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『仮面の文官、愛に溺れる男たち』 ―男装令嬢は恋より仕事を選びたい  作者: 紅月 碧(こうづき あお)


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第三十話 触れた指の熱が、消えない

約束の休日の朝、レオンが学院の正門へ着いた時、クリスの姿はまだなかった。

待ち合わせの時刻には少し早い。

門の脇には王都へ向かう学生たちが何人か集まり、休日らしい賑やかな声を上げている。

空はよく晴れていたが、十月も半ばに近づき、朝の風には肌寒さが混じるようになっていた。

レオンは門柱のそばに立ち、何とはなしに街道の方へ目を向けた。


自分からクリスを誘った。

それ自体が、考えてみれば珍しいことだった。

以前にも二人で王都へ出たことはある。

だがあの時はクリスが先に街へ出る話をしていて、それなら自分も行くという流れだった。

今回は違う。

何の用事もないのに、自分から誘った。


理由を考えれば、どうしても昨日の光景へ行き着く。

護身実技の最中、倒れたエリオットの上にクリスが覆いかぶさっていた。

二人はすぐに離れるでもなく、顔を寄せて何かを囁き合っていた。

その前日には、二人だけが選ばれた実地訓練へ出ている。

そこで何かあったのだろう。

何があったのかは分からない。

ただ、それまでとは明らかに違っていた。


エリオットではなく、クリスが。


エリオットに触れられるたびに慌てる。

顔を赤くする。

それでいて、本気で拒んでいるようにも見えない。

そのことが、ひどく面白くなかった。

だから自分もクリスと過ごしたかったのかと問われれば――たぶん、そうなのだろう。


「殿下!」

考え込んでいたところへ声が飛んできた。

顔を上げると、学院の建物からクリスが小走りにこちらへ向かってくるところだった。

いつもの男物の上着に細身のズボン。肩から小さな鞄を斜めに掛けている。


「すみません。待ちました?」

「いや。俺も今来たところだ」

「よかった。部屋を出てから、財布を忘れたことに気づいて」

「それで走っていたのか」

「はい。休みの朝から二往復しました」

「相変わらずだな」

「何がです?」

「いや」


息を整えながら笑う顔を見ていると、学院祭の夜に抱いた疑いがまた頭をよぎった。

仮面をつけ、女物の衣装をまとったクリスは、三年前に何度か顔を合わせたクラリス・アーヴェルによく似ていた。

舞踏の癖まで同じだった。

だが、こうして目の前で口を尖らせている姿を見ると、やはり同一人物だとは思えない。

クラリスはいつも静かだった。

第二王子の婚約者候補として王宮へ出入りしていた頃は、背筋を伸ばし、言葉を選び、笑う時にもどこか遠慮があった。

今のクリスには、その面影がほとんどない。


「殿下。また俺の顔見てるでしょう」

不意に言われて、レオンは我に返った。

「見ていた」

「何かついてます?」

「いや」

「じゃあ、何で」

「今日も朝から騒がしいと思っていただけだ」

「まだ三言くらいしか喋ってませんよ」

クリスが呆れたように笑う。


やはり違う。

そう思うのに。

その笑顔から目を離すのが、少し惜しいと思った。




王都へ入ってからも、レオンには特に行きたい場所がなかった。

それを知ったクリスは、しばらく本気で呆れていた。


「じゃあ殿下、本当に何の用事もないのに俺を誘ったんですか?」

「悪いか」

「悪くはないですけど……。何か買いたい物でもあるのかと思ってました」

「ない」

「見たい店は?」

「特には」

「じゃあ何しに来たんです?」


街路の真ん中で聞かれて、レオンは返事に困った。

人々が二人の横を行き交っている。

休日の商業区は混み合っていて、道沿いの露店からは焼いた肉や甘い菓子の匂いが流れてきた。


クリスと一緒にいたかったから。


本当の理由は、おそらくそれだった。

だが、それをそのまま口にするのは何かが違う気がした。

「……たまには目的もなく街を歩いてもいいだろう」

「殿下が?」

「王子は目的なく歩いてはいけないのか」

「いえ。何となく、殿下って何をするにも予定を立ててそうだから」

「誰と勘違いしている」

「王太子殿下?」

「兄上なら、むしろ俺より突然動く」

「ああ……それは分かる気がします」


二人で笑った。

するとクリスは辺りを見回し、少し楽しそうに言った。

「じゃあ、今日は適当に歩きましょうか。殿下とこうして街に出るのも久しぶりですし」

「……嬉しいのか?」

「そりゃ嬉しいですよ」

何を当然のことを聞くのだという顔だった。


その返事だけで、昨日から胸の奥に残っていたものが、少し軽くなった。


エリオットと何があったのかは知らない。

けれど。

自分と過ごすことも、クリスは楽しみにしてくれている。


それでいい。

少なくとも今日は、そう思うことにした。




二人は以前にも歩いたことのある商業区を、店を覗きながらゆっくり進んだ。

目的がない分、クリスは気になるものを見つけるたびに足を止めた。

珍しい装丁の本。

外国から入ってきた香辛料。

細工の施された小箱。

自分から買いたいとは言わないくせに、興味を持つと露骨に歩く速度が落ちる。


そのうち、菓子を売る露店の前でまた遅くなった。

蜂蜜を塗って焼いた薄い生地に、砕いた木の実をたっぷり載せた菓子が並んでいる。

レオンは横目でクリスを見た。

通り過ぎる。

数歩歩く。

クリスが一度だけ後ろを振り返った。


「食べたいのか?」

「え?」

「今の菓子」

「別に」

「そうか」

そのまま歩く。


十歩ほど進んだところで。

クリスがもう一度振り返った。


レオンは何も言わずに踵を返した。

「ちょっと。どこ行くんです?」

「買う」

「殿下が食べたいんですか?」

「お前が食べたいんだろ」

「そこまでじゃないですよ」

「二回振り返った」

「見てたんですか?」

「隣にいるからな」


露店へ戻り、二つ買う。

一つを渡すと、クリスは嬉しそうに受け取った。

「ありがとうございます!」

「そこまでじゃなかったんじゃないのか?」

「殿下、結構しつこいですね」


歩きながら一口食べる。

クリスがすぐにこちらを見た。

「これ、殿下も好きでしょう?」

「なぜ分かる」

「甘すぎないし、木の実が多いから。殿下、こういうの好きですよね」


確かにそうだった。

レオンは自分の手の中の菓子を見てから、隣を歩くクリスを見た。

自分がクリスの好みを覚えているように。

クリスもまた、自分の好みを覚えている。


いつからだろう。


そんなことを考えた。

けれど、おそらく答えはない。

二年間。

同じ教室にいて、同じ机で本を読み、何度も食事をしてきた。

その積み重ねの中で、いつの間にか知っていた。


それが妙に嬉しかった。




次に入ったのは、通りの角にある文具店だった。

店の中には木製の棚が隙間なく並び、革張りの帳面や筆記具、封蝋、便箋などが所狭しと置かれている。

クリスは新しい帳面を探しているらしく、奥の棚へ向かった。

レオンもその後ろを歩いていると、途中でクリスが一本の筆記具を手に取った。

「殿下。これ、使いやすそうですよ」

「俺のか?」

「今使ってるやつ、そろそろ替えた方がいいでしょう。この前も途中でインクが出なくなってましたよね」

「まだ使える」

「殿下って、そういうところ妙に物持ちいいですよね。王族なんですから新しい物を買ってください」


クリスが試し書き用の紙へ線を引き、筆記具を差し出した。

「ほら。握ってみてください」

受け取ろうとした時、指先が触れた。


それだけだった。


だがクリスの指が、わずかに引いた。


レオンは気づいた。

「どうした」

「何がです?」

「今、手を引いただろ」

「引いてませんよ」


クリスはすぐに別の棚へ視線を向けた。


やはり。

昨日からおかしい。


以前なら、クリスの方から平気で触れてきた。

図書室で顔が近づこうが、頬を両手で挟もうが、当の本人は何も気にしていなかった。

それが今は、指が触れただけで意識している。


――エリオットと、何があった?


また考えかけた時。

「失礼します! 後ろ通ります!」

店員の声がした。


クリスが振り向く。

店の奥から、大きな木箱を両腕で抱えた店員が狭い通路へ入ってきていた。

箱の幅があるため、人一人が通るのがやっとだ。

クリスは棚の前に立っていて、後ろへ下がれば店員の進路を塞ぐ。

反対側へ避けようとしたが、そこには別の客がいた。


レオンは咄嗟にクリスの腰へ腕を回した。

「こっちだ」

そう言って、自分の身体と棚の間へクリスを引き込む。


「わっ」

引かれた勢いで、クリスの身体がレオンの胸へぶつかった。

咄嗟についた右手が、レオンの胸元を押さえる。


そのすぐ後ろを、大きな木箱が通り過ぎていった。

「すみません!」

店員が頭を下げる。


「大丈夫か?」

レオンはクリスを見下ろした。


返事がない。


クリスは胸元へ手をついたまま、妙に固まっていた。

腰にはレオンの腕が回っている。

棚との間に引き込まれたせいで、身体の間にはほとんど隙間がない。


「クリス?」

もう一度呼ばれて、ようやく顔を上げた。


思った以上に近いところにレオンの顔があった。


エリオットとは違う。

騎士科のように厚く鍛え上げられた身体ではない。

けれど、掌の下にある胸はしっかりしていて、自分とは明らかに違う。

腰を抱いている腕にも力がある。


学院祭の夜。

ドレスを着た自分の腰へ添えられていた手を思い出した。

あの時も。

こんなふうに思った。


――この人は、男なんだ。


「……大丈夫か?」

低い声が近くから聞こえる。


クリスは慌てて手を離した。

「だ、大丈夫です」

「そうか」


それでも。

腰に回った腕は、まだ離れなかった。


レオンも。

今になって、自分がどこを抱いているのか意識した。


細い。


男に対して思うには妙な感想だった。

だが、腕の中に収まっている身体は思っていたよりずっと細かった。

学院祭の夜。

ドレス姿のクリスを抱いて踊った時にも感じた細さ。


また。

クラリスが重なる。


「……殿下」

呼ばれて、我に返った。

「何だ」

「もう、箱行きましたよ」

「ああ」


ようやく腕を離す。


離れた瞬間。

クリスは腰の辺りに、まだレオンの手の感覚が残っているような気がした。


昨日は、エリオットにも同じ場所を抱かれた。

けれど。

今の胸の高鳴りまで、昨日のせいにしてしまうのは違う気がした。


レオンはそんなクリスを見ていた。

「顔が赤いぞ」

「……店の中が暑いんです」

「俺は暑くない」

「殿下が寒がりなんじゃないですか」

「今まで一度も言われたことがない」

「今日からそういうことにしてください」


必死に言い返すクリスを見て。

レオンは少しだけ笑った。


朝より。

さらに機嫌がよくなっていた。




昼食を終えた頃には、二人ともすっかり普段の調子に戻っていた。

学院の話。

卒業後の話。

最近、食堂で同じ曜日に必ず豆料理が出ること。

エリオットが先週また訓練用の木剣を一本折ったこと。


「絶対、あいつ力加減おかしいですよ」

「今に始まったことじゃないだろ」

「騎士科の備品代の半分くらい、あいつが使ってるんじゃないですか?」

「調べてみるか」

「ちょっと見たいですね」


レオンが笑う。

クリスも笑った。


こうしていると、何も難しくない。

二年間、何度もそうしてきたように。

話して。

笑って。

時々くだらないことで言い合う。


エリオットにはエリオットとの距離がある。

だが自分とクリスの間にも、自分たちにしかないものがある。


そう思えるようになっていた。


「二月か」

ふとレオンが言った。

「はい?」

「文官登用試験」

「ああ」

クリスの表情が明るくなる。

「受けますよ。もちろん」

「中央を希望するんだろ」

「はい。そのために学院へ来たんですから」


なら卒業しても、クリスは王都にいる。

自分も王族として王都にいる。


今日のような日が。

卒業したあとにもあるのかもしれない。


また街へ来る。

一緒に本を探す。

飯を食う。


そんな未来を考えると。

レオンは不思議なくらい気分がよかった。




午後。

二人が商業区を出ようとした頃から、空が急に暗くなった。

朝にはほとんどなかった雲が広がり、冷たい風が通りを抜けていく。

「降りそうですね」

クリスが空を見上げた。

「学院まで保つかな」

「微妙ですね」


言った直後。

ぽつりと一滴、クリスの鼻先に落ちた。

「……来た」


次の瞬間には、石畳へ次々と雨粒が落ち始めた。

「走るぞ」

「はい!」


二人は通りの先に見えた店の軒下へ駆け込んだ。

距離にすれば大したことはない。

それでも秋の雨は一気に強くなり、軒下へ入った頃には、クリスの前髪もレオンの肩もかなり濡れていた。


「うわ……最悪」

クリスが額に張りついた髪を掻き上げる。

「殿下、大丈夫です?」

「俺は平気だ。それよりお前――」


言いながら。

レオンはクリスの頬を見た。

髪から落ちた水滴が、こめかみから頬へ伝っている。


考えるより先に手が伸びた。


レオンは親指でその水滴を拭った。


クリスが動きを止めた。


触れたレオン自身も、すぐには手を離せなかった。


指先に触れる頬は、雨で少し冷えていた。


ーー柔らかい。


その感触に。

胸が強く鳴った。


濡れた前髪。

長い睫毛。

雨粒の残る頬。


学院祭の夜に見た顔が。

また。

目の前のクリスへ重なる。


「……クラ――」


危うく。

名前が出そうになった。


レオンは止めた。


「殿下?」

クリスが不思議そうに見上げる。


その顔が近い。


レオンの親指は、

まだクリスの頬に触れている。


もう一つ残っていた水滴を。

またゆっくりと拭った。


クリスは動かなかった。

なぜ動けないのか、自分でも分からない。


昨日、エリオットに頬を包まれた。

その後に何が起きたのかまで。

この身体は覚えている。


けれど今、レオンの指に触れられて胸が鳴っているのは。

エリオットを思い出したからではなかった。


目の前の男を。

……レオンを意識している。


そのことに気づいた。


雨音が、軒先を激しく叩いている。

通りを走る人々の声もする。


なのに。

二人の間だけが。

妙に静かだった。


レオンの視線が。

クリスの目から。

頬へ。

そして。

唇へ落ちた。


ほんの一瞬だった。


それでも。

クリスには分かった。


胸が、大きく鳴る。


レオンも、自分がどこを見たのか気づいた。


だが、目を逸らすのが、少し遅れた。


「……クリス」

呼んだ声が。

自分でも驚くほど低かった。


クリスの睫毛が揺れた。


その時。

「うわ、ひどい雨だ!」

数人の男たちが、走って同じ軒下へ飛び込んできた。


二人とも我に返って、レオンの手が頬から離れる。


「……悪い」

「いえ」


クリスは横を向いた。


頬が熱かった。

雨で冷えたはずなのに。


触れられていた場所だけ。

熱が残っている。




雨は、しばらく待っても弱くならなかった。

学院へ戻るには歩かなければならない。

困っている二人を見かねた店主が、店の奥から大きな防水布の外套を持ってきてくれた。

「これなら二人入れるよ。古い物で悪いけど」


広げてみると、一人には大きすぎるが、二人で使うには少し窮屈そうな外套だった。


「……これを?」

クリスが見る。

「嫌なら濡れて帰るか」

「嫌とは言ってません」


レオンが一瞬、クリスを見る。


「何です?」

「いや」


二人で外套を頭から被り、雨の中へ出た。


最初は少し距離を空けて歩いていた。

だが、それでは外套の端から肩が出る。

「クリス。もう少しこっちへ寄れ」

「俺は入ってますよ」

「俺の右肩が出ている」

「殿下が大きいんですよ」

「外套の大きさは変わらない。寄れ」

「はいはい」


クリスが身体を寄せた。


肩と肩が触れる。

歩くたび。

腕も当たる。


しばらくすると、風が吹いた。

外套が大きく煽られる。

「あっ」


クリスが端を掴もうとする。

レオンは咄嗟にクリスの肩へ腕を回した。

そのまま自分の方へ抱き寄せ、反対の手で外套の前を押さえる。


「これなら飛ばない」

「……そうですね」


クリスはレオンの腕の内側に収まる形になった。


腰を抱かれた時ほど近くはない。

けれど。

肩から腕にかけて。

ずっと触れている。


雨除けのためだ。


それは分かっている。


それでも、レオンの体温が分かる。


さっき頬へ触れた指の感覚まで。

また思い出す。


「……殿下」

「何だ」

「腕、疲れません?」

「別に」

「ならいいですけど」


クリスはそれ以上何も言わなかった。


少しして。

大きな水溜まりを避けるため、クリスの方からレオンへ身体を寄せた。


そのまま。

離れなかった。


レオンは気づいていた。


けれど。

何も言わなかった。


肩へ回した腕に。

ほんの少しだけ。

力を込めた。


クリスも。

何も言わなかった。


雨の中。

二人はそのまま学院へ向かって歩いた。


エリオットのように。

近いとからかうことも。

かわいいと笑うこともない。


だからこそ。

クリスは。

この距離が嫌ではないことを。

静かに意識してしまった。




学院へ戻った頃には、雨は小降りになっていた。

借りた外套を返し、二人は正門の前で足を止めた。

空はまだ灰色だったが、西の雲の切れ間から淡い夕日が差し始めている。


「今日はありがとうございました」

クリスが言った。

「俺が誘ったんだ。礼を言われることでもない」

「でも、楽しかったです」


レオンはクリスを見た。


朝にも。

同じことを言われた。


だが。

一日を一緒に過ごしたあとで聞くその言葉は。

少し違って聞こえた。


「殿下は?」

クリスが尋ねる。

「楽しかったですか?」


レオンは。

今度は迷わなかった。

「ああ」


「楽しかった」


クリスが笑った。

「じゃあ、また行きましょう」


また。


その一言が。

思いのほか嬉しかった。


「……ああ。また行こう」


クリスが寮へ向かって歩き始める。


数歩進んだところで。

レオンは呼び止めた。

「クリス」


振り返る。

「はい?」


呼び止めたものの、用事などなかった。


ただ、もう少し、話していたかった。


「……風邪を引くなよ」


クリスが少し笑った。

「殿下も」


今度こそ、背を向ける。

レオンはその姿を見送った。


昨日……。

エリオットとクリスの間に何があったのか。

まだ知らない。


それでも今日一日、クリスと過ごして分かったことがある。


一緒にいると楽しい。


笑えば。

もっと見たいと思う。


触れれば。

胸が鳴る。


離れれば。

もう少し近くにいたかったと思う。


その感情を。

ただの友人に向けるものだと言い続けるには。

もう。

少し無理があった。


レオンは。

クリスの消えた寮の入口を見ながら。

初めて。

その可能性から目を逸らさなかった。


自分は。


クリスが好きなのかもしれない。



その夜。

クリスは寝台の中で。

何度も頬へ手を当てていた。


雨粒など。

とっくに乾いている。


なのに、レオンの指が触れた場所だけ。

まだ感覚が残っているような気がする。


昨日は。

エリオットに口づけられた。


今日は。

レオンに頬を撫でられただけだ。


それだけなのに。

どちらも。

違う意味で。

胸から消えてくれない。


「……何なのよ、もう」


男として学院へ入った。


文官になるために。


恋など。

するつもりはなかった。


それなのに。

男のふりをしている間に。


ずいぶん。

厄介な男たちと。

近くなりすぎてしまったらしい。


クリスは。

布団を頭まで引き上げた。





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