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『仮面の文官、愛に溺れる男たち』 ―男装令嬢は恋より仕事を選びたい  作者: 紅月 碧(こうづき あお)


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第十二話 名前のついた彼の感情 エリオット

年末試験が終わった日の午後、王立中央学院は朝から落ち着かなかった。


最後の答案を提出した学生たちが、解放されたような顔で教室から溢れ出してくる。

廊下では早くも帰省の相談が始まり、寮では使用人に持たせる荷物をまとめる者、家族への土産を確認する者、休暇中の予定を大声で話す者が入り乱れていた。

明日から、年末の長期休暇が始まる。

クリスも朝から機嫌がよかった。


「やっと帰れるー」

答案を提出した直後、そう言って大きく伸びをした。

「そんなに帰りたかった?」

隣を歩いていたレオンが聞く。

「そりゃ帰りたいですよ。叔父様にもマーサにも会えるし」

「マーサ?」

「うちの使用人。俺が小さい頃からずっと面倒見てくれてる」

「へえ」

「料理も上手いんですよ。学院の食事も悪くないけど、やっぱりマーサの飯が食いたい」

話しながら歩くクリスの顔は、いつもより少し幼く見えた。


レオンは横目でそれを見る。

――帰る場所が好きなんだな。

それが何となく分かった。


「殿下も王宮へお帰りになるんでしょう?」

「ああ」

レオンは少しだけ顔をしかめた。

「その顔、嬉しくなさそうですね」

「俺の場合、休暇という名の公務だからな」

クリスが吹き出した。

「大変ですね」

「他人事だと思って」

「他人事ですから」

「お前な」

レオンが肘で軽く押す。


そんな二人の後ろから。

「クリス!」

聞き慣れた声が飛んできた。

振り返ると、エリオットだった。

騎士科の仲間たちと一緒にいたらしい。


こちらへ来ると、そのままいつものようにクリスの肩へ腕を回した。

「ぐえ」

「明日帰るんだろ?」

「帰るよ。重い」

「いつ?俺は朝」

「俺もだよ。ってか、重いって!」


肩を揺すっても、離れない。

このやり取り。もう何度も繰り返すうち、割と早い段階でエリオットはクリスを開放するため、クリスも本気では嫌がらなくなってきた。

だが最近のエリオットは、この瞬間を以前よりずっと意識していた。


いま腕の内側にクリスの肩がある。

近くに髪がある。

身体を寄せれば、わずかに体温が伝わる。


――何でこいつだけなんだろう。


そう思いながらも、腕を退ける気にはならなかった。

むしろ、休暇中はしばらく会えない。

そう思った途端、いつもよりギュウ・・・離しがたくなった。


「エリオット!苦しいって!」

クリスはエリオットの腹をげんこつで殴る。

多少の腕は緩んだが、のける様子がないし、押しても動かない。

仕方ないので今度は くすぐり作戦 へ変更し、クリスは指でエリオットの腹をつっつき始めた。


「ほら!離せって」

つんつんつん。


「離れろ」

つんつん。


「聞いてんの?」

つんつんつんつんつんつんつんつん!

わしゃわしゃわしゃわしゃわしゃ!


「……!」


エリオットは脇腹にくる新たな刺激に、内心 あわわ と力が抜け・・

「いまだ――」

ゆるんだ腕の締め付けを察知したクリスが、エリオットの腕を掴み、肩から引き剥がす。

クリスの指が腕からエリオットの手首を包む、その一瞬。

またエリオットの意識がそこへ集中。

そして、離れる。

それだけ。


「じゃ、俺、荷物まとめるから」

ひと仕事終えたような顔をして、クリスはあっさり手を振った。


「では殿下、また来年」

「ああ」

「エリオットも」

「……おう」

「よい年を」


ボルドーの頭が遠ざかる。

エリオットはその背中を見送った。

隣で、レオンも同じ方向を見ていた。


「…………」

「…………」


一瞬、二人の視線が合う。

なぜか。

どちらからともなく逸らした。




エリオットの実家。グレイヴ家の領地は、王都から馬車で二日ほどの場所にある。

代々、王国の軍務を担ってきた騎士の家系。

屋敷も華美ではない。

石造りの堅牢な館。

壁には歴代当主が使った剣や盾が飾られ、裏手には騎士たちが日常的に使う訓練場まである。


エリオットが帰宅した翌朝。

「遅いぞ!起きろ!」

エリオットの寝室の扉がバーンと開き、父の声が飛んだ。

急に起こされ驚くエリオット。


「ちょっと俺いま休暇中だぞ!デリケートなお年頃なんだからノックくらいしてよ!」

「デリケートだぁ?あはは、お前、弱くなったんじゃないだろうな?」

木剣が飛んできて、エリオットは片手で受け取った。

「学院で鈍ってないか、この父が見てやろう!」

「帰ってきた翌日くらい寝かせろよ~」


ぶつぶつ言いながらエリオットは簡単な練習着に着替え、

結局、父の早朝練習に付き合い、途中参加した兄たちにも付き合わされた。


――がっつり体育会系一家。それがグレイヴ家だった。


昼になってようやく食堂へ戻る。


「腹減った……」

椅子へ座った途端、パンへ手を伸ばす。

「行儀悪い」

向かいから声がした。姉だった。


「今だけだよ。学院ではちゃんとしてるよ」

「家でもしなさい」

「勘弁して。昨日帰省したのに馬鹿みたいに訓練したんだから、ちょっとぐらい甘やかしてよ。」

そう言ってエリオットは水をがぶ飲みし、目の前にある肉を取る。


食べっぷりがすごい。


母が呆れたように笑った。

「相変わらずねえ。喉に詰めるからゆっくり食べなさい。」

「やっぱり家の飯のほうがガッツリいけるな~。学院の飯、基本少ないんだよね」

「足りないの?」

「騎士科には足りない。文官科には多いみたいだけど」

「文官科には多いの?じゃあクリス君は小さいから大変ね」

エリオットの手が止まった。


「…………」


初めて聞く名に姉が反応した。

「誰それ?」

エリオットはまた肉を口へ入れた。

「友達」


母が笑う。

「手紙に何度か名前が出てたでしょう。文官科のお友達で少し身体が小さい子なのよね?」

姉が身を乗り出した。


「クリス君ってどんな子?」

「文官科」

「それは聞いたから分かる」

「地方から来てる。だから寮。」

「あそこって大半は寮でしょ。ってか、それはどうでもいい」

「じゃあ何が知りたいんだよ」


「どんな子なの?」


エリオットは少し考えた。

「……変な奴かな?」

また考える。

「頭いい。けど体力ない」


脳裏に、行軍で死にそうな顔をしていたクリスが浮かぶ。


「剣も下手だし」


今度は木剣を投げ飛ばしたときの顔。


「口は悪いし」


怒った顔。


「背もちっさい」


自分が肩へ腕を回したとき、ちょうど収まりのいい高さ。


「顔は綺麗」


眠っている横顔。

長い睫毛。

鼻筋。

唇。


「髪は……ちょっと変わった色してる」


ボルドー。

人混みの中でも、すぐ見つけられる。


「あと、いい匂いする」


言ってから、食卓が静かになった。

「…………」


エリオットは顔を上げると、家族全員が見ている。

「何?」

姉が眉を上げた。


「男よね?」

「男だよ」

「いい匂いするの?」

「うん」

「ふうん」


にやにやしている。

腹が立つ。


「たぶん使ってる石鹸が、良いやつか何かだろ」

「聞いてないけど?」

「…………」

エリオットはパンを食べた。


話題を終わらせるつもりだったのに、姉は終わらせなかった。


「で、そのクリス君とはどんな風に仲がいいの?」

「いつも一緒にいるかな。科が違うから共通授業以外は一緒じゃないけど」

「二人で遊びには行ったの?」

「行ったよ」

「よく行くの?」

「いやまだ一回だけかな」

「何したの?」

「普通だよ。買い物して、飯食って、酒飲んで」


姉の目がさらに面白そうに細くなった。

「楽しかった?」

「楽しかったよ」

「どのくらい?」

「どのくらいって何だよ」

「また行きたいでしょ?」

「行きたいよ」


即答したら姉が笑った。

「じゃあ、会いたい?」


今度は、少し間が空いた。

「……まあ」


「今、会いたい?」

「何で今なんだよ」

「会いたい?」


エリオットは眉を寄せた。

何を聞かれている?

まだ休暇に入ったばかりで、少し前まで一緒だった。


ボルドーの髪が頭に浮かんだ。

「…………まあ、会えたら会いたいけど」


「好きなんじゃない?」


「は?」

あまりにも突然だった。


エリオットは本気で姉を見た。

「誰が?」

「あなたが。クリス君を」

「はあ?」

今度は笑った。


「ないない。男だぞ!」

「知ってる」

「俺も男!」

「それも知ってる」

「じゃあ分かるだろ」


姉は肩をすくめた。

「別に、そういう人だっているでしょう?」

「俺は違うって。なんちゅう話を家族の前でするんだよ!」

エリオットは顔を引きつらせて肉を取った。

「なんか誤解してるけど、俺、女が好きなんだぞ!」


兄も横から口を挟む。

「それはそう。学院に行く直前も女の所に、あっちこっち顔出してたもんな」

「だろ?」

「でも」

兄が酒杯を傾ける。

「お前今まで女の話するとき、匂いまで説明したことあったか?」


「…………」

エリオットが止まる。


「知らねえよ」

「俺も知らん」

「じゃあ言うな」

「ただ」

兄が笑った。

「お前、さっきからそいつの話してるとき、楽しそうだぞ」

「…………」


「恋じゃね?」

と、姉が言う。


「違うって!ほんと、なんちゅー話してんの?どんな家族だよ」

今度は少し強く言った。

わはははは

豪快な家族の笑い声が起きる。食卓が笑いに包まれる。

「絶対信じてないだろ!」


――自分は女が好きだ。

学院が男ばかりだから、少し距離感がおかしくなっているだけ。


そのはずなんだ。




その夜。

エリオットは自室の寝台へ転がった。

自分の部屋は学院の寮より広い。

「…………」

目を閉じる。


――好きなんじゃない?


姉の声。

「ないって」

誰もいないのに、口に出した。

寝返りを打つ。


考えるなと思うほど、浮かんでくる。

食堂へ入れば、最初に探す。

廊下でも、中庭でも。

人が多いところでは、いつの間にか ボルドーの髪 を探している。


見つければ、嬉しい。

いなければ、どこにいるのかと思う。

面白いことがあれば、話したくなる。

クリスが女から焼き菓子をもらっていたときは、面白くなかった。

彼女と二人で街へ行ったと聞いたときは、もっと面白くなかった。

だから、自分も誘った。


そして、二人で王都に出かけた日は。

楽しかった。本当に。驚くほど。


帰りの馬車の中。

肩へ身体を預けて眠るクリス。

近くに感じる髪、体温、匂い、手。

馬車から降ろすとき、偶然、唇へ触れたクリスの鼻先。

その記憶だけが、妙に鮮明だった。


「…………」

エリオットは片腕で目を覆った。

それだけじゃない。


夢で何度見た、長いボルドーの髪。

女になったクリス。

夢の中では、彼女になって自分から腕を回してきた。

細い腕が俺の背中にまわり、俺の名前を呼んだ。

離れるなと。もっと、と。


そのたびに、自分も夢の中のクリスを求めた。

遠慮なんて一度もしなかった。


目覚めた朝に、自分の身体が何を欲しがっていたのか。

分からないほど子供でもない。


最初は、男ばかりの学院にいるからだと思った。

――女に飢えているだけ。

だから綺麗な顔をしたクリスに、頭が勝手に女の姿を重ねている。

そう思っていた。

だから学院祭の前に王都にでかけ、女と過ごした。

久しぶりだった。

欲求不満なら、それで終わるはずだった。

なのに終わらなかった。


次の日には、またクリスを見ていた。

何なら前の日に女を抱いたせいで、クリスが生々しく見えるときもあった。


エリオットはゆっくり腕を下ろして天井を見る。

「…………」

着替えが多い騎士科は、裸で歩くし、組み合うし、肩も組む。

試合に勝てば喜び合って抱き合いもするし、訓練で身体も押さえ込む。

豪快に酔った男を背負って帰ったこともある。

何も感じない。誰にも。


ただクリスだけは、肩を抱けば、嬉しい。

触れられれば、そこばかり気になる。

眠っていれば、見ていたい。

近づけば、匂いを嗅ぎたくなる。

抱き上げれば、離したくない。

そして、もっと、触れたい。


「…………あー」


エリオットは両手で顔を覆った。

長い息が漏れる。


姉に言われる前から薄々分かっていた。

さっきも、分からないふりをしていただけだ。


「……本当は」

誰もいない部屋だから言えた。


「そうじゃねえかと思ってたんだよなあ……」


ハハハと笑いが漏れた。


困ったような。呆れたような。

でも、どこか嬉しそうな、そんな笑いだった。


――クリスが好き。


性別ではなく

クリスだから。

そう思った瞬間、胸の中にずっとあった違和感が、妙に綺麗に収まった。


「そっか俺、クリスが好きなのか」


言ってみると、思ったほど嫌ではなかった。

むしろ納得した。


そしてもう一つ、認めざるを得ないものがあった。

エリオットは目を閉じて、腕の中で眠っていたクリスを思い出す。

そして夢の中でもっと、と求めてきた声。


身体の奥が、熱を持つ。

「…………参ったな」

今度は笑えなかった。


自分はクリスを抱きたい。

それもずっと前から。


身体は知っていたのだ、頭より先に。

エリオットは枕へ顔を埋めた。


「……本人には絶対言えねえ」


しばらく、そのまま動かなかった。




同じ頃。

王宮の一角、レオンは机に向かっていた。


休暇に入ったというのに、机の上には書類が積まれている。

地方から届いた報告。新年の式典。外国使節の予定。

兄である王太子の補佐。

結構な量をさばかねばならず、疲れが溜まる。

一息ついたところで、ふと思った。


――クリスは今頃、領地か。


嬉しそうに話していた。

帰ればクリスはあの顔で笑っているのだろう。


「…………会いたい」


その言葉が、あまりにも自然にでた。

自分の声に驚いてレオンの手が止まる。


「…………」

何を考えている。

休暇に入ってまだ数日しか経っていない。

それなのに、もう会いたいと思った。


レオンは書類へ視線を戻した。

だが文字が頭に入らなかった。




年が明け、長い休暇を終えた学生たちが次々と学院へ戻ってくる。


エリオットは正門をくぐった。

久しぶりの学院。

騎士科の仲間に声を掛けられる。


「エリオット!」

「おう」

肩を叩きあい、再会を喜び笑いあう。

寮へ荷物を預けて、語り合う。


そして、目は勝手に探していた。

何をしているんだ、と思いつつ、自分でも分かっている。

探している、クリスを。


そして

「あ」

見つけた。少し離れたところ。

馬車から荷物を降ろしている。

短いボルドーの髪。


その瞬間、胸が跳ねた。


――ああ、もう言い訳できない。


「クリス!」

呼ぶとボルドーの頭が上がる。


クリスが、こちらを見る。

そして笑った。

「エリオット!」

元気に手を振っている、その顔を見た瞬間。

休暇中に出した答えがもう一度、身体の中へ落ちてきた。


エリオットは歩み寄り。

いつものようにクリスの肩へ腕を回した。

「久しぶり!」

「重い!」

いつもの反応。

「エリオット、さっそくかよ!」

「いいだろ、久しぶりなんだから」

よくねーよ。と、肩を押しもどされる。


身体が触れて感じる体温。

久しぶりに見下ろすボルドーの髪。

ふわっと香る身体の匂い。

全部以前と同じなのに、エリオットの中では、何もかも意味が変わっていた。


クリスがエリオットの腕を掴む。

「ほら、離せ」

指が触れる。それだけで嬉しい。

「…………」

「何?」

「いや」

エリオットは笑った。

「何でもない」

そのとき。


「クリス」

別の声。


二人が振り返る。

レオンだった。


「殿下!」

クリスの顔がまた明るくなる。

「お久しぶりです」

「ああ」

レオンはクリスを見る。


久しぶりに見る、短いボルドーの髪を持つ青灰色の瞳。

笑った顔。

数日どころか、休暇中、何度も思い出した顔。

胸の奥が静かに満たされる。


「元気だったか」

「もちろん」

「そうか」

レオンも少し笑った。

そして、クリスの肩に置かれたエリオットの腕を見る。

「…………」

何となく、気に入らない。

だが何も言わなかった。


クリスが思い出したように言った。

「そうだ。殿下」

「何だ」

「休暇前にエリオットと王都行ったんですけど、その時の店が結構よくて面白いんです。きっと殿下もお気に召すと思いますよ。」


レオンの目が止まった。

「…………エリオットと二人で行ったのか?」

「はい」

今度はエリオットが答える。

「二人で買い物して、飯食って、飲んで帰ってきました」

「へえ」

レオンの声は穏やかだった。

「楽しめたのならよかったじゃないか」

クリスが笑う。

「エリオットってしょっちゅう騎士科のみんなと遊んでるから、結構面白い店をこいつは知ってるんです」

エリオットは笑みを浮かべてクリスを見る。


「また行こうな」

「おう」


レオンは二人を見る。

「…………」


何も言わなかったがレオンは覚えておいた。

二人で。王都。買い物。食事。酒。

そして、また行く。


――そうか。

レオンは静かに思った。

――なら俺も。



その数日後。

エリオットが騎士科の訓練へ出ている午後。

文官科の教室ではクリスが鞄へ本を詰めていた。


「クリス」

「はい?」

振り返るとレオンが立っていた。

「次の休み空いてるか?」

クリスは少し考えた。

「たぶん」

「そうか」

レオンはごく普通の顔で言った。

「街へ行くぞ。あの面白いと言った店に連れて行ってくれ」

クリスが笑って

「いいですよ。行きましょう」

レオンは、ほんの少しだけ口元を緩めた。

「決まりだ」


もちろんエリオットには、

まだ言わない。



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