことはなかった。

クリスの方から顔へ触れた。

腕を掴んだ。

肩が触れても気にしなかった。

同じ寝台で眠ったことすらある。


なのに最近は。

自分が近づくと。

ほんの少しだけ、距離を取る。


――何でだ。


「殿下?」

「何でもない」

今度はレオンがそう答えた。


「それより。今年の行事、例年より大きいんですか?」

「どうしてそう思う」

「人も荷も多いので」

レオンの表情がわずかに変わった。

「……父上から、重要な話があるらしい」

「陛下から?」

「ああ」


それ以上、レオンは言わなかった。

言えなかった。


父の状態が軽いものではないこと。

兄がすでに多くの政務を代わって担っていること。

そして今回の行事が、王家にとって大きな節目になるかもしれないこと。


それはまだ。

王宮の外へ出していい話ではない。


クリスも追及しなかった。

ただ、最近は国王が公の場へ姿を見せる機会が減っている。

そして、回ってくる公文書には以前より明らかに王太子の名が増えた。

その程度なら、文官を目指している学生でも気づく。


「王太子殿下も、お忙しそうですね」

レオンがクリスを見る。

「そういうところまで見てるのか」

「文官志望ですから。誰が何を決めているかくらい、気になりますよ」

「……お前、本当に好きだな。そういうの」

「はい」


即答すると、レオンが笑った。


その声が妙に優しくて。

クリスはまた、少しだけ困った。


「では、仕事に戻ります」

「ああ」

クリスが歩き出す。

数歩進んだところで。

「クリス」

振り返った。

「はい?」

レオンは何か言いかけた。


――最近、俺を避けてるか?


喉まで出た。

だが。

「……いや。何でもない」

「?」

「仕事しろ」

「呼び止めたの殿下でしょう!」


クリスは呆れた顔で去っていく。

レオンはその背中を見送った。


――やっぱり。


少し、離れる。




午後。

クリスは搬入記録の束と格闘していた。


食料。

酒。

薪。

水。

寝具。

馬の飼料。

消耗品。

客が増えれば、当然すべて増える。


最初は純粋に面白かった。

何人の客に対して、どれだけの物資が必要なのか。

学院で習った数字が、実際の人間の生活へ変わっていく。


だが、何枚目かの帳票で、クリスの手が止まった。


「……多い?」


食料ではない。

そこは説明できる。

予定外の随行員を連れてくる地方貴族もいる。

保存食には余裕を持たせる。


気になったのは、人だった。


荷運び。

厩舎補助。

厨房補助。

設営。

清掃。


臨時に入る人間の数が多い。

もちろん、これも説明はできる。

大きな行事だ。

人手はいくらあっても困らない。


クリスは別の帳票を取った。

搬入予定。

荷車の数。

荷の量。

それを運ぶ人間。


一つずつなら普通だった。


だが。

並べると。


「……人が、多い」


荷の量に対して。

必要な人数より、わずかに多い。

一件だけなら何でもない。

二件でも。

三件でも。


だが同じような「少し多い」が、いくつもある。


クリスは筆を置いた。


頭の中に、これまで追ってきたものが並ぶ。


穀物。

鉄。

革。

馬具。

薬。

毛布。

金。


そして。

人。


――一つずつなら、普通。


行軍の時と同じだった。

一つの荷だけを見ても、何も分からない。

全部を並べて初めて。

その向こう側にいる人間の数が見える。


クリスは窓の外へ目を向けた。

中庭では、臨時の荷運び人たちが木箱を下ろしている。


笑っている者。

指示を受けている者。

汗を拭っている者。


ごく普通の光景だ。


なのに。

背中に薄い寒気が走った。




同じ頃。

アレクの机には、王宮へ入る予定の臨時人員の名簿が積み上がっていた。


「また増えたか」

「はい」

「配置は?」

「厨房、西棟、厩舎、外庭。ほかに会場設営です」


アレクは一枚ずつ確認した。

散っている。

綺麗に。


だが。

その中に。

王族居住区へ物資を運ぶ経路に入る者がいる。

武器庫に近い外庭へ配置される者がいる。

主要な門の設営補助に入る者もいる。


偶然なら。

随分と都合のいい偶然だった。


「配置変更は」

「ご指示通り、表向きは最小限に。内側だけ、こちらの人間を増やしています」

「武器庫は?」

「済んでいます」

「王族居住区」

「明日までに」

「門は」

「信頼できる者を副責任者として追加しました」

アレクは頷いた。


準備はする。

だが、まだ相手には見せない。


今ここで全員を排除すれば。

外にいる人間は逃げる。

金の流れも。

物資の行き先も。

北部との繋がりも。

そして何より。


王宮の中にいるかもしれない人間も。


「殿下」

「何だ」

「もし、これが意図的なものなら」

男が言葉を選ぶ。

「相手は、かなり以前から王宮内部の配置を知っていたことになります」


アレクの目が細くなった。


そうだ。


金を流すだけなら、外からできる。

物を買うのも。

人を集めるのも。


だが。

その人間を。

どの門から入れ。

どこへ置くか。


それは。

外にいる者だけでは難しい。


「……中にいるな」


初めて。

アレクがそう口にした。


誰なのかは、まだ分からない。

一人なのか。

複数なのかも。


だが。

王宮の中に。

扉を開けている者がいる。


晩秋の王宮行事まで。

あと十日。


金は、すでに流れた。

物は、すでに集まっている。

人も、王都へ入った。


そして今。

その人間たちのために。


王宮の内側から、扉を開けようとしている者がいる。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。