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『仮面の文官、愛に溺れる男たち』 ―男装令嬢は恋より仕事を選びたい  作者: 紅月 碧(こうづき あお)


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第十一話 祭りのあと エリオット

祭りの翌朝、王立中央学院は、嘘のように静かだった。


昨日まで中庭を埋めていた色鮮やかな布飾りは、半分ほどがまだそのまま残されている。

文官科の喫茶店に使われていた長机も壁際へ寄せられただけで、騎士科の演武場には観客席の木組みが残っていた。


二日間にわたった学院祭。

一日目は、各科の催しに始まり、夕刻には恒例の女装美男子競技会「通称ミスコン」。

二日目は外部からの客も交えた舞踏会。

毎年大いに盛り上がり、学院際のあとは疲労と余韻で学生たちは授業どころではなかった。

だから学院側も、祭りの翌日から二日間を休暇としている。


寮生の多くは昼近くまで眠り、起きてきた者も食堂でぼんやりしていた。

クリスも例外ではなかった。

目を覚ましたのは、太陽がずいぶん高くなってからだった。

寝台の上で目を開け、しばらく天井を眺める。

身体が重い。

行軍のときとは違う疲労だった。

二日間、朝から晩まで働いた。

文官科の喫茶店を手伝い、学院中を走り回り、夜には舞踏会。

昨日のことを思い出したところで、クリスは毛布を鼻まで引き上げた。

――踊ったな。

女の子とも。

男とも。

エリオットとも。

そしてレオンとも。


舞踏会のために略式正装を纏ったエリオットを見た瞬間のことまで、妙に鮮明に思い出した。

普段の制服や騎士科の訓練着とは違う。

広い肩。厚い胸板。引き締まった腰。

いつも軽口ばかり叩いている男が、きちんと正装して立っているだけで、驚くほど精悍に見えた。

思わず「かっこいいじゃん」などと思ってしまった。

そのときのエリオットの顔まで思い出す。

「…………」

クリスは寝返りを打った。

レオンだってすごかった。

こちらはエリオットとはまったく違い、立っているだけで王子だった。

婚約者候補だった時も見ている姿のはずなのに、少年の名残が強かったあの頃とは違い、大人の色香を感じさせる立ち姿。華美に飾り立てているわけでもないのに、育ちの良さも、高貴さも隠しようがない。

女の子たちが遠巻きに見ていたのも当然だ。

そんな二人と踊ったのだから。

疲れて当然だ。

そういうことにして。

クリスはもう一度眠った。


休暇二日目の午後。

クリスは学院寮の階段を軽い足取りで下りていた。

明日から授業が再開する。そして、ほどなく期末試験。

それさえ終われば、年末から長い休暇へ入る。

学院へ来てから初めての長期帰省だった。

ヴィクトルの屋敷へ帰れる。

マーサにも会える。

王都にいる母も、その後領地へ来ると聞いていた。

だから今日は、帰省の土産を見ておこうと思ったのだ。


ヴィクトルには何がいいだろう。

酒か。

本か。

いや、本なら本人が好きなものを選ぶだろう。

マーサには王都で流行っている菓子でもいい。

そんなことを考えながら一階へ降りたところで。

受付の前に立つ少女が目に入った。

見覚えがある。

昨日――いや、一昨日の舞踏会。

クリスが最初に踊った少女だった。


「あ」

少女も気づいた。

「あの……クリス様」

「こんにちは」

クリスが近づくと、少女の顔がぱっと明るくなった。

手には小さな包みがある。

淡い色の布で丁寧に包まれ、細い紐が結ばれていた。

「あの、これ」

差し出される。

「俺に?」

「はい」

受け取ると、ふわりと甘い香りがした。

「焼き菓子です。昨日作ったんです」

「昨日?」

クリスは包みを見る。

「ありがとう」

素直に嬉しかった。

「でも、わざわざ学院まで来てくれたの?」

「はい。あの……」

少女が少し迷う。

「お祭りのとき、すごく楽しかったので」

頬が赤い。

クリスはようやく気づいた。

――あ。

これ。

もしかして。

好かれている。

女として生きていた頃なら、相手のこういう顔にはもう少し早く気づいただろう。

だが、自分が男として好意を向けられることには、まだ慣れていない。

「あの……」

少女がクリスの服装を見る。

「今日は、お出かけですか?」

「うん。王都へ」

「そうなんですね」

少し残念そうな顔。

その顔を見て。

クリスは何となく言った。

「よかったら、一緒に行く?」

少女が目を見開いた。

「……いいんですか?」

「もちろん。俺、王都の店にあまり詳しくないし」

「私、詳しいです!」

勢いよく返ってきた。

クリスは笑った。

「じゃあ教えてよ」

「はい!」

焼き菓子は持って歩けば崩れそうだったので、受付に預けることにした。

帰ってから食べればいい。

そうして二人は学院を出た。


王立中央学院は、王都を見下ろす岩山の上に建っている。

正門から石畳の坂道を下ると、小さな集落があり、その先に王都へ向かう乗合馬車の停留所がある。

学院生もよく利用する場所だった。

馬車に揺られながら、少女はよく喋った。

王都で流行っている菓子店。若者に人気の店。

地方では手に入りにくい織物。最近評判になっている文具店。

クリスは聞いているだけでも楽しかった。

王都へ着けば、今度は少女が先へ立った。

「こっちです」

「あ、待って」

人混みに紛れそうになって、クリスが少女の後を追う。

マーサには結局、香りのいい茶葉と菓子を買った。

ヴィクトルには悩んだ末、王都の酒屋でしか扱っていない蒸留酒。

「これ、叔父様に?」

少女が尋ねる。

「うん」

そう答えると、少女は少しだけ柔らかく笑った。

昼を過ぎれば、二人で食事もした。

窓際の小さな席に向かい合って座り、学院祭の話をした。

少女はミスコンも見ていたらしい。

「あれ、すごかったですよね」

「みんな本気なのが面白いよね。ただ俺は来年も絶対見物する側だから」

「出ないんですか?」

「出ない」

即答した。

「クリス様、絶対似合うのに」

「出ないよ。俺出たら優勝しちゃうじゃん」

少女が笑った。

クリスも笑う。

楽しかった。

特別な意味など考えていなかった。

ただ気の合う相手と街を歩いて、買い物をして、一緒に食事をした。

夕方、学院へ戻る乗合馬車へ乗る頃には、少女ともずいぶん打ち解けていた。

別れ際。

「また、お会いできますか?」

少女にそう聞かれて、クリスは少し困った。

学院は基本的に女人禁制だ。

外部の若者が自由に出入りできる機会など、学院祭くらいしかない。

「来年の祭りかな」

「一年後……」

「長いね」

「長いです」

二人で笑った。

それでも少女は最後に嬉しそうに手を振った。

「また来年!」

「うん。また」


寮へ戻ると、受付に預けていた焼き菓子を受け取った。

部屋へ持ち帰り、一つ食べる。

「うまい」

素朴な焼き菓子だった。

バターと蜂蜜の香りがする。

もう一つ取ったところで

「クリスー」

聞き慣れた声が廊下から近づいてきた。

遠慮なく扉が開く。

「お、何食ってんの?」

エリオットだった。

「ノックしろよ」

「した」

「うそつけ」

エリオットの視線がクリスの手元へ落ちた。

「菓子?」

「うん」

「うまそうじゃん。一個くれ」

「嫌だ」

「何で」

「俺がもらったんだから」

「誰に?」

「祭りで踊った子」

エリオットの手が止まった。

「……あの女の子?」

「うん。今日持ってきてくれた」

「今日?」

「そう」

「学院まで?」

「そう」

「…………」

エリオットがクリスを見る。

「で、それだけ?」

「一緒に王都行った」

「は?」

明らかに声が変わった。

クリスは焼き菓子を齧る。

「俺もちょうど帰省土産に買い物行くところだったから」

「二人で?」

「うん」

「飯は?」

「食った」

「二人で?」

「だから二人だって」

エリオットがしばらく黙った。

それから。

「お前、それデートじゃん」

「……デート?」

「女と二人で街行って、買い物して、飯食ったんだろ」

「うん」

「デートだろ」

言われてクリスは考えた。

確かに二人で街を歩いた。店を見て回った。食事もした。

わざわざ学院までお菓子を届けにしてくれた彼女に悪いなと思って声をかけたが、

傍から見れば

「……まあ、そう言われればそうかも」

「そうかもって」

「楽しかったし」

その瞬間。

エリオットの胸の中へ、何とも言えないものが落ちた。

重くはない。

だが。

気に入らない。

理由は分からない。

「ふうん」

エリオットは勝手に焼き菓子を一つ取った。

「あ! お前!」

「いいじゃん、一個くらい」

「自分でもらえよ」

「俺、女から結構もらったし」

「じゃあそれ食えよ!」

言いながら。

エリオットは焼き菓子を食べた。

「……うま」

「だろ?」

なぜクリスが得意そうなのか。

それも少し気に入らない。

「じゃあ」

エリオットは二枚目へ手を伸ばした。

今度は叩かれた。

「今度、俺の買い物にも付き合えよ」

「何買うの?」

「何か」

「決まってないのかよ」

「今から決める」

クリスが呆れたように笑った。

「何だそれ」

「いいだろ。どうせ暇だろ?」

「試験前だぞ」

「休みの日、一日くらいいいじゃん」

「まあ……」

少し考えて。

「いいよ」

「よし」

思った以上に嬉しかった。


エリオット自身、それが顔へ出ていることには気づかなかった。


数日後。

エリオットは騎士科の訓練場で剣を振っていた。

冬を前にした風は冷たい。

それでも訓練が始まれば、すぐに身体が熱を持つ。

木剣がぶつかる。

踏み込む。

受ける。

払う。

「そこまで!」

「休憩二十分!次は野外演習だからな」

教官の声。

エリオットは息を吐き、木剣を下ろした。

額の汗を腕で拭う。


「エリオット」

聞きなれた声が聞こえた。

反射的に顔を上げる。

訓練場の入口。短いボルドーの髪。

クリスだった。

それだけでなぜか嬉しい。


「クリス」

エリオットは木剣を仲間へ投げ渡し、そちらへ歩いていった。

「どうした?」

「ちょっといい?」

「いいけど」

クリスは周囲をちらりと見た。

騎士科の学生たちが何人かこちらを見ている。

「この前のこと」

「ん?」

「街」

「ああ」

「いつ行く?」

エリオットは一瞬、目を瞬いた。

クリスの方から、聞きに来た。

「……お前、行く気あったんだ」

「約束しただろ」

「そうだけど」

「次の休みなら空いてる」

「じゃあそこ」

即答した。

クリスが笑う。

「早いな」

「気が変わらないうちに」

「変えないよ」

その言葉が妙に嬉しかった。

「じゃあ決まりな」

「うん」

クリスが帰っていく。

エリオットはその背中を見送った。

ボルドーの髪が、人の間へ消えていく。

それでもしばらく見ていた。


「おーい」

後ろから声がした。

「何?」

「お前、何その顔」

「何が」

「めちゃくちゃ嬉しそう」

「は?」

仲間が笑っている。

エリオットは眉を寄せた。

「普通だろ」

「いや」

別の男まで笑う。

「ずっと口元緩んでる」

思わず口元へ手をやった。

確かに、少し笑っていた。

「…………」

何で、たかがクリスと街へ行くだけだ。

男友達と遊びに行く。友として親睦を深めるんだ。

それだけなのに、次の休みが急に楽しみになっていた。


約束の日。

二人は朝から学院を出た。

レオンには言わなかった。

別に隠す理由もなかったし、わざわざ報告する理由もない。

坂道を下り、乗合馬車へ乗る。


王都へ着けば、エリオットは自分が普段行く店へクリスを連れ回した。

騎士向けの革製品を扱う店。

武具店。

若い騎士や学生が集まる食堂。

王都の外れにある露店街。

「お前、本当にこういうところ好きだな」

「面白いだろ?」

「うん」

クリスが店先の品を覗き込む。

「これ何?」

「投げナイフ」

「こんな小さいの?」

「護身用」

「へえ」

クリスが手に取ろうとする。

「刃ついてるぞ」

エリオットがその手首を掴んだ。

「触るならこっち」

持ち方を変えさせると指が重なった。

その瞬間

エリオットは妙に意識した。

「……?」

クリスが顔を上げる。

「何?」

「いや」

手を離す。

「何でもない」


変だ。クリスの手を掴んだくらいで、何を意識している。


騎士科では毎日男と触れ合っている。

腕を掴む。

肩を組む。

投げ飛ばす。

押さえ込む。

そんなことは日常だ。


だが

「エリオット、こっち」

今度はクリスの方から腕を引かれた。人混みの向こうに何か見つけたらしい。

「面白そうな店ある」

「……おう」

掴まれたところが、やけに熱い。

クリスは何も気づかず手を離した。

エリオットは一瞬、自分の腕を見る。

そして、なぜか少し惜しいと思った。


夜、帰りの馬車へ乗る前に、二人は食事をした。


「飲む?」

エリオットが酒杯を示す。

「少しだけ」

「そういえば、酒弱いんだっけ?お前」

「飲む機会あんまりなかったから」

それが間違いだった。


一杯目は平気だった。

二杯目も。

クリス自身もそう思っていた。

ところが、帰りの乗合馬車へ乗った頃から急に眠くなった。

夜の便だったため、客は二人だけ。

馬車がゆっくり走り出す。

「……眠い」

「寝れば?」

「めちゃ揺れるな。頭ぶつけそう」

「じゃあ――」

言い終わる前に馬車が揺れた。

クリスの身体が傾むいて、エリオットの肩へ。

「おっと」

頭がゴツンと当たり、乗った。

クリスは一度目を開けたが。

「……ごめん。このまま頭のっけてていい?」

「お、おう」

ありがとうと言って、クリスはそのまま目を閉じた。

エリオットは前を向いた。

肩に重みがある。髪が顎へ触れる。

呼吸のたびに、クリスの身体がほんのわずかに動く。

そして、匂い。

以前から何度か感じた。

クリスの匂いだった。

香水ではない。

石鹸なのか。

髪なのか。

本人なのか。

よく分からない。

ただ、好きな匂いだった。

馬車がまた揺れ、今度はクリスの身体ごと寄ってきた。

そして傾きでグッと身体が離れるとき、エリオットは反射的に腕を回した。

「……危ねえな」

返事はない。

クリスは眠っている。完全に。


エリオットは腕の中のクリスを見る。

長い睫毛。

通った鼻筋。

少し開いた唇。

細い首。

何度見ても。

男にしては綺麗すぎる。

しばらく眺めていたことに。

本人は気づいていなかった。

クリスの手が座席から落ちかける。

エリオットが掴んだ。

そのまま。

なぜか離さなかった。

手のひらへ収まる指。

「…………」

男だ。

分かっている。なのに。

今、自分の手の中にあるクリスの手を放し難く感じる。


馬車は夜道を進んだ。

このまま、もう少し着かなければいい。

ふと、そんなことを思った。


停留所へ着いてもクリスは起きなかった。

「クリス」

肩を揺する。

「着いたぞ」

「……ん……」

「歩ける?」

「……歩ける」

目を閉じたまま言った。

「なんだよ起きる気ないじゃん。絶対無理だろ」

エリオットは笑った。

仕方なく荷物を背負い、馬車から先に降りる。

それからクリスへ腕を伸ばした。

背中へ片腕。

膝の下へ、もう片方。

「よっと」

お姫様抱っこで抱き上げる。

思ったより軽い。

クリスの身体が腕の中へ収まった。

その瞬間。


「……エリオット……?」

薄く目を開けたクリスが、落ちないようにするためか、

両腕をエリオットの首へ回して、ぐっと身体が近づいた。

「――っ」

顔が寄る。

クリスの髪が頬を掠めた。

そして。

ほんの一瞬。

エリオットの唇に、少しヒヤッとした柔らかな温度が触れた。

クリスの鼻先。

事故だった。

クリスは気づいていない。

だが、エリオットは完全に固まった。

「…………」

耳が、一気に熱くなる。

酒のせいではない。


腕の中では、クリスが安心したように目を閉じている。

首へ回された腕。

近すぎる身体。

そしてあの匂い。

エリオットは息を吸った。

深く。

「…………」

もう一度。

自分でも何をしているのかと思う。

俺も酔っているからと心の中で言い訳しつつ、

「……お前さ」

眠っているクリスへ呟く。

「ほんと、何なんだよ」

返事はない。


エリオットは停留所脇の長椅子へクリスを座らせ、背を向けてしゃがんだ。

態勢をおんぶに変えるためだ。

さすがにこのまま学院までクリスをお姫様だっこすると、何か言われそうで勇気がなかった。


「ほら、背中に乗れよ」

「……歩ける」

「じゃあ立て」

クリスが立つ。

ふらり。

「はい、駄目」

「……歩けるって」

「明日の朝までに着けばいいなら歩け」

「…………」

「乗れって」

しばらくして。

背中へ重みが来て、腕が首へ回る。

「落ちんなよ」

「……落とすなよ」

「誰が落とすか」

石畳の坂を登る。

夜風は冷たい。

なのに背中だけが温かかった。

クリスの胸元から腹までが、歩くたび背中へ密着する。

頬が肩へ乗る。

吐息が耳へ触れる。

髪が首筋をくすぐる。

全身で。

クリスがそこにいることが分かる。

エリオットは妙に幸せを感じた。

「クリス」

「……ん」

「今日、楽しかったか?」

「……うん」

「そっか」

それだけで笑ってしまう。

「俺も」

返事はなかった。

また眠ったらしい。

しばらくして、クリスの腕が少し強く首へ回った。

無意識なのだろう。

身体がさらに密着する。

エリオットの歩調が、ほんの少し遅くなった。

学院まではまだ坂が続く。

重い。

疲れる。

早く着いた方がいい。


そのはずなのに。

もう着いてしまうのが少しだけ惜しかった。



翌日。

騎士科の訓練が終わる頃、クリスから昨日のお礼を言われた。

「俺、途中からほとんど覚えてなくて」

エリオットの脳裏に。

昨夜が蘇った。

肩へ預けられた身体。

握った手。

腕の中の温度。

首へ回された腕。

そして。

唇へ触れたクリスの鼻先。

「…………」


クリスは何の警戒もなくエリオットへ一歩近づいた。

「ほんとありがとな」

ぽんと軽く、エリオットの腕を叩く。

たったそれだけなのに、触れられたところへ意識が集まった。

「じゃあ俺、授業あるから」

「おう」

「またな」

クリスが去っていく。

エリオットは見送った。

短いボルドーの髪が揺れている。

やがて人混みへ消えた。

「…………」

昨日から、何かがおかしい。

いや、もっと前からだとも思っている。


騎士科には男しかいない。いや、騎士科だけでなく学院は女人禁制だ。

肩を組む。

身体をぶつける。

汗だくで組み合う。

酔った仲間を担いで帰ったことだってある。

何とも思わない。

なのにクリスだけ触れれば気になる。触れられればもっと気になる。

エリオットは、自分の腕へ視線を落とした。

さっきクリスが触れた場所。

まだそこに指先の感触が残っているような気がした。

答えはまだ出なかった。


けれどその夜。

夢の中でエリオットはまたクリスを見た。


長いボルドーの髪。

青灰色の瞳。

いつもの顔で。

けれど、女の姿をしたクリス。

夢の中の彼女は、現実のクリスのように逃げなかった。

エリオットの首へ自分から腕を回し。

間近で彼を見つめる。

そして

甘えるように自分の名前を呼んだ。

その声にエリオットは夢の中で、もう何の理由も探さなかった。

ただ、ずっと欲しかったものをようやく腕の中へ捕まえたように、強く抱きしめた。

そしてクリスも離れようとはしなかった。

むしろもっと近くへとエリオットを求めた。


翌朝。

目を覚ましたエリオットは。

しばらく天井を見つめていた。

「…………」

やがて両手で顔を覆った。

「……なんだよ」

誰もいない部屋へ低い声が落ちた。


年末の休暇まであと少し。

エリオットはまだ知らない。

その休暇で

自分がこれまで必死に名前をつけずにいた感情を。

とうとう

他人から指摘されることになる。



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