第二十四話 終わってほしくなかった 一週間 レオン
最終駐屯地での待機日を終えた翌朝、学生たちは王都へ向けて帰路についた。
往路と同じ三日間。
来た道を戻るだけなのだから、少しは楽になるのではないか。
そんな期待は、出発して半日もしないうちに消えた。
荷車の数を確認し、消費した物資を差し引き、帰路に必要な食料と飼料を計算する。途中の駐屯地で補給するものと、最後まで積んでおくものを分ける。
往路より荷は減っている。
だが、文官科の仕事まで減るわけではなかった。
「クリス」
「はい」
「その帳面、寄越せ」
隣を歩いていたレオンが手を出した。
クリスは反射的に帳面を胸へ寄せた。
「何でです?」
「いいから」
「まだ途中です」
「知ってる」
「じゃあ返してください」
「嫌だ」
「殿下」
「お前、さっきから同じ行を三回見てるぞ」
クリスは黙った。
言われて帳面へ目を落とす。
確かに計算が進んでいない。
昨夜は、あまり眠れなかった。
頭から離れなかったのだ。
穀物。
馬。
革。
鉄。
薬。
毛布。
ばらばらに見えていた数字が、今はひとつの形を持って見える。
――軍隊。
昨夜、クリスは寝台へ入る前に、覚えている限りの数字を別の紙へ書き出した。
アンジュー商会が関わった取引。
ノーマン・ベルクの名が現れる保証。
北へ向かった荷。
そして今回、駐屯地で教えられた、一定人数を一定期間動かすために必要な物資。
正確な数字ではない。
元の資料を持っているわけでもない。
だから、断定できるものは何もなかった。
それでも、王都へ戻ったらすぐアレクサンダーへ報告できるように、品目と概算だけを数枚の紙にまとめた。
今、その紙は折り畳んで鞄の底に入れてある。
「寝てないのか?」
レオンの声で、クリスは顔を上げた。
「寝ましたよ」
「何時間」
「……寝ました」
「答えになってない」
「細かいなあ」
「他人の分の休憩は計算するくせに、自分の分は計算しないのか」
そう言って、レオンはクリスの手から帳面を抜き取った。
「次の交代まで荷車に乗れ」
「でも」
「俺がやる」
「一人じゃ大変でしょう」
「お前が言ったんだろ」
レオンが帳面を開く。
「俺が何か見落としたら、お前が助ける。お前が見落としたら、俺が助ける」
「……」
「今はお前が、自分の疲労を見落としてる」
言い返せなかった。
クリスは少し唇を尖らせた。
「そういう使い方するんですか、あの約束」
「便利だろ」
「ずるいなあ」
「いいから乗れ」
近くを進んでいた荷車を顎で示される。
クリスは渋々そちらへ向かい、途中で振り返った。
「殿下」
「何だ」
「ありがとうございます」
レオンは一瞬だけ黙った。
「……寝ろ」
「はい」
荷車へ乗り込んだクリスが、積み荷にもたれて目を閉じる。
それを確認してから、レオンは手元の帳面へ視線を落とした。
三日間、何度も見た字だった。
自分が計算し、クリスが確認する。
クリスが記録し、自分が不足を見つける。
どちらかが疲れれば、もう一人が補う。
いつの間にか、それが当たり前になっていた。
あと二日。
王都へ戻れば、この役目も終わる。
身体は早く帰りたいと言っている。
寝台で眠りたい。
湯に浸かりたい。
まともな食事もしたい。
それなのに。
レオンは後ろを振り返った。
荷車の上で、クリスが眠っている。
――やはり、終わってほしくない。
理由は、もう分かっていた。
クリスと一緒にいるのが好きなのだ。
話すのも。
働くのも。
くだらないことで言い合うのも。
自分の見落としを見つけられるのも、逆にクリスの失敗を拾うのも。
卒業したあとも、できるならこんなふうに働きたい。
王族である以上、自分の役目をすべて自由に選べるわけではない。
これまで求められたものを学び、求められた場所へ立ってきた。
けれど、希望くらいは言ってもいいだろう。
クリスが中央で働く道を選ぶのなら、自分もそこに関わる役目を持てないだろうか。
王族として果たすべき役目を放り出したいわけではない。
ただ、その中で一つくらい、自分で望むものがあってもいい。
その程度のわがままなら、きっと許される。
レオンは帳面を閉じた。
それを考えると、不思議なくらい卒業後が楽しみに思えた。
*
その日の夕刻。
一行は帰路最初の駐屯地へ到着した。
学生たちは荷を下ろし、往路と同じように物資の残数を確認していく。
クリスとレオンも、長い木台の端を借りて帳面を広げていた。
「こっちは合ってます」
「飼料は?」
「今やってます。殿下、そっちの――」
「クリス」
教官の声がした。
二人が同時に顔を上げる。
「はい」
「少しいいか」
教官は手にしていた書類で、本部棟の方を示した。
「向こうで呼んでいる」
「俺をですか?」
「ああ」
「何でしょう」
「行けば分かる」
それだけ言って、教官は次の学生のところへ向かった。
クリスは首を傾げた。
隣でレオンも本部棟を見る。
「何かやったか?」
「何で最初にそれを疑うんですか」
「心当たりは?」
「……ないです」
「今、考えただろ」
「考えてません」
帳面を閉じる。
「行ってきます。これ、お願いします」
「ああ」
「飼料の残数だけまだです」
「分かった」
クリスは立ち上がりかけて、ふと動きを止めた。
昨夜まとめた、数枚の紙。
誰に呼ばれたのかは分からない。
教官かもしれないし、駐屯地の担当者が行軍中の記録について確認したいだけかもしれない。
けれど――。
もしも……。
クリスは荷物の中から、折り畳んだ紙だけを取り出した。
「何だ、それ」
レオンに聞かれ、手が一瞬止まる。
「ちょっとした覚え書きです。呼ばれた用件に必要かもしれないので」
「そうか」
それ以上、レオンは聞かなかった。
クリスは紙を上着の内ポケットへ滑り込ませた。
「じゃあ、行ってきます」
「ああ」
本部棟へ向かいながら、胸元へ手をやる。
紙の感触がある。
王都へ戻るまで、まだ二日ある。
まさかとは思う。
それでも、持ってきてよかったと思うことになるかもしれない。
*
案内されたのは、普段は駐屯地の指揮官が使う部屋の隣にある、小さな応接室だった。
扉の前には、見慣れない男が一人立っている。
学生でも、駐屯地の兵でもない。
クリスは足を止めた。
男が扉を開ける。
「どうぞ」
中へ入った。
そして。
「……殿下」
思わず声が漏れた。
窓際に立っていたアレクサンダーが振り返った。
「久しぶりだな、クリス」
「なぜ、ここに」
「王太子が王国軍の駐屯地を視察するのは、そんなに不自然か?」
「いえ……」
確かに不自然ではない。
むしろ当然と言えば当然だ。
「今日いらっしゃるとは知りませんでした」
「学生にまで王太子の視察予定を知らせる必要はないだろう」
「それは、そうですが」
アレクサンダーは椅子を示した。
「座れ」
クリスが腰を下ろす。
「行軍はどうだった」
「二度と行きたくありません」
「去年も行ったんだろう」
「だからこそです」
アレクサンダーが笑った。
だが、その笑みはすぐに消えた。
「さて」
机の上で指を組む。
「せっかくお前がここにいる。進み具合を聞いておこうと思って呼んだ」
クリスは目を瞬いた。
「……ちょうどよかったです」
「何がだ」
「俺も、殿下に報告したいことがあります」
アレクサンダーの目が変わった。
「何か持っているのか」
「はい。最低限ですが」
クリスは上着の内側へ手を入れ、折り畳んだ紙を取り出した。
「王都へ戻ったら、すぐにお伝えするつもりでした」
紙を机へ置く。
アレクサンダーが広げた。
そこには品目と概算、その横に別の数字が並んでいる。
「これは?」
「今回の行軍で教わった数字です」
「軍の補給か」
「はい」
アレクサンダーが顔を上げた。
「続けろ」
クリスは話し始めた。
駐屯地で、軍を動かすための補給について学んだこと。
食料だけではない。
馬の飼料。
馬具。
革。
鉄。
薬。
毛布。
人を移動させるためには、それらすべてが必要になる。
「それで、気づいたんです」
クリスは机の紙を指した。
「アンジュー商会やベルクが関わった取引を、一つずつ見るのではなく、全部合わせたら何ができるのか、と」
アレクサンダーは黙っている。
「正確な人数までは出せません。元の資料もここにはありませんし、俺が把握できていない取引もあると思います」
「構わない」
「ですが、少なくとも小さな隊商や、商家の護衛のために揃える量ではありません」
「どの程度だ」
「条件によります。騎馬の割合や、途中で補給できるかでも変わります」
一度、息を吸う。
「それでも―― 数百人は動かせる可能性があります」
アレクサンダーの視線が、紙へ落ちた。
「数百……」
「はい」
「どれくらいの期間だ」
「そこまではまだ。今回教わった数字に当てはめただけです。ただ、数日ではありません」
アレクサンダーの指が、品目を順に追った。
穀物。
革製品。
馬具。
鉄。
薬。
毛布。
「……なるほど」
低い声だった。
「それで?」
アレクサンダーが顔を上げる。
「お前には、これが何に見えた」
クリスは答えた。
「――軍隊です」
部屋が静かになった。
外から兵士たちの声が微かに聞こえる。
今まさに、自分たちが見てきたもの。
人。
馬。
荷車。
食料。
薬。
装備。
それらがなければ、軍は動かない。
アレクサンダーはしばらく紙を見つめていた。
やがて椅子へ深く座り直す。
「……だから、物が要るのか」
「殿下?」
アレクサンダーは少し考えた。
「以前、お前が持ってきた情報から、私は一つの可能性を考えていた」
「何でしょう」
「私を王太子の座から降ろし、レオンを据えようとしている者がいる」
クリスの息が止まった。
「……レオン殿下を?」
「あいつ自身は関係ない」
即答だった。
「少なくとも、今のところそう考えている」
胸の奥にあったものが、少しだけ緩んだ。
アレクサンダーはそれを見逃さなかった。
「安心したか」
「……はい」
「正直だな」
「すみません」
「謝ることじゃない」
アレクサンダーは机の紙へ目を戻した。
「私には昔から、くだらない噂がある」
「噂?」
「私が国王の子ではない、というものだ」
クリスは目を見開いた。
聞いたことはあった。
貴族社会の隅で、ときおり囁かれる程度の話。
王太子の母と、かつて彼女の近くにいた男。
根拠らしい根拠もない、古い噂話。
「真実である必要はない」
アレクサンダーが言った。
「人に疑わせることさえできれば、政治では使える」
「私の立場を揺らがせる。証言を集める。書類を作る。貴族を味方につける。そのためなら、金が動く理由は分かる」
「はい」
「だが」
アレクサンダーの指が、紙の上で止まった。
「穀物を買う必要はない」
クリスの背筋が伸びる。
「毛布も、馬具も、鉄もいらない」
アレクサンダーは紙を見つめた。
「政治だけで私を降ろせなかった場合まで、考えているとしたら」
「……武力を使う」
「可能性はある」
「反乱、ですか」
「まだそこまで決めつけるな」
すぐに制された。
「お前が見つけたのは、数百人を動かすための物資かもしれない。それだけだ」
「はい」
「誰が動かすのかも、どこへ動かすのかも、何のために動かすのかも分かっていない」
クリスは頷いた。
疑った相手を犯人にするために、証拠を探し始めれば終わりだ。
以前、アレクサンダーに言われた言葉が蘇る。
「……事実を追います」
「ああ。それでいい」
アレクサンダーはもう一度紙を見た。
「これは預かっていいか」
「はい。そのために作りました」
「元の記録は?」
「学院です」
「持ってこなかったのは正解だ」
クリスは少しだけ胸を張った。
「一応、考えてますから」
「北へ行こうとする人間の台詞とは思えないな」
「行ってませんよ」
「行こうとはしただろ」
「……」
「クリス」
「今回は行きません」
「今回は、をつけるな」
思わずクリスが笑う。
アレクサンダーも呆れたように息を吐いた。
だが、すぐに表情を戻した。
「アンジュー男爵については、こちらでも調べている」
「何か分かりましたか?」
「思ったより広い」
「商会がですか?」
「商会も、人脈もだ」
それ以上は言わなかった。
「お前は引き続き、学院から見られる範囲だけを見ろ。金と物だ」
「はい」
「北へ行くな」
「はい」
「倉庫も見るな」
「はい」
「妙に素直だな」
「さすがに軍隊かもしれないと思ったら行きませんよ」
「最初からその程度の危機感を持て」
「……はい」
アレクサンダーは紙を畳んだ。
「それと」
「はい」
「レオンには、まだ何も言うな」
胸の奥が、わずかに痛んだ。
ほんの少し前まで隣にいた。
疲れていることに気づき、帳面を取り上げてくれた。
卒業後も、また一緒に働えるかもしれないと話した。
それでも。
このことだけは言えない。
「……分かっています」
「悪いな」
思いがけない言葉だった。
クリスは顔を上げる。
アレクサンダーはもうこちらを見ていなかった。
「戻れ。あまり長くお前だけを拘束すると、弟が不審に思う」
「……はい」
クリスは立ち上がった。
扉へ向かい、手をかける。
「クリス」
振り返る。
「よく気づいた」
クリスは少しだけ目を見開いた。
「……ありがとうございます」
扉を開けた。
*
本部棟を出ると、すでに辺りは薄暗くなり始めていた。
物資置き場へ戻ると、レオンが一人で帳面を確認していた。
クリスに気づき、顔を上げる。
「遅かったな」
「すみません」
「何だった?」
一瞬だけ、言葉に詰まる。
「行軍中の記録について、いくつか確認されました」
嘘ではない。
ただ、全部でもない。
「そうか」
レオンはそれ以上聞かなかった。
「飼料、終わってるぞ」
帳面を差し出される。
「え?」
受け取って確認する。
自分が残していった箇所まで、すべて記入されていた。
「やってくれたんですか?」
「俺たちの仕事だろ」
「……ありがとうございます」
「今日はそればっかりだな」
「だって助かってますから」
クリスは帳面を閉じた。
「殿下がいてくれて、本当によかったです」
まただ。
レオンは思った。
この数日、何度この男は同じことを言うのだろう。
そして自分は、何度言われても嬉しい。
「……なら、今度はお前が助けろ」
「もちろん」
クリスが笑った。
その顔を見ながら。
レオンは、卒業後のことをもう一度考えた。
*
三日後。
学院の門が見えた瞬間、学生たちから歓声が上がった。
「帰ってきた……」
クリスは心の底から呟いた。
「寝台」
隣の学生が言う。
「風呂」
別の学生が言った。
「飯」
騎士科の学生が言う。
「全部」
クリスは即答した。
笑い声が起こる。
長かった七日間が終わった。
そう思った。
ところが学院へ戻った翌日。
「クリス」
背後から声がした。
振り返るより先に、肩へ腕が回った。
「重い!」
「久しぶり!」
「昨日会っただろ!」
「まともに話してない」
エリオットだった。
すでに始まった騎士科の訓練帰りらしく、髪が少し乱れている。
そのまま当然のようにクリスを抱き寄せる。
「何なんだよ!」
「一週間分~」
「何が 一週間分だ。離れろ!」
「クリス不足」
「知らねーよ!」
「冷たいこと言うなよ。俺、ずっと別の班だったんだぞ」
「こっちのせいじゃないだろ」
「だから補給してる」
「人を物みたいに言うな!」
クリスが腕の中でもがく。
エリオットは笑いながら離さない。
少し離れたところで、その様子をレオンが見ていた。
昨日までは、朝から晩までクリスは自分の隣にいた。
同じ帳面を覗き込み、同じ荷を数え、同じ道を歩いた。
自分が間違えればクリスが直し、クリスが疲れれば自分が帳面を持った。
三日もすれば、いちいち言葉にしなくても次に何をするのか分かるようになっていた。
それが学院へ戻れば、エリオットはあっさりクリスの肩を抱く。
「エリオット、暑いって!」
「じゃあ、もうちょっとだけ」
「何がじゃあなんだよ!」
「三日くらい延長してもいい?」
「よくない!」
レオンは小さく息を吐いた。
「……いつまでやってるんだ」
「あ、殿下」
クリスがこちらを見る。
その顔が自然に笑った。
「食堂行きます?」
「ああ」
「エリオット離せ。殿下行くって」
「俺も行く」
「じゃあ離せよ!」
ようやく腕が外れる。
クリスがレオンの横へ来た。
「今日の午後、あの課題やります?」
「やる」
「じゃあ図書室で」
「ああ」
それだけの会話だった。
それでもレオンの機嫌は、ほんの少しだけ戻った。
三人で歩き始める。
すぐにエリオットが反対側から、またクリスの肩へ腕を回した。
「だから重いって!」
「クリス不足なんだよう」
「もう補給しただろ!」
「全然足りない」
「お前、行軍で何を学んできたんだよ!」
二人の声を聞きながら、レオンは前を向いて短いため息をついた。
―― 一週間は、短かった。
*
それから季節は少しずつ進んだ。
朝晩の風が冷たくなり、学院を囲む森にも赤や黄金が混じり始める。
学院のあちこちで、授業とは関係のない話が増えていた。
今年は何を出すとか、騎士科は何をやるとか、文官科の喫茶室は誰を給仕に出すとか。
――学院祭が近づいていた。
そんなある日の昼休み。
クリスが食堂で昼食を終えたところへ、エリオットが一枚の紙を持って現れた。
「クリス」
「何」
「頼みがある」
「嫌だ」
「まだ何も言ってないだろ~」
「お前がその顔で頼み事するとき、ろくなことがない」
「失礼だな」
エリオットは向かいの席へ座った。
隣にはレオンもいる。
クリスは嫌な予感を覚えながら、エリオットが持っている紙を見た。
上の方に、大きな文字が書かれている。
――学院祭『女装美人競べ ~通称ミスコン~』推薦用紙。
クリスは無言で立ち上がった。
「待て待て待て!」
エリオットが腕を掴む。
「帰る」
「寮に?」
「お前のいないところへ」
「話だけ聞けって!」
「嫌だ」
「絶対!似合うから!」
クリスが止まった。
ゆっくり振り返る。
「……何でそんなに自信があるんだよ」
一瞬。
エリオットの頭に、以前見た夢が浮かんだ。
女の姿をしたクリス。
妙に鮮明で、目が覚めても忘れられなかった姿。
「……何となく」
「今の間は何だ」
「気のせい」
「怪しいな」
「でも絶対似合う」
「嫌だ」
「勝てるって」
「もっと嫌だ」
レオンが横から紙を覗き込んだ。
「毎年やってるやつか?」
「そう。クリスなら絶対勝てると思わない?」
「殿下に聞くな!」
クリスが慌てて遮った。
レオンはクリスの顔を見た。
長い睫毛。
細い顎。
見慣れた顔だった。
見慣れているはずなのに。
女の格好をしたところを想像しようとして――なぜか少しだけ、見てみたいと思った。
「……似合うんじゃないか?」
「殿下まで!?」
「一度くらいいいだろ」
「よくないですよ!」
エリオットが嬉しそうにレオンを見る。
「だよな?」
「お前と意見が合うのは不本意だが」
「そこまで言う?」
「でも俺は出ませんからね!」
クリスは断言した。
「絶対に出ない」
「そうか」
エリオットが言った。
妙に素直だった。
クリスは目を細める。
「……何だよ」
「何が?」
「何でそんなにあっさりしてる」
「別に」
「紙見せろ」
「嫌だ」
「見せろ」
「もう遅い」
嫌な予感が、確信に変わった。
クリスはエリオットの手から紙を奪い取った。
推薦者の欄には、すでに複数の名前がある。
そして候補者の欄。
――クリス・アーヴェル。
しばらく沈黙した。
エリオットがにこりと笑う。
「推薦しといた」
クリスは静かに紙を置いた。
「エリオット」
「ん?」
「覚えてろよ!」
秋の学院祭まで、あとわずかだった。




